三井長編 続編・番外編

□En confiance 10
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うららかな春の朝――
と言いたいところだが、どちかといえば昼に近い時間であり、しかもこの状況。ちっとも穏やかでない。

「昨日、何も言ってなかったから、まさか来るなんて……」
「わりぃ、疲れて寝ちまった」

だからこうやって来たのだと言って、三井はベッドサイドにゆっくりと腰をおろした。その横顔を窓から差し込んだ陽が柔らかく包む。少し憂いを帯びていて、いつもと雰囲気が違う。
しかも、「ちょっと久しぶりだな……」と乱れた髪をといてくれる三井はやけに優しい。

そんな風に感じるのは、自分になんとなく身構えている部分があるからだろうか。何かあったのでは……との昨夜の直観が紫帆の脳裏に影を落とす。

「出張は無事終了?」
「ああ、接待でうまい中華も食ってきた」
「いいな」
「上海の街も、あれだな、近未来って感じで高層ビルばっか」
「仕事以外の時間もあったの?」
「移動とちょっとみやげ買ったくらいしかねえ」

そうじゃない。聞きたいのはそんなことじゃない。紫帆は頭の中で首を振った。それに自分はこんな煮えきらない性格だっただろうか。そんな自身への呆れもあり、どうしたらいいかわからなくて、紫帆は視線を落とした。


「あ、そうだ」と床に置いてあった紙袋に三井は手を伸ばした。みやげと口にして思い出したらしい。渡されたそれを開けると、工芸茶のセットだった。

「あ…買ってきてくれたんだ……。ありがとう。しかもポットまで」
「種類がいっぱいあり過ぎてよ。わかんなかったから、店員に適当に選んでもらった。そのガラスのも必要だっつうから」

酔ったときの戯れのような要求。具体的に伝えなかったのだから、きっと探してくれたのだろう。
愛しい人が自分のために。それだけで心が温まった。そして上海でも自分のことを考えてくれていた証拠のように感じられた。

「ね、お茶淹れるから下に行こ。寿にこれ見せたい」


洗ったティーポットを湯で温めてから、改めて熱湯を注ぐ。そこに直径2センチほどの球体に丸められた茶葉をひとつ。数秒もすると、自然と開き始めた。少しづつ膨らんで、まるで生き物のよう。

「生きてるみてー。気持ち悪いくらいだな」
「情緒ないこと言わないでよ」

やがて、オレンジ色とピンク色がのぞき、咲くように花びらが開き出した。まるで開花シーンをスローモーションでみているようだ。予想外だったようで、三井も熱心に見入っている。

「へえ、マジで花が咲いた。すげえ」
「でしょ?」と言って、嬉しそうに目を輝かせる紫帆を、三井は満足げに見守っていた。

2,3分蒸らし抽出してから、カップについだ。とたんに広がるジャスミンの良い香り。上品で芳しい。ひと口ふくめば、それは鼻をぬけるように浸みわたり、温かな味わいは心を落ち着かせてくれる。
ここのところ所在なく気もそぞろだったが、いつもの自分に戻れた気がした。今なら――

「ねえ……上海で……何かあった?」と迷いを捨てて切り出した。三井はいくらか表情を堅くした。

「なんで?」
「何となく」
「いや、何も」

いちどはそう否定したが、すぐに「いや、正直言うと……ちょっと」と言い直した。そしてお茶を飲むと三井は大きく息をつく。

三井は考えあぐねていた。わざわざする話でもない。むしろ自分の中だけに収めておきたい、おくべきかとも思った。
だが、やはり紫帆には知ってほしい。情けないところだろうと、どうしようもなさだろうと、未熟さも自責の念も後悔も。自分のすべてを、彼女には。

ガラスの中で揺らめく花を見つめ、短い沈黙のあと、落ち着いた声で三井は話しだした。
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