三井長編 続編・番外編

□En confiance 9
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ごめん―――
ホテルのバーラウンジという華やかな空間に不似合いな言葉。

市村は大きく息をついた。こうなることはわかっていたのだから、何の異論もない。自分の肩から緩やかに力が抜けていくのを感じた。

「スッキリした。それにしても、三井、ホントに気が付いてなかったの? バレンタインとか、ここ最近よく飲みに行ったりもしてたのに。 そんなんで大丈夫? せっかく区切りをつけたのに、彼女とうまくやってってくれないと、私、報われないんですけど」

一気に話したので、市村は少し息が苦しくなった。今言える精一杯のこと。

「ああ、そうだな」と呟いて、三井はグラスの丸い氷を見つめた。上海の街の煌びやかな光を反射して、淡く揺らめいている。

混乱の中でわかったのは、どうしようもない……ということだけだった。
市村の気持ちには応えられない。これはどうにもならない。そしてそれに気付きもしなかった自分。自分の不甲斐なさ。どうしようもねえ。どうして気が付いてやれなかったのだろう。
半ばうつむいたまま、三井は眼前に広がる夜景に無感覚な視線を移した。


ラウンジを出て、エレベーターホールまでゆっくりと歩いていった。
先に市村が、続いて三井もエレベーターに乗り込む。最上階なので他に誰もいない。乗ってくる者もいない。

腕を伸ばして階数のボタンを押すと同時に、三井は背に手をあてられる感触を得た。そのまま寄りかかるように頭をもたせかけてきた市村。
「今だけ……」という彼女の声は小さく消えそうで、震えているような気がした。

「言うつもりなかったのに…な。……ごめん」
「なんで市村が謝んだよ……」
「だって三井、困ったでしょ?」

まっすぐ前を見据えたまま、「そんなことねえ」と三井は短く否定した。その答えに彼女はクスッと笑ったようだ。わずかな揺れが背中越しに伝わってきた。

「ほら、今も困ってる」と言うと市村は大きく深呼吸した。
「これで終わりにするから……明日から今まで通りで……ね」
「ああ」
「じゃ、おやすみ」

背中がフッと軽くなったと思うと、静かに開いた扉から市村が出ていった。髪に隠れて顔は見えない。三井も降りて、市村に続くように廊下を歩きだした。
絨毯敷きの廊下は足音ひとつせず、数メートル先でドアが閉まる音だけが聞こえた。



翌日は上海支店に出向き、契約のチェックやら確認を済ませた。
市村は『今まで通り』と言った通り、いつもと変わらなかったが、違う点をあえてあげるならば、それは眼鏡を掛けていたこと。普段はコンタクトだったようだ。初めて見た。

そして、帰りの便では疲れたと、アイマスクをつけ早々に寝てしまった。飛行機は定刻に成田に着いた。
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