中編
□エスコート中編
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何を着ていこう、最初に考えたのはそれだった。あの時はフォーマルに着飾っていたわけで、通常モードとの落差にがっかりされたくない。かといってハリキリすぎなのもどうかと思う。
どうでもいい相手と会うのにこんなに悩まない。そもそも「お詫びに」なんて誘いにものらないだろうから、その時点で気持ちが傾いているのは明白だった。
なぜ誘ってくれたのか、そこが気になる。けれど目の前の彼はいたって自然体──
「あいつらの新婚旅行先、知ってる?」
「モルディブって聞いたよ」
「くっそー、オレも南の島でのんびりしてーな」
そういうわりに、休日は自分たちで作ったバスケチームで活動しているらしい。だから今日も午後はひと汗かいてきたそうだ。美味しそうにビールを飲む姿がそれを語っている。
「落ち着いたら新居に遊びに来てって」
「あいつ、オレらにはそんなこと一言も言わねえぜ」
「あれじゃない? そちらが団体で来られたらおウチが大変っていうか……」
「ああ、なるほど、って苗字さんのオレらへのイメージってどんなんだよ」
ちょっと不服そうに、だが、曇りなくゆったりと藤真は笑うと、ふいに何か思いついたようだ。その笑みがニヤリと崩れた。
「じゃ、その時オレだけ連れてってよ」
驚くべき提案。
「え、どうだろ……」
「大丈夫。オレ、元監督でもあるからかなりの権限あるわけ。な?」
意味がわからないながらも、何だか次の約束が出来たみたいで嬉しい。次が気になってしまうのは、きっと彼に惹かれているから。会いたい、知りたい、繋ぎとめたいと思うのはきっとそう。
そして会えば会うほど、知れば知るほど、ハマってしまいそうな予感がする。そんな空気が彼にはあった。
店を出ると、都心の上空は澄み渡っていた。まだそんなに遅い時間ではないので交通量も人の通りも多い。
「酔い覚ましに少し歩こうぜ」
その提案に従い、大通りから一本入ると、街の騒音は驚くほど遠くに聞こえる。やたらと黄色い月だけが、高層ビルに挟まれてはまり込んだようにぽっかりと浮かんでいた。
「つぶされちゃいそう」
「何が?」
「月。ほら、せっかくまんまるなのに」
そう言って名前が指差した方向に視線を走らせた藤真は、プッと吹き出す。
「なんかさ、あの時もそうだったけど、ぽつりとかわいいこと言うよな」
「え?」
「ん、なんでもねえよ」と後頭部にポンと手をあてられる。その感触がいつまでも残るのを感じながら、並んでゆっくりと歩いた。
「新居訪問のとき、奥さんにはオレもいるってこと言っておかないとさすがに悪いよな……」
「話しておくね。でも旦那さまには内緒ってどう?」
「お、それいいな」
「驚くだろうね、なんで!?って」
それを聞いて藤真は少し、考え込むような間をあけた。
「それなんだけどさ、なんでって聞かれたら、何て答える?」
「うーん、偶然は無理があり過ぎるよね。そうだなあ」
ふうっと大きく息をつくと、藤真はぴたりと立ち止まった。
「オレたち付き合ってるって答えない?」
「サプライズ的に?」
「いや、マジで。オレと付き合って欲しい」
「………」
今、なんて?と聞き返したつもりが声にならない。
「いきなりだけど、本気だから。驚かすためとかそんなんじゃない。あいつんち行った時にそう答えたいから、だから今言うしかないと思った」
見下ろされる視線に、口を閉じるのも忘れて絶句した。唐突過ぎる。想像を超える話のなりゆきに眩暈がしそうだ。
「そもそも今日、また会いたいと思ったから連絡したんだ」
今までになく心臓がドキドキ音をたて、息ができなくなりそう。苦しいくらい。気になっていたことの答えのはずなのに、まったく頭に入ってこない。
「付き合ってください。苗字さん」
やっとのことで見上げると、優しい目とかちあう。迷うことなんてない。何とか大きく頷くと、そっと大きな手がまた髪をなでた。
「ああ、良かったー。まだ言うべきじゃなかったかとかイロイロ考えちまったよ。でもあいつには当日まで秘密で驚かそうぜ」
「心臓に悪いよ……」
「へーきだよ、あいつとは散々修羅場を乗り越えて──」
「違う、私の心臓」
藤真は目を細めて笑った。
「そしたらまた介抱してやるよ」
そう言って彼は少し照れたように、優しく包み込むような眼差しで見下ろしてくる。ふたりの間を淡く春を含んだ夜風がそっと吹き抜けた。