三井長編 続編・番外編

□En confiance 6
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以前、友人と何気なく入った中国茶専門店で、初めて知った中国の工芸茶。湯を注ぐと鞠のように束ねられた茶葉が開き、中から花が立ち上ってくる。香りと味わいだけでなく、目でも楽しませてくれるそれに感動したものだ。
本場で買ってきてもらいたかったが、今となってはいらない。いらないから―――


会社に行く気分じゃないような、逆に行かねばならない日常があることが有難いような。そんな複雑な気持ちとは対称的に、駅からオフィス街へと続く街路樹は新緑滴るごとく、春の日差しをうけ輝いている。

とにかく余計なことは考えず、来週、三井の出張が終わるまでの日々をやり過ごそう。こんな時こそ慎重に。注意深く心して仕事をした。それでもやはり防ぎきれないのだろうか。海外送金の書類に不備を見つけた。何度もチェックしたつもりだったのに。

そろそろ監査が入ってもおかしくない時期。その日のうちに取引先に伺うことにした。

「アポ取れた? 同行するよ」と上司であるマネージャーが申し出てくれた。
「いえ、近いですし、ひとりで大丈夫です」
「まだそこの会社に新任の挨拶に行けてなかったから、ちょうどいいんだ」

そう、近い。先方のオフィスは、三井の勤務する横浜支社がある一角だと思われる。業務終了間際にマネージャーとともに向かった。


「お、日本酒バルだって。北口の方がおもしろそうな店が多いな。観光地に近くなるからかな」
「マネージャー、お酒好きですか?」
「それなりに。中林さんは?」
「私もそれなりに、ですね。他の皆もけっこう飲みますよ? 融資の山田たちとよく飲みに行きます」
「へえ」

そんな気安い会話をしながらも、頭の中のまったく別のところで紫帆の思考にべったりと貼りつくものがある。振り払おうとしているのに消えてくれない。消えるどころか、三井の会社のビルが見えてきた。
今こうしている間もあそこで一緒に仕事をしているのかもしれない。そう思うと紫帆はなるべくそちらを見ないようにした。



足りなかった書類をいただき、その間にマネージャーは名刺交換を済ませ、その場をあとにした。

「これで一安心だな。この会社のL/C取引はほとんどウチ?」
「はい。いいお客様なので助かりました」

エレベーターを降り、ビルのロビーに降り立った。外はすっかり薄暗くなってきている。エントランスを抜けようとしたとき、マネージャーがふいに口を開いた。

「中林さん、ここ数日、肩肘張り過ぎだよ。慎重なのはいいけど、それはそれでかえって自分が窮屈だろ。普段のリズムが一番だよ」
「………すみません」
「いや、謝って欲しいわけじゃない。今後のためにね。さ、戻ってやることやったら、残ってるやつで飲みに行こうか。酒、それなりに好きだろ?」

紫帆はマネージャーの目を見て「それなりに」と微笑んだ。そのまま後ろの三井のいるであろうビルを振り返ることなく、歩きだした。
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