中編

□conte 02
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焼き鳥『たかみや』
串だけでなく他の料理も凝っていて美味しいと一昨日訪れたときも思った。女性を意識してかワインも揃えてあり、しかもリーズナブルでコスパがよい。また来たいと思ったお店のひとつ。こんな形でお邪魔することになろうとは思いもしなかったけれど。
忘れ物を取りにいってくれたのは店主の息子さんだそうだ。物音がして、その彼が「ごめん、ごめん」と戻ってきた。

「高宮、一服してきたんだろ」
「してねえさ、仕事中は我慢してんだからよ」と言いながら名前の前にIDカードを置いた彼からは、かすかにタバコの匂いがした。
「ありがとうございます。助かりました」
「そのモツ煮どう?」
「あっさりヘルシーで美味しかったです。ビールにも日本酒にも合いそうですよね」
「あれ、なのにウーロン茶なんて飲んでんの?」
カウンター内に戻った高宮が背伸びをするように覗き込んできた。手を洗いながら、ひとつ空けた隣でくつろぐ彼に丸い顎で指図する。
「洋平、オメーだけ飲んでんじゃねえ。お客さまにも、ほら」
「オレも半分客なんだけどなあ」
そう言ってのっそりと立ち上がると、中に入りビールサーバーに手をかけた。

「え、そんな、大丈夫です!」
「待たせた詫びだって。一杯飲んでってよ」と高宮は仕込みの続きに入る。
「じゃ、オレも」
洋平と呼ばれた彼が嬉々としてビールを注ぎながら言った。
「オメーは払え。今までのツケも耳揃えてな」
「ケチくせえな。店のために宣伝したり、こうやって尽くしてんだろ」

まるでちょっとしたコントのようだ。ああ言えばこう言う、気兼ねのないやり取りがふたりの親しさを表している。長い付き合いなのだろう。
呆気に取られているうちにビールは注がれてしまった。細長いグラスには、いかにも冷たそうな金色の液体にこんもりと泡が盛り上がっていた。彼の長い指とともに、名前の前におりてきた。
短く切りそろえられた爪。すじ張っていながらしなやかで、意外ときれいな手の持ち主であることに名前は少し驚いた。

「どーぞ」
「なんかすみません。忘れ物取りにきただけなのに」
「遠慮すんなって。あんた……」と言いかけて、洋平はカウンターに置かれたIDカードに視線を落とすと言い直した。
「ワリ、あんたはねえよな。苗字……名前、ちゃん?」
「あ、はい」
「名前ちゃん、いいアイデアくれたし」
「そうでしたっけ……」
「はは、とにかく乾杯」
自分のグラスを名前のそれにコツンと当てて、彼は勢いよく傾けた。名前も控えめに口に運ぶ。喉に染み透るように冷たい。この一杯をいただいたら帰ろう。

「洋平、これ」とカウンター内から声が掛かった。渡されたのは自家製の漬物のようだ。
「赤かぶですか?」
名前は高宮に尋ねた。
「これは湘南レッドって地元の玉ねぎ。普通のより甘いよ。食ってみ」
本当だ。辛味がなくてほのかな甘みを感じる。
「彩りはいいけど、なんかつまんなくね?」
今度は高宮が名前に聞いた。

「つまんない……あ、このあいだデパ地下で見たんですけど、玉ねぎを切らずに丸ごと漬けたのを売ってましたよ。ゴロゴロ盛ってあって何だろうって思ったら玉ねぎで」
「丸ごとか、ボリューム感あるかもな」
「でもそれ、一個500円してそこもびっくり」
「高え!」
ふたりの声が揃った。
「おばんざいのお店みたいにカウンターにどーんと並べて置いたらかわいくないですか?」
赤紫色がアクセントになるし、目を引くだろう。洋平が口元を緩めて笑った。
「オレらに『かわいい』って発想なかったよ。どーんがかわいい? よくわかんねえけど、やっぱ女性目線は大事だな」
「あ……すみません、出しゃばって……」
「いやいや助かるっつうこと。こいつなんて食うことしか考えてねえからさ」
「そ、食ってりゃ幸せ。見てわかんね?」
カウンター内から高宮が応える。少し色の入ったメガネの奥の目は優しい。

名前は納得していた。見てわかるかどうかではなく、だから料理が美味しいのだと。もうひと切れ漬物をいただき、ビールを飲んだ。
グラスの底が見えてきている。もう少しで飲み終わることがなぜか惜しい。もったいない気がする。
忘れ物をしたこと、取りに来たこと、ここで待たされたことの気まずさも、もはやどこかへ吹き飛んでしまっていた。


──あのあと、その日の最初の客が入ったのを機に店を出た。
後日お礼も兼ねて友人3人と訪れれば、おすすめと書かれたメニューには『モツ煮【白】』と並んで『モツ煮【黒】』とあるではないか。もちろん黒を注文すれば、高宮が自らテーブルに運んできた。
「チーズたっぷり、おまけな」
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