中編

□conte 05
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時間も時間なので道路は空いていて、信号にひっかかることも少なく、快調に家路を辿りつつあった。ふいにバイクを路肩に寄せ、洋平が振り向いた。

「名前ちゃん、時間平気? 門限とか」
「特にないよ。学生の頃はうるさかったけど」
「じゃ、ちょっと息抜きしてこーぜ」

そう言うと、数十メートル先を左に入った。バイク用の駐輪場らしい。地上に降り立ってもまだ、車体からの振動とハスキーなエンジン音が身体に響くような気がした。

「どう、初バイク」
「臨場感がすごくて……気持ちいいね」
「だろ。自然と季節に敏感になるんだよ。ま、冬の寒さはヤバイけどな」

奥の階段を砂浜の手前まで下りた。道路からの灯りが心持ち届くばかりで薄暗い。ゆっくり歩く洋平についていく。

「座んねえ?」
石段を指して彼は言った。
「うん」と腰を下ろせば、名前は大きく潮風を吸い込んだ。目の前には暗い海が広がり、左右の沖にはそれぞれの半島の街明かりがキラキラと揺れている。

「久しぶりに夜の海に来たなあ」
「実はオレも。なんだかんだ久しぶり」
「そうなんだ。あ、洋平……さんって、何してる人か聞いてもいい?」
「さん付けはくすぐってーな。同い年だし、せめてくん呼びにしてよ」

洋平は足を組み、気さくな笑みを見せる。Tシャツの上に黒いライダースジャケット。ジーンズの下はバスケットシューズを履いており、薄闇の中でかろうじてナイキのロゴが見えた。

「オレ、カメラマン。っつうと聞こえがいいけど、まだまだ修行中の身の下っ端」
「へえ、例えば何を撮ったりするの?」
「写真をメディア向けに配信する会社のスポーツ部門にいんだわ。だからスポーツ選手がほとんどで、練習や試合だったり、インタビューとか」

なるほど。毎日スーツを着て会社勤めをするタイプに見えなかったから納得だ。その深く鋭い目でファインダーを覗き、被写体を捉えるのだろう。

「専門はそっちなんだけどさ、今度、先輩の結婚式の撮影頼まれてさっきその打合せに行ってきたわけ。お友達価格でよろしくだってよ」
「ワイルドでダイナミックな写真になりそうだね」
「ハハ、ま、畑違いだけど、貴重な一瞬を写し撮るって意味では似てっかもな」
洋平は笑って、片方の口の端だけあげてみせた。

「ねえ、どうしてカメラマンになろうと思ったの?」
会話の勢いのままに聞いてみた。聞いてみたくなった。
「んー、これ話しだすと長いぜ?」
「いいよ」
聞いてみたいのだから、かまわない。
「昔からのダチがひょんなことからバスケやり始めたんだけど、こいつが凄くてさ。試合見にいってるうちに撮り始めたらハマった」
名前は小さく頷きながら、隣に座る彼の次の言葉を待った。正面から潮騒とともに吹き抜ける風が心地よい。

「……で?」
軽い沈黙に、続きを促すと洋平は首をかしげた。
「カメラマンになろうと思った理由」
「だから、ダチの影響かな」
「そうなんだけど……長いって言わなかったっけ」
彼はぷっと笑った。
「以上」
「ちょっと! もう、覚悟してたのに」
「マジ? わりい。そんな真剣に聞いてくれてっと思わなくてさ」
堪えられないといった様子で、おかしそうに笑い続ける。自分はからかわれたのだろうか。

「そのダチがさ、桜木花道つうんだけど、ご立派な名だろ。それに負けず劣らずな男なんだけど、ヤツがIHの試合中に致命的に大きなケガしたことあったんだよ」
ひとしきり笑ったあと、彼はまた口を開いた。その声は若干硬い。
「それが一番のきっかけかな。なんつーの、一寸先は闇かもしれねえ……だから今、その瞬間を記録して残さねえとって思った。あ、花道は驚異的な肉体の持ち主でしっかり回復したからヘーキ」
ハッとして表情を崩した名前に気づき、洋平は言い添えた。

「名前ちゃん、これからもちょくちょく『たかみや』来てよ。きっと花道にも会えるぜ。一発でわかると思う、あ、こいつだって」
「バスケってことは、やっぱり大きいんだろうな」
「190以上ある」
「じゃあすぐわかるね、通わなくちゃ」
低く笑って洋平は答える。

「名前ちゃんに話しかけられたらビックリすんだろーな。あんな図体デカイくせに、女の子に弱くて笑えんだよ。でもあんまヤツを調子乗らせないように。おだてるとどこまでも登っちまうから」
愉快そうに話す様子から、彼らの関係性が伺い知れる。その花道にしろ、高宮にしろ、きっとかけがえのない同志的存在なのだろう。

「ふふ、おもしろそうな人だね。楽しみが出来た」
「あ、名前ちゃん、連絡先教えてくんね?」
「そうだね。なかなか彼に会えなかったら、今いるよって連絡ちょうだい」
それは半分冗談だったが、お店以外に接点が出来てちょっと嬉しい。洋平はニヤリと笑って言う。
「それにまた困ったときも呼び出すかもな」
「手伝えって?」
「そう。んで、お代は酒で」
「それ悪くないね」

ほのかな月明かりの下で、互いの連絡先を交換した。寄せてくる波は単調に反復を繰り返し、その音は静けさの中で実に規則正しい。
「そろそろ行こうか」と彼は言った。名前は胸の鼓動を悟られないように、彼の一歩後ろを歩いた。

結局、家の真ん前まで送ってもらった。バイクにまたがったまま、洋平はヘルメットのシールドをあげると「おやすみ」と言い、軽く手をあげて走り去った。
その姿が見えなくなってから家に入る。ちょうど日付が変わろうとする時間。遅いなどと咎められることはもちろんなかったが、翌日、母からちょっとした小言を言われた。

「まったく、靴が砂だらけだったわよ。責任もって玄関掃除しておいてね」
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