大学編 流川

□conte 10
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冷蔵庫を開ければ、藤真の買ってきたビールが並んでいた。そのうち戻ってくるであろう彼のために、何か作っておこうかとキッチンに立った玲は、冷凍しておいた肉を解凍し始める。他にもツマミになりそうなものを見繕っていると、玄関ドアが開く音がした。
思ったより早いお帰りだ。顔を上げると、自宅かのように遠慮なく入ってきた藤真の背後に、さらに大きな姿が見えた──

「連れてきちまったけどいいよな。流川んち、なーんもねえの」

それは想像がつく。いや、先日この目で見た。だからといって、流川を連れてくることまでは予想していなかった。その切替の速さと行動力、藤真らしいといえば藤真らしい。
流川がウスと軽く頭を下げる。かろうじて笑みを作り、「そこに座って」と藤真の隣をうながしたが、不自然じゃなかっただろうか。
流川はといえば、事もなげな様子で、いつもと変わらず愛想もなければ平然としている。最初の驚きが去ってみると、バッタリ出会ってしまうより、藤真というクッションが入ることは悪くないと思えてきた。

「流川、ビールでいいか?」
「いや、明日、朝早えから」
「玲、お茶……あ、あったあった。これもらうぞ」

視線だけを送った。どうぞ勝手にやってくださいという気持ちだ。

「なんだよ、明日試合か? どことやんの」
「T大っす」
「オレンジユニんとこか。確か2メートル超えの留学生がいるんだよな。他もけっこうおまえぐらいのがゴロゴロいたような」

バスケの話に興じる、といっても圧倒的に藤真が話し手で、流川は時折言葉を返す程度だが、その間に玲は肩ロースを照り焼きにした。

「お、いい匂い。ご飯欲しくなるな」
「あるよ……食べる?」
流川も大きく頷いた。

「明日早えって、もしかして向こうが会場?」
ご飯の上に肉を乗せながら、藤真が尋ねた。玲もビール開けて、飲みながらふたりの前に座る。

「そうっす」
「あそこほぼ山ん中だぜ。新宿から1時間以上、大丈夫かよ」
「宮城さんと待ち合わせた」
「ちげぇ、起きれんのかってこと、って何でオレが心配しねーといけねえんだ。おまえさ、朝起こしてくれるような相手いねえのかよ。昔から女にキャーキャー言われてんじゃん。その気になりゃいくらでもいるだろ」

それを藤真が言うのか、と玲は呆れた。自分だって、シュート1本、いや、髪をかき上げるだけといった一挙手一投足に黄色い歓声があがるくせに。
思案気にしていた流川だが、おもむろに視線をこちらに寄越した。指さすように。藤真が呆れ顔で言う。

「玲? こいつは金取るってよ、早朝料金プラスで。そういうんじゃなくて、彼女、特定の女っつうか、好きな女。いねーの?」

もちろん恋バナは好きだ。いつもだったら嬉々として参加する。だが、心なしか居た堪れないのは、あの時、流川とおかしな雰囲気になったからかもしれない。なぜか気まずい。
どうしよう、何か言った方がいいかと内心焦っていると、藤真の声が玲にも向けられた。

「おまえもだよ。あんな酔っぱらって危なっかしいったらねえ。また試合見にこい、誰か紹介してやる」
「……この間の話の続きならもういいって。飲み過ぎたのは認めるけど」
「流川にまで迷惑かけて、なあ」
「別に。迷惑じゃねえっす」
珍しく流川は即、否定した。

「へえ、流川って意外と気ぃ遣うヤツなんだな、メシ食わせてもらってるからっていいんだぞ」
「あ、流川くん、マカロニサラダもあるんだけど食べる?」
コクリと頷かれた。
「食いもんで釣るなよ……ってか、オレにもくれ」

とりあえず話題が変わったことにホッとしたのもつかの間、自分もサラダを摘まみつつビールを傾けたところで、藤真からその問いが飛んだ。

「流川って、下の名前なんだっけ」

吹き出しそうになった。それ自体はたわいない些細な質問だ。取るに足らない。

「……カエデっす」
「ほら、やっぱカエデだってよ。な、オレの記憶は正しい」

だが、自慢気にこちらに振らないで欲しかった。流川の鋭い視線が投げられた。藤真に確認したことが明らかにバレた。その目に非難のようなものをヒシヒシと感じる。流川の顔を見ることができない。

「木へんに風か。オレも漢字一文字が良かったなー。楽だしカッコよくね? 花形も透だし、三井も寿って、ん、三井ってよく考えたらめでてえ名だな」

さすがにそこで仙道の名は出さないものの、何を言い出すかわからない。ビールを取りに行くふりをして玲は席を立った。 

 
それからほどなく、藤真と流川はじゃあなと帰っていった。結局、ふたりは何をしに来たのだろう。
食器を片付けようとしたところで、藤真が被ってきたキャップをソファーに置き忘れていることに気付いた。ちょうど玄関チャイムが鳴る。だからてっきり藤真が戻ってきたのだと思った。疑いもせず玄関ドアを開ければ、立っていたのは流川だった。

「あ……健司は?」
「帰った」
「そっか」

流川も何か忘れたのかと尋ねたが、違うらしい。
沈黙が流れた。室内からの明かりで、薄暗い廊下の壁にふたりの影が大きく映し出されている。前髪の下から流川の目が真っ直ぐに玲を捉えた。

「さっきのあれ、アンタだから」
「あれ?」
「好きな女ってやつ」

玲は不意打ちを食らったような思いで、ただただ瞬きを繰り返す。少しばかりの前兆があったといえばあったが、それでもにわかに信じがたい。流川を正視できず視線を落とした。
どう返せばいいのか、言葉を必死に探すが見つからない。たぶん、いや、きっと……彼からこんなことを言うのは初めてだろう。傲慢かもしれないが、流川を傷つけるようなことはしたくなかった。

「アンタのことだから」

念を押すように流川はもう一度言うと、背を向け去って行く。その姿が奥のドアに消えても、玲はしばらくの間立ち尽くしていた。
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