三井長編 続編・番外編

□En confiance 1
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夕飯を済ませたと言ってもまだ早い時間であり、海沿いのパーキングに車を止め、ふたりは外に出た。
凪いだ海が、徐々に闇に包まれようとする空を映しだす。早春のこの時期にふさわしい静けさだった。

夕釣りから引き上げようとする釣り人に逆らうように、ボードウォークをゆっくり歩く紫帆の手は、三井の腕にそっと添えられている。ふたりの間にも波風はなく、落ち着いた穏やかな空気が流れていた。

「3月末、さすがに来週からは果てしなく忙しいだろうなぁ……」

目の前のうららかな海とは対称的な現実に、紫帆がためいきをついた。

「オレも。さっきの話の同期、市村っつうんだけど、その市村が担当してた取引先が4月から横浜に移転してくんだよ。それ、オレが引き継ぐことになってバタバタ」
「それで本社と行ったり来たりなんだ」
「来月は湘北にも週イチで行ければいいほうかもな」

三井は手すりに軽く腰掛け、隣の紫帆を見下ろした。

「だから、あんまりこっち来れねえし、かまってやれねえけど……」
「だって仕事なんだから、仕方ないよ。やだな、そんなことで文句言われるとでも?」

そう言って屈託のない笑顔を見せる紫帆。ふいに手を取られ、三井に握り締められた。
指の間に指を絡めるように差し込まれ、ゆっくりとほぐされる。感触を確かめるように、緩やかに優しく撫でられ、その心地よさに紫帆は三井に抱かれているような気分になってしまう。

そんな包み込まれるような安らぎに身を任せていると、携帯の着信音に我に返らされた。スルッと抜けるように三井の手が解かれていく。離された手の、その心許なさに紫帆はハッとした。寒気がしたような気がした。

なぜだかわからないまま、その瞬間が妙な不安感として記憶に残ったのは、後から思えば女の勘だったのだろう――か。

三井が「ちょっといいか?」と言うから、紫帆は頷いた。電話に出た三井は、今、大丈夫か? と問われたらしく、「少しなら」と答えた。

「それより、昨日、大丈夫だったのかよ? 駅からタクシー拾えたか?」

その言葉で紫帆にも電話の相手がわかった。謝られたり、お礼を言われたりしているようだ。電話はものの2、3分で終了した。

「寿に恋愛相談するニッチな同期さんから?」
「今、聞いてただろ? すげえ感謝されてたのわかっただろ?」と手柄話でもするような三井。
「あきらめるな、が“ツボ”だったのかな……?」と紫帆は呟いた。

三井はまさに的確なアドバイスをしてしまったのかもしれない―――
『断ち切ろうと思ってたけど、もう少し頑張ってみる』と今の電話で報告された。

気づけば、辺りはすっかり暗くなっており、少し風がでてきたようだ。柔らかく湿り気を含んだ海からの風が、紫帆の髪を揺らしながら吹き抜けていった。
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