中編

□conte 06
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「好きなの……」
ためらいなく発された言葉。それはカウンター内の高宮の耳にも届いたに違いない。だが重苦しい空気を察してか、ちらりと寄こした視線は慌てて逸らされた。
「……どうしたらいいかわかんない」
「そっか」
「もう、どうすればいいのぉ〜、名前〜」

隣に座る友人は深いため息とともに頬杖をついた。彼氏とケンカをしたそうで、地元でゆっくり飲もうと誘ったのは名前だった。高校の同級生カップルであり放っておけない。その時、名前の携帯が震えた。
「やっぱりちゃんと向き合って話すしかないよね。ちょっとごめん、トイレ行ってくる」
そう言って席をたつと、化粧室に向かうフリをしながら店の外に出た。電話の相手は友人の彼氏だ。名前が呼び出した。その姿を認めると、こっちと手を振る。

「久しぶり……なのに悪かったな」
「ううん、そう思うならしっかり仲直りしてよね」
「あいつまだ怒ってる?」
「私がさんざん聞いたから大丈夫」
「ほら、やっぱりごめんな」

彼が苦々しく笑うので、名前は努めて明るく振舞った。とにかく行こうと彼の背を押すように促した時、ふっと視線を感じて振り返った。
洋平がいた。洋平は真っすぐにこちらを見つめていた。その射すくめるかのような鋭い目に一瞬別人かと思ったが、それよりも明らかな違和感は彼がスーツ姿だったからだ。きっと店に寄るところだと思い、軽く頭を下げると、名前は先に店に入った。あとから洋平が入ってきたのを背後に感じとった。

突然の彼氏の登場に少なからず驚く友人だが、
「迎えにきた」との言葉には素直に頷いた。
「名前、ありがと」
「またね」
きっとふたりは大丈夫、うまくいくだろう。出ていく後ろ姿を見届けて、名前も帰る支度をした。

「もう一杯飲んでいかねえ」
洋平が隣に座った。
「どうしたの、そのカッコ」
「ああ、これね」と言うと、持っていた大きな紙袋から白っぽいネクタイを見せる。
結婚式帰りらしい。そういえば聞いた覚えがある、先輩の結婚式でカメラマンをするのだと。
「黒服みてえじゃね?」
高宮が横やりを入れる。あながち見えなくもない。髪もいつも以上にしっかりセットしているからだろうか。なるほどと思いながらもその姿は新鮮だった。

「オトモダチの恋愛相談?」
「そんなところ」
「おつかれ。で、あっちはお迎え付きで、名前ちゃんはひとりポツンか」
そう言ってニヤリと笑う。さきほどは洋平から物々しい気配を感じたが、もういつもの柔和な表情だった。あれは何だったんだろう。

「痛いとこ突いてくるね……だから一杯付き合ってくれるんでしょ」
「喜んでお付き合いしますよ。しっかし、この間の迷子といい、バイトといい、巻き込まれること多くね」
「そうかもね。ま、あのふたりが仲直りしてくれたらそれでいいや」
洋平は呆れたように息を吐きだした。
「献身的だな。自分は後回し?」
「洋平くんだって、今日は先輩に頼まれてカメラマンしてきたんじゃないの?」
「オレは多少なりとも謝礼もらったぜ」
「じゃ、この一杯はおごってもらお」
「お、なんだよ、実はしたたかじゃん」

洋平は嫌な顔ひとつせず、あっさり承諾するように肩をすくめた。押しつけがましいところがなく、歯切れのよい話しぶりと嫌味のない冗談が、名前の気持ちをいつの間にか晴れやかにしてくれる。彼と同じ空間は居心地がよい。

「表で見かけたとき、名前ちゃんの彼氏かと思った」
不意に洋平が言った。
「すっげ楽しそうにしゃべってたからさ」
からかうような様子ではなく、感情を交えず淡々と。

名前はさも残念そうに否定してから「そんな人いないって」と笑って付け足した。さらに「洋平くんは?」と聞き返そうとして、開きかけた口をつぐんだ。
先日、夜の海岸に寄り道してから秘かに抱いていた疑問でもあったが、その答えが怖い。知りたいけれど知りたくない。慌てて別の話題を探す。

「あ、この間、桜木くんに会えたよ。すぐわかった」
「聞いた、聞いた。忠もいたんだってな」
「そう、忠さん、彼こそ同い年に見えないよ……」
ヒゲをたくわえ、一見落ち着いた雰囲気を醸しながら、笑うとたわんだ目が人懐っこい。愉快な人物だった。

「あと入れ違いでバイト交代した大楠ってヤツ入れて、その5人が例の中学からの仲間」
「じゃあ全員に会えたんだ。すごい」
「はは、すごくねーよ。ここ来りゃ、いくらだって会えるぜ」
それを聞いて、高宮の目が光る。
「オレはいつもいるからよ」
「当たりめぇじゃねーか」
彼らの軽快なやり取りは心和ませる。洋平はいたずらな少年のように口角をあげた。

名前は梅酒のソーダ割りを口にした。この梅リキュールは自家製だそうで、香りよく濃厚なのに後味は爽快でとても美味しい。これにハマって、この店をよく訪れるようになった── というのは表向きの理由で、自分は彼ら……いや彼に会いに来ているのかもしれない。

「お、洋平に名前さん」
背後が騒がしくなったと思ったら、3人の大柄な男たちがやってきた。名前にとって初めての全員集合。
「どうした、洋平、そのなんかのスカウトマンみてえなカッコ」
「どこの店のモンだぁ、お兄さんよぉ」
「名前さん、甘いこと言われてもそんな話に乗っちゃダメっすよ」

どこまで本気なのかわからない戯れに、容赦ない突っ込み、じゃれあうような掛け合いは、聞いているだけで楽しく、時には涙するほど笑わせてくれる。どうやらこの一杯ですまなくなりそうだ。名前はグラスの残りをゆっくり飲み干した。
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