藤真長編

□conte 13
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スーツケースのキャスターを転がすその音は、雨濡れた路地に浸みゆくように鈍く響き、規則正しいリズムをふたりの間にもたらしていた。
それに重なるように語られる彼女の珍道中は、笑いを含みながらも穏やかで、今日一日、厳しい言葉ばかり浴びてきた藤真の耳に優しく、快い。

「ワイン飲んで、チーズ食べて、最後はデザート生活。家に帰って体重計乗るのが怖いよ」
「チョコレート抱えて帰ってきてるしな」と言いながら藤真はそれをわざと重たそうにアピールした。

「スーツケースにも入ってるんだから。……ねぇ……これ、どうしたの?」

にこやかだった茉莉子の表情が変わった。藤真が荷物を肩に掛け直したときに、Tシャツの袖から青紫色に変色したあざが見えたのだ。

「何が?」
「気が付いてなかったの? かなり大きくあざになってるよ?」

ここ、と茉莉子は藤真の上腕に軽く触れた。後ろでわきに近い場所だったから見えていなかったらしい。というよりこれだけ青くなっているのに、気が付かないものなのか。

「マジ? あー、先輩もろともコケた時かな……?」
「あ、ごめん、荷物……」
「平気だよ。気付いてなかったくらいなんだから。それにバスケってけっこう激しいスポーツなんだぜ? こんな生傷、いつも絶えねえよ」
「格闘技みたい……」

そうだな、そうかもしれねえと藤真は頷いた。そして短い沈黙のあと、「試合中に大出血したことあったなー」と左のこめかみを指さした。
確かに――― 目をこらして見ないとわからないくらいだが、縫ったあとが微かにある。

「試合中に?」
「そ。相手の肘が入っちまってさ。その試合はもうオレ、アウト。倒れて目ぇ覚ました時には負けてた。それこそ格闘技みたいだろ?」 

あくまで落ち着いた声で言い、藤真は前髪をくしゃっとかきわけた。久しぶりにあの時のことを思い出した。ねっとりと肌にまとわりつくような湿気がうとましい。

「それって、あの牧くんって人に……?」
「は? なんで牧? つーか、牧のことなんで知ってんの?」
「この間の試合で。えっと高野くんが教えてくれた。いろいろ」
「いろいろ? いや、あのケガは牧じゃなくて、南って別のヤツ」
「その試合に負けて、決勝リーグ逃して、牧くんとの勝負も出来なかったとかいう……?」
「それとも違ぇ。湘北戦のことだな…あいつら何、調子こいてしゃべってんだ……。南とはその1年前のIHでのことだよ」

茉莉子との会話の流れには、ごく自然にこんな過去の告白もどきへと流れつくものがあったのだから不思議だ。
深入りせずさらっと聞いてくれるから、話してもいいかと思わせられた。知り得た情報を当てはめて、理解しようとしてくれた。
だが、どうやらそれらは彼女の想像を越えていたようで、「あちこちに因縁の相手がいるのね」と目を丸くして感心し、呆気にとられている。

自分でもずいぶん濃厚な高校時代を送ってきたもんだぜ、と思わなくもない。監督まで兼任したし。藤真も呆れたように小さなため息をついた。
だが、自分でも意識できないほどかすかだが、勝手に頬が緩むのを感じていた。
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