大学編 流川

□conte 13
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バイトが終わってから自販機でコーヒーを買い、ひと息いれてから帰路につくことで少し時間を遅らせる。さらに改札を出てからもロータリーを通らない裏道を回ることが、ここ最近の習慣になりつつあった。
今日もそのルーティン通りに歩き出したところで、大粒の雨が降り出した。歩道のアスファルトが瞬く間に色を変えていく。夜半前から雨になるとの予報だったので、玲は持っていた傘を差した。

明らかに下り坂の天気だったから、こんな日は流川もランニングに出ていないかもしれない。だとしたら時間の無駄ということになるが、まあ仕方がないだろう。
とにかく顔を合わせないほうがいい。流川も冷静になって我に返るだろうし、自分も心穏やかでいられる。一時的な感情に惑わされずに、彼はバスケに打ち込んでいるべきだ。あれだけのプレイをするのだからもったいない。

そんな物思いもマンションまであと数メートルというところで中断された。その存在に気付いた時から、玲の足は金縛りにあったように止まっていた。

雨をよけてエントランスの脇にひっそりと留まる長身の男。照明の影になり、顔が見えない。だが、立っている場所も、その佇まいも、去年の夏に見た光景とまるで同じだった。
突然訪ねてきた仙道。そして別れの日──
引き起こされるフラッシュバックに、息が出来なくなりそうだ。あの日置き去りにしたきた気持ちが、呼び戻される。厳重にせき止めてきたそれがあふれ出した瞬間、玲の手から傘がゆるりと落ちた。
流川がこちらに気付いた。

「来ないで!」
玲は思わず叫んだが、流川はかまわず向かってきた。
「来ないでったら!」
逃げようとしたが、腕を取られ簡単に捕まってしまう。

「おい、どうし……」と言いかけた流川だが、言葉が途切れた。玲の涙に気付いたせいだった。見下ろすその顔が、みるみるうちに困惑にかげっていく。
玲も自分でもわけがわからなかった。こんなところで今さら泣くなんて。雨は容赦なくふたりに降りつける。

「もう、やだ……流川くんのせいだよ」
やっとのことで絞り出した言葉。
だが、ひとたびそう発したとたん、抑えに抑えていたものが止まらなくなった。
「せっかく忘れかけてたのに、忘れられるようになってきたのに……どうして……思い出させるようなことするの? なんでこんなところで待ってたりするのよ……!」

理不尽だ。流川は何も悪くない。だが、非難めいた声が口をつき、感情のままに言い募ってしまった。冗談みたいに涙があふれ、何か言おうとしても嗚咽に変わる。

「アンタに会いたかったから」
ぽつりと流川が言った。
「だ、だか、ら……そ、れは……」
しゃくりあげてしまい言葉にならない。玲はどうしようもなくなって、拳で流川の胸を叩いた。流川は何も言わない。黒髪から滴るしずくが拳に落ちる。さらに強く彼の胸を叩いた。


「ちょっと、あんたたち──」
声に驚いて顔をあげると、姉が立っているではないか。玲はがっくりと腕を下ろした。
「ずぶ濡れじゃないの。何やってんのと言いたいところだけど、まあいいわ」
ふたりを交互に見ると、姉は呆れたような表情で溜息をつく。

「ずいぶん派手にやらかして。とにかく中に入って」と玲の背中を押し促しながら、姉は流川に向かって言った。
「今日のところはごめん。あなたも早く着替えて、風邪ひかないでね」

したたかに降り続く雨の中、流川は落ちている玲の傘を拾い上げた。





部屋に戻った流川は、濡れて張りつく服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。
玲の涙が頭から離れない。自分は泣かせるようなことをした覚えはないが、何かが彼女の忌諱に触れてしまったようだ。
「クソッ……」
もがけばもがくほどはまりこんでいく。これでは身動きがとれない。

髪も乾かし、ひと息ついていると、あろうことかインターフォンが鳴った。思い当たる人物のないままドアを開ければ、それは玲の姉だった。

「ごめんね、もう大丈夫かな。ちょっといい?」
「……ウス」
何回かしか会ったことはないが、気取りがなく、玲というよりは藤真寄りの印象がある。流川も廊下に出た。

「あの、玲サンは……」
「もう落ち着いてるから平気。にしても、あんな雨の中、ふたりが揉めてるからびっくりしちゃった。流川くんも意外と大胆なのね」
「………」
「あの時も── こんな雨の日だったのよね。玲と仙道くんが最後に会った日」

その名が出てくることは薄々わかっていた。腑に落ちるとともに、苦くざらりとした感情に囚われる。

「雨の中、彼がマンション前で待ってたらしいわ。もしかして流川くんも……あ、やっぱりそうか」
視線を彷徨わせた流川に、姉は目敏く反応した。

「とにかく思い出しちゃったみたい。だから泣いたのは流川くんのせいじゃないからってことを伝えたかったんだけど、それはそれであまり気分いいもんじゃないわよね、他の男が絡んでるなんて。しかもあなたのライバルだったんでしょ? 厄介ね」
「それは……」

すっかり見透かされているようだ。玲への気持ちも、それに伴う諸々のしがらみも。

「あは、余計なことまでごめん。気にしてるかなと思ったの。じゃ」
「あの……あざっす」
立ち去ろうとする姉に、流川は慌てて言い添えた。

憂いが軽くなったわけではないが、モヤモヤしたままにするのは性に合わなかった。そして物事が立ちゆかなくなった時にすることは決まっている。寝るか、バスケをするかのどちらかだ。
部屋に戻ると、流川は真っすぐにベッドに向かった。
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