大学編 流川

□conte 05
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信号が変わり、人の流れに乗って交差点を渡れば、すぐ後ろを流川がついてくる。
ホームセンターに寄っていこうと提案した時は、なに言ってんだこいつという顔をされたが、「フライパンまだでしょ」と言い添えると、腑に落ちたようでコクリと頷いた。

日曜の午後の穏やかでのんびりした空気が辺りに漂う。店舗内も家族連れ、夫婦、カップルで賑わっており、くつろぎに満ちていた。奥行きがあり、思ったより中は広い。
「キッチン用品は、っと」
玲はかまわずどんどん進んでいった。まったく感心がなさそうだが、言われるがままに付き従う流川。ふいに肩を掴まれた。
「あっち」
背の高さゆえか、売り場を見つけたようだ。鍋やフライパンが豊富に陳列されている。

「初心者は安いのでいいよね、焦がしちゃったりするだろうし」
「焦がさねえ」
初心者という言葉が気に食わなかったらしい。じゃあと鉄製の高級フライパンを指させば、チラリと値段を見て、おとなしく手頃なラインナップを物色し始めた。

「コレ……」
「大き過ぎるでしょ。置き場所に困るよ」
自分に合わせて大きいサイズを選ぶクセがついているのだろう。仙道もそうだった。
「じゃ、コレ」
「そのくらいかな」
あっさりそれに決めると、玲を振り返った。

「……そっち、買うもんは」
「私? 大丈夫、特にないから」と言ったものの、やっぱりちょっと待ってと隣の通路に向かう。商品を手に戻れば、ちらりと流川は視線をよこした。
「コーヒーのフィルター、切れそうなの思い出して」
ああ、と頷き歩き始めた流川だが、ぽつりと呟く。
「あんたの淹れたコーヒー、美味しかった」
「ほんと?って、全自動のコーヒーマシンのおかげなんだけど。でも豆はこだわりのコナコーヒーだよ……まあ、それも姉が買ったんだけどね」
珍しく流川からしゃべったかと思いきや、こちらの返事を聞いているのか、聞いていないのか、どんどん歩いていってしまう。だが急にその足が止まった。

「どうしたの」背中にぶつかりそうになって玲が尋ねた。答えは返ってこない。併設されたペットショップの前、流川はガラスケースをじっと見ていた。小さな子猫が数匹じゃれあっている。彼のことだからして大きく表情を変える、なんてことはないのだが、黙って見入るその目は驚くほどに優しげだ。思いがけないものを見てしまった。

「かわいいね」
「………」
「猫、好き? なんか意外」
「実家で飼ってる」
「へえ」
睨まれるかと思ったが、そんなことはなかった。そのままころころと戯れ合う子猫たちを眺める流川。いつもこのくらい可愛げがあればいいのに。もう一度こっそりその横顔を見上げてから、玲は隣のケースに目を移した。

「ねぇ、この子、耳が垂れてる。かっわい〜。なんて種類だろ、スコティッシュ・フォールドっていうんだ……え、うそ、30万だって」
そう言って、流川を振り返れば── いない。置いていかれた。すべて独り言になってしまったじゃないか。なんなんだ、まったく。
しかし辺りを見渡せば、人より背の高い彼のこと、前方にその姿を見つけた。近づいていくと、そこにはちょっとした人だかりができており、上から覗くように流川は立っていた。それは実演販売。

「見てください、この驚きの固定力」
目立つ赤いエプロン姿の男性が、声を張り上げてデモンストレーションをしているのは、ウエストに巻く骨盤ベルトだった。『骨盤整隊ギュウレンジャー』というのが商品名らしい。

「このバネの部分は、なんとマグロの一本釣りにも使われる強靭なものでギュウっと引き締め上げてくれます。こうやって……」
自分に装着してみせる様子を、フライパンを片手に流川は真剣に見入る。その様子は、なんだかちょっと可笑しい。
「普段、スポーツされるような元気な方でも、ジャンプや低姿勢を続けると筋疲労により腰痛になりやすいですからね、そこで……」
なるほどと興味深げに頷いている。感心するなら、商品よりも実演者のコミュニケーション術のほうにしてほしい。少しは見習ったらどうだろうか。

「流川くん、流川くんったら。行こう」
いたのかと言わんばかりの顔つきで、流川は振り向いた。その大様なくらいにマイペースなところ、誰かに似ている── 玲は呆れたようにため息をついた。



それからしばらくというもの、流川と偶然出会うことはなく、フライパンの使用状況はわからないまま2週間が過ぎようとしていた。
その日は友人たちと飲んだ帰り道、もうすぐマンションに着くというところで、前を行く広い背中を見つけた。間違いない、流川だ。エレベーターホールで合流すれば、軽く頭を下げてくるが、相変わらず愛想もへったくれもない。

「おつかれ。遅いんだね」
「終わってからセンパイたちと飯食った」
「そっか」
開いたエレベーターに乗り込んだ。奥の壁に寄りかかる流川の前に、背中を向けて玲が立った。小さな箱の中に沈黙が広がるが、そこに気まずさはない。無理して場を取り持とうとする必要がない相手だということは、ここ最近で学んだことであり、ぼんやりと頭上のインジケーターを見つめていた。

「着いたぜ、おい」
流川の声にハッとした。慌てて降りようとすれば、扉が閉まりかけ、後ろから伸びてきた流川の腕が押さえてくれた。
しかしその時、ぶつかった弾みで玲の手から何かが落ちた。乾いた金属音がしたかと思うと、それはフロアとの境目に吸い込まれるように消えた。隙間に落ちた──

「えっ、嘘でしょ……ええっ」
動揺のあまり、隙間を覗き込むが、何も見えるはずがない。おそらく下に落ちた。その下というのもどこになるのか……。
「なに落とした?」
さすがに流川が聞いてきた。
「……鍵、落とした。家の……どうしよう」
情けない声しかでなかった。
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