大学編 流川

□conte 12
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行きはついていくことに必死で気付かなかったが、あの日、流川はかなり自転車の速度を合わせてくれていたようだ。帰り道、振り返る彼と何度か目があった。ニコリともしない。けれど、その視線からは温かさと気遣いが感じられた。
そしてその後も駅での遭遇は繰り返される。今日も当然のように合流し、エレベーターを降りたところで別れた。

「ただいま」
玄関に姉の靴があったので、奥に声を掛けた。
「おかえり」
メイクを落としていないところを見ると、彼女も少し前に帰宅したばかりらしい。
「あ、ねえ、自転車に空気入れてくれたんだね」
「流川くんが……ってお姉ちゃんが頼んだんでしょ」
「そうそう、忘れられちゃうかと思ったのに。ふーん、そっか」
姉がなぜか満足そうに独りごちる。
「この間なんかさ、そこの廊下で会ったとき、あからさまにがっかりした顔されちゃったよ。意外と彼、わかりやすいね」
そう言ってにやりと笑う。首を傾げることでしか答えられない。
「かわいいじゃん。だから、玲は今日はバイトだよって。ついでにバイトの曜日と時間教えてあげた」

玲は小さく嘆息した。やはり偶然ではなかった。薄々感じていたけれど、自分の思い上がりかもしれないと考えないようにしていたのに。

「個人情報をべらべらと……」
「役に立ってるみたいじゃない?」
「え?」
「さっき駅のロータリーで彼を見かけたよ。帰り、一緒になったでしょ」
「あれは……いつもランニングがあの時間らしくて……」
「ランニングねえ。ん? いつもって、え、もしかして毎回なの?」
玲はぐっと詰まった。週2回とはいえ、今のところ確かにそうだった。

「それは予想以上だなあ。流川くんってそういうタイプなんだ、真っ直ぐというか純粋というか。あんな大きい身体してピュアなんて、ますますかわいいじゃーん」
「し、知らないって。それより早くお風呂入ってよ」

面白がる姉を追い立てながらも、玲は戸惑っていた。こんなに迷いなく一直線に流川が向かってくるとは思わなかった。皆が口を揃えて、流川はバスケにしか興味がないというくらいなのだから、そんなに女性に免疫があるとは思えない。少し距離が近づき過ぎたのだろう。だからこれはきっと彼の勘違い、錯覚だ。
あまり会わない方がいいのかもしれない。ぼんやりと考えながら、玲は自室に向かった。



都が主催の選手権大会が終わり一段落した。早朝に目が覚めた流川は、バスケコートのある公園へ自転車を走らせ、ひと汗かく。
その帰り、ふと、三井の家が近いことに思い当たった。いつでも来いよとの言葉を疑いもせず鵜呑みにして、インターフォンのボタンを押す。3回目で明らかに寝起きの返事に続き、ややあってドアが開いた。

「早ぇよ……まったく、おまえは常識ってモンねえのか」
「コーヒー買ってきたっす」
言って、何気なく部屋の中に目をやった。ワンルームの部屋は玄関からすべてが一目瞭然。ベッドに誰か寝ている。薄手の毛布から小さな頭だけが見えた。
さすがに流川も察する── が、同時に靴箱の上に置かれたキャップに目が釘付けになった。どうしてこれが。

「……玲サン」
「へ?」
「玲サン、なんすか……あれ」
声が掠れるのを感じながら流川は聞いた。
「はあ? 何でだよ、んなわけねーだろ」
一旦はそう言った三井だが、思い直したように「いや、当たらずとも遠からず、かもな」と続けた。

その時、うるせえなとベッドの上から声がした。どこからどう聞いても男の声。
「……流川? なんでこんな早くから、迷惑なやつだな」
気だるげに起き上がったのは藤真だった。
「迷惑はおまえだろ、ベッド取りやがって」
「そういや三井の家だっけ。あー、昨日はよく飲んだ、飲んだ」
何となく状況を理解し、流川は部屋にあがる。キッチンには空き缶が所せましと並んでいた。

「で── なんであいつだと思った?」
大あくびをしながら、藤真が言う。それが自分に向けられている質問と気付くまで少し間があった。うるせえと言いつつ、藤真の耳は玄関でのやり取りを聞き逃さなかったようだ。

「あのキャップ、玲サンのじゃねえんすか」
「あれオレの。ああ、この間、玲んちに忘れてったからそれでか。あれからも家に行ったりしてるわけ?」
「行ってねえ。けどあの日、ずっと被ってたから」
「あいつ、勝手に使いやがったな。それで、あの日って?」
「チャリで出掛けた時」
流れるような問いかけに、聞かれるままに答えてしまう。身構える暇もない。

「それってふたりで?」
三井も割って入ってきた。頷くと、藤真が意味ありげな笑みを浮かべる。
「あんな近くに住んでんだから、親しくもなるか。しょっちゅう顔合わせるしな」
「……この1、2週間は会ってねえっす」

本当のことだった。例の時間にランニングに出て、駅に寄っても会えなかった。その日は何か変更があったのかもしれない。けれどその後もかすりもしなければ、もちろん日常の偶然もない。
「避けられてるのかもしれねー……」
溜息とともに思わず呟いてしまった。何でこんなことを口走ってしまったのだろう。藤真の誘導尋問のせいだ。

「おまえさ──」
何か言いかけた藤真だが、仕切り直すように髪をかき上げた。
「まあ、いいや。ゆっくり話聞いてやるからそこ座れ」
「いいっす」
「よくねえ、聞かせろ」

もはや逃れるすべはない 。流川の買ってきたコーヒーに気付き、藤真は遠慮なく手を伸ばした。客人の想定などしておらず、自分と三井の分のつもりだったのだが……

「意外と気が利くじゃねーか」
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