大学編 流川

□conte 02
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「マジかよ……!」
ふたりの驚きの声が重なった。
「そこって、そこ? 同じ階?」
「つーか、おまえ彼女と接点あったっけ」
「ねーけど顔はわかる」

流川は鍵を開け部屋に入った。初めてにもかかわらず、勝手知ったる様子で三井と宮城が後から続く。遠慮のかけらもない。
週末の練習後、「おまえんち行っていい?」という宮城の言葉を聞こえないふりでやり過ごしていたのに、気づいたら押し切られていた。しかも、思いつきで声をかけたはずの三井とやけにスムーズに合流したところを見ると、最初からうちに来るつもりだったと思われる。相変わらず油断ならない人たちだ。

部屋の中はまだがらんとして、家具めいたものはほとんどない。折りたためる簡易テーブルがあるだけだった。だが予想通りだったようで、ふたりはズカズカと入り込むと買ってきたものを広げ始めた。
食べ物はほとんど出来合いの品だが、宮城が得意の焼きそばを作ってやると言い出し、それだけは材料を見繕ってきた。麺と豚肉とカット野菜を買った。しかし問題発生。キッチンともいえないスペースに立った宮城が振り返った。

「なあ、フライパンどこ?」
「ねえっす」
「フライパンだぜ? こういう丸くて平べったい」
そのくらいわかる。
「だからそんなもん、ねー」
「え、どーすんだよ、肉とか。買ってる時に気づけよ」と言っても後の祭り。呆れつつも流川ならあり得なくもないと思い直したようだ。

「おまえ、借りてこい」
「どこで」
「決まってんだろ、玲ちゃんに……あ、だめだ、油もねえ。わかった、三井さん借りにいってきて。流川はコンビニでサラダ油買ってこい。さすがに油も貸してくださいとは言えねえ」
「はあ? なんでオレが」
突然指名をうけた三井が自分を指差した。

「三井さんが一番彼女と会った回数多いっしょ。藤真さんとも親しいし、ほら、一緒に飲んだとか言ってたじゃん」
「そうかもしんねえけど、フライパン貸してなんて間抜けなことヤダね」
「あっちだって、愛想ねえ流川が来るより三井さんのがドア開けてくれるって」
「なら宮城が行きゃーいいだろ」
「じゃ、ここは公平にじゃんけんしよーぜ」
有無を言わさず宮城がかまえる。じゃんけんの掛け声にほぼ反射的に手を出した三井の顔が、次の瞬間歪んだ。


エレベーターに向かいながら三井に彼女の部屋を教え、流川はコンビニに向かう。彼女が不在だったら、油を買いにいく意味はあるんだろうかと思ったが、無駄足だったとしても自分が借りにいかされるよりましだ。
狭い店内とはいえ、油がどこに置いてあるかわからない。ぐるぐると回ったあげく、中央棚で発見し、無事買うことが出来た。家に戻れば、三井が何やら怒り狂っている。遅いとでも言うのだろうか。

「てっめ、流川! ハメやがったな」
「は?」
「言われた部屋行ったら違ったんだよ。玲ちゃんちはその隣。ちょうど彼女出てきたから助かったけどよ、マジざけんな。恥かかせやがって」
部屋番号を間違えて記憶していた。決してわざとではない。自分が行かされなくてよかったと流川は心底思った。

「で、おまえは? なんか変なもん買ってきたんじゃねえだろうな」と宮城がひょいと袋を手に取った。
「お、よしよし。やれば出来んじゃん」
ったりめーだと喉まで出かかったが、声にはしなかった。


床の上にじかに座り込み、三井はすでにビールを飲んでいた。小さなテーブルの上にはホットプレートが。焼きそばを作ると言ったら、それを貸してくれたそうだ。使う予定はないから、返すのはいつでもいいとのこと。
宮城は手慣れた手つきで肉と野菜を炒め、その間に時短だと麺をレンジでチンして加える。ソースの匂いが食欲をそそる。

「お、旨そう。これ借りてきたオレのおかげだな」
「作ったのオレだから。つうか、それ言うなら玲ちゃんのおかげっしょ」

宮城も食べながら作れるし、出来たらこのまま取って食べればいいし、確かにフライパンよりもいい。ウィンナーを焼いたり、買ってきた餃子の保温まで出来るとホットプレートは万能だった。

「困ったことあったら言ってね、って言ってたぜ」
「こんな何もねえ部屋、困りごとだらけだろ」
「困ってねー」
それにそんなのは社交辞令だ。真に受けるほどバカじゃないし、頼るほど親しくもない。

「流川が独り暮らしなんてやべえと思ったけど、いいとこ越してきたよな。でも玲ちゃんにしてみたらはた迷惑でしかねーな」
ゲラゲラと笑うふたりの間で勝手に話は進行していく。流川は黙々とやきそばを頬張った。


「仙道がアメリカ行ってから、半年以上たつのか」
差し当たり空腹が満たされたらしき宮城が、溜息に似た声で呟いた。ふいにあがった名前に、ちらりと流川は視線をあげる。

「ああ、仙道のために彼女の方から別れようって言ったらしくてさ。何でもないように振る舞ってたけど、ちょっと痛々しかったぜ」
神妙な顔つきで三井が言った。
「べつに別れなくても、遠距離でよくないっすか」
「知らねえよ。生半可な覚悟で送り出せねえと思ったんじゃね? 愛だよ、愛」
「三井さんの口から愛って」
「文句あんのかよ」
三井が唇を尖らせて抗議した。

「まだ仙道のこと想ってんのかな」
「さあな」
「でも、オレ、相手のためってすっげえわかる。幸せで笑っててくれるなら何だってする」
そう言うと、うっとりした表情を宮城は浮かべた。

「はいはい、彩子のことだろ。おめえの話はいいから」
「なんでだよお。最近、アヤちゃんとなかなか会えなくってさ」
「てめえのことは、てめえで何とかしろ」
「だから今日も誘ったんだよ。けど、やっぱりちょっと行けないわって……。流川んちなら気になって来るかと思ったんだけどなー。ちょっと行けない、ちょっとって何だと思う?」
「知るかよっ」

やはり最初からそういう計画だったのだ。この話は長くなりそうだと思った流川は、寝てもいいようにそっと壁に寄りかかった。



翌日、暗くなってからホットプレートを入れた紙袋を持って、流川は玄関を出た。甘ったるいくらいの夜風が身体を包み込む。
その時、ちょうどエレベーターが静かに開き、スーツ姿の男が下りてきた。背を向け歩いていく後ろ姿と距離を取るようにゆっくり歩き始めてから、流川はふと足を止めた。彼がドアホンを押すのは、玲の部屋ではないだろうか。昨日はミスったからこそ間違いない。

ドアが開き、男が入っていくのを眺めていたが、くるりと踵を返して自分の部屋に戻った。よくわからないが、部屋に招き入れるのだから、そういう仲の相手なのだろう。
昨夜の三井と宮城の話が思い出される。女なんて薄情な生きモノだと思っていたけれど、彼女も例外ではなかったらしい。流川は手にしていた紙袋を玄関に置いた。
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