三井長編 続編・番外編

□Etude d’automne
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一方、紫帆の方はというと、自分もやらねばならぬことはあれど、三井ほど切羽詰まってはいない。こっちに来ているならば、顔を見にいくだけでもと思いたち、最近オープンし話題になっている鵠沼のパン屋さんに寄ってから湘北へ向かった。

こうやってコーチをしている三井を覗くのは久しぶり。試合の審判をしているが、どうやらだいぶ疲れているようだ。
プライベートが忙しくてもこうして後輩たちを指導しに来るのは、自分がバスケから離れていた2年間を埋めるためなのかもしれない、と時に感じることがある。取り返しのつかない空白を取り戻すために。

ぐったりした様子の三井がやってきた。
「お疲れさま。差し入れ持ってきたよ」と言いしなに紫帆はプッと吹き出した。

「何だよ? オレ、そんなに疲れた顔してっか?」
「慣れないことしてるのが見え見えで」
「ヨケーなお世話だ……」と言いながら、袋を覗き込むと「旨そうだな」と三井は口元をほころばせた。

がっつりしたものの方がいいのかなと迷ったのだが、サッパリ食べられるようにスモークサーモンのベーグルサンドにした。何でも受け付けそうな食べ盛りの高校生たちには、その店の一番人気の焼きカレーパンを。
宮城に配らせている間に、暖かいものが飲みたいという紫帆について、学食わきの自販機に三井は連れだって向かった。

「来週、試験うけてからここ来るから、終わったら電話するな」
「ん、でも翌日に私も保険の試験あるからちょっと無理かも。それ取らないと保険商品扱えないから必須なの」
「マジかよ……ってそのわりには余裕だな」
「テキスト読んでおけばほとんど受かる試験だから。でもそれなりにね」

来週会えそうにないからこうやって来てくれたのか。三井の消耗しきった頭と身体は幸福感で満たされる。こんなちょっとしたことでうんざりと萎えかけた気持ちが上向くのだから、単純なものだ。


どれ?と三井は紫帆に聞き、指差されたホットのカフェオレのボタンを押す。ただそれだけなのに、紫帆がとても嬉しそうにしていることに三井は気付いた。

「何、ニヤニヤしてんだよ?」
「だって、なんか高校生みたいだなーって」と紫帆は三井を振り返った。
「お互いテスト前で、それでもちょっとでも一緒にいたくてこんな風にね。それにそもそも私、女子校だったでしょ? 校内でこんな風に並んで歩いたりとかありえなかったから。そういう高校生活、憧れだったなあ」
「あ、そうか。そりゃ、ありえねーな。 『憧れ』か……」

そう言って三井はゆっくり歩きだした。その間も紫帆は自分の思い描く共学校のカップルについて語る。
廊下ですれ違ったときにハニカミながらそっと手を振るとか、授業中に窓の外を見ると彼が体育の真っ最中で、眺めてると目があってびっくりするとか、中庭で一緒にお昼を食べたり、皆に何かと噂されたりとか。

「スゲー、一大妄想だな」と三井が感心すらしていると、紫帆が我に返ったように恥ずかしそうに笑うから、たまったもんじゃない。かわいい、そう素直に感じた。

「なあ、ここ、体育館裏なんて呼び出しの定番だと思わねえ?」

ふいに三井は立ち止まった。

「なあに? ここでけんかしてたの?」
「バッ……そういうことじゃねえ。呼び出しって告白のことだよっ」

笑っている紫帆の手をとり、体育館の柱のすみに押し込んだ。
「あと、恋人同士なら影でこうすんだ」と上から覆い被さるように口づけた。

紫帆の妄想に付き合うかのように、憧れを実現してやろうと冗談混じりでしたキスだったが、しばらく会えないかと思うと離れるのが惜しくなる。惜しい。
そのまま幾度も重ねていると、合間に紫帆が「こんなことしてたの?」とポツリと聞いてきた。

「んなわけねーだろ? オレの高校時代、話したじゃねえか。それとバスケしかねーよ」

グレてたときは、それはそれでいろいろあったが、そんな自分でも忘れたい昔のことはどうでもいい。今が大事ならばなおさら。
やがて人の話し声とともに誰かやってくる気配がした。慌てて身体を離して何事もなかったかのように振る舞う。

「こういうのも高校生っぽいだろ?」

紫帆を見つめる目に笑みを含ませて、楽しげに三井は言った。
再び体育館に戻ると、宮城が「どこ寄り道してんすか、早くいただきましょーよ。三井サン、時間ねーんじゃないっすか?」とせっついてきた。

「何だよ、現実に引き戻すなよ……」
「試験受かんねーとマズいんしょ? 赤点4つでIH出れねえって皆で追試の勉強したこと思い出しちまうな」と宮城がしみじみと懐かしむように口にした。

「IH出れない? 何のこと?」
「あれ? 聞いてねーの……?」
「宮城! なんでおめーはそういう余計なことを!」
「紫帆サンはよく知ってるから大丈夫って。あんたがそう言ったんじゃねえっすか……」
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