大学編 流川

□conte 18
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再び目覚めた時、頬に自分以外の体温が感じられた。流川の胸に自らすり寄せるように眠っていたようだ。そのホッとするような心地よさに大きく息をつく。いったいいつのまに自分の中で流川の比重がこんなに大きくなったのだろう。

ずっとこのままでいたかったが、夏休みに入ったとはいえ彼には練習があることを考えると、そろそろ起こさねばならない。
前髪をそっと持ち上げてみた。普段見ることのない流川の額。その罪のない、無垢な寝顔を眺めていると、ゆっくりと彼の目が開いた。

「おはよ」
流川は時計を一瞥すると、「……練習、行く」とむくりと身体を起こした。明らかに覚醒しきっていない様子だが、本能がそうさせるらしい。流川の行動原理はバスケだ。覚束ない足取りで出ていく彼を玄関で見送った。
「昨日はありがとう」
彼はかろうじて頷いた。頷いたように見えた。

そんな様子だったので、昨夜の出来事をどう捉えていいのか、玲はよくわからなかった。心動かされ、彼の気持ちに応えたつもりだ。伝わっているだろうか。わからないまま夜になり、寝てしまおうと思っていたところで玄関チャイムが鳴った。流川だった。

「今、何してる」
「何って……寝るところだけど」
「じゃ、来い」
「じゃあって。え、なに?」

腕を引かれ、向かうはもちろん流川の部屋だ。着の身着のまま、何の準備も心構えもない。まさかと思っていれば、押し込まれるようにベッドに── 
だが、彼は抱き締める以上に触れることはしなかった。ただ静かに、玲を抱きくるみ寝てしまう。
翌日も夜更けにやってきて、連れ出された。もしかしたら“そばにいる”を忠実に実行してくれているのかもしれない。眠りにつこうとする流川にふと訊いてみた。

「無理してない?」
彼の身体がピクリと反応した。
「その……ひとりのほうがよく眠れるんじゃないかと思って」
そんなことかと耳元で彼が低く息をついた。
「次の日に朝から練習入ってる時はそうする。だから無理してねえ」
「ならいいんだけど」
「……我慢は、してる……」
「え?」
「何でもねー。一緒にいてえだけだ」

引き寄せる力強い腕は、まるで柔らかな毛布のように全身を優しく包み込み、玲を安心させた。流川の胸の中は玲を素直にする。今まで拒んできたことは何だったのだろう。こうなったことが信じられないのでなく、こうならなかったことのほうが信じられないくらいだ。今は愛しさしか感じない。


翌朝、インターフォンの音に起こされた。こんな時間に誰だろうか。流川からそっと身体を離して起き上がり、半ば寝ぼけながらモニターを見ると、ボーダーシャツが映っており「佐○急便です」と男の声が言う。ろくに見もせず開錠した。
やがて玄関が鳴ったので、荷物を受け取るだけなら自分でいいだろうと、何の疑いもなくドアを開けた。

「えっ……」
相手のびっくりした声に顔をあげると、目の前の人物は宮城だった。スローモーションのように閉まりゆくドアを、彼は慌てて手で押さえた。

「なんで、どーいうこと?」
それはこっちも言いたい。てっきり宅配だと思って開けたのだから。だが、そう名乗ったのは宮城のジョークで悪ふざけだったよう。よく見れば、彼のTシャツはボーダー柄ではあるが、あの業者の制服とは全然違った。そして、どうみても寝起きで部屋着の玲に宮城の視線が落ちる。

「マジ? そーいうこと……?」
「これは、えっと、とにかく入って」
「流川は」
「まだ寝てる、かな」

もうちょっと体裁を整えてから、迎え入れれば良かった。慌ててカーテンを開けようものなら、ベッドにはそこから抜け出した形跡がありありと残されていた。しっかり目撃した宮城が茫然と呟く。
「マジか……すっげえ驚いた」

だが、さすが元湘北バスケ部キャプテン、切り替えが早い。問題児が多かったと聞くから、想定外のことにも柔軟で臨機応変じゃないとやっていけなかったのだろう。意味ありげに数回ほど頷くと、キレのよい視線を寄こした。

「けど、なるほどって気がしねえでもねーかな。びっくりだけど妙に納得感もあるっつーか。……なぁ、こいつバスケのことだけを考えて生きてるようなヤツだけど……いいの?」
「バスケには勝てないって、嫌っていうほどわかってるから」
そっかと宮城は片眉を吊り上げた。そして流川の枕元に歩み寄り、手慣れた様子で起こすと、まだ半分うとうとしている彼に詰め寄った。

「てめぇ、いつのまに。相変わらず女には興味ねーって顔してたくせによっ、騙されたぜ」
ぼんやりと表情が定まらないまま、流川は目を細めて宮城を見る。
「玲ちゃんとはいつからさ」
「昨日……いや、一昨日……」
「は? それでこれって手ぇ早くね?」

流川が何か答えるがよく聞こえない。誰と話しているかわかっているだろうか。それはさておき、どうにも玲は居心地が悪い、居た堪れない。

「私、帰るね」
「待って、待って、邪魔モンはオレだろ」
「うちすぐそこだし。帰るっていうか、戻るだけよ。じゃ」
「あ、玲ちゃん、アヤちゃんに言ってもいい?」

黙っていられそうもない宮城だが、ちゃんと確認するところが律儀だ。大きく頷くと、玄関に向かう。鍵をどこへ置いただろうかと探っていると、流川が持ってきてくれた。その背後で宮城の声がする。

「さっそくセンパイに電話してる」
「さすが電光石火のスピードスター……」

このあと流川はさらに質問攻めにされるに違いない。うんざりした溜息をつく彼が思い浮かぶようだ。それを想像すると可笑しいやら、気の毒やら、何やら微笑ましく、無性に愛おしい気持ちになった。

「頑張ってね」
何を?と眉根を寄せる流川の首を、玲はぐいっと引き寄せると口づけた。ちゅっと軽く触れる程度のキス。すぐに背を向けると、すり抜けるように外に出た。

真夏の日差しが眩しい。今日も暑くなりそうだ。これでもかと青い空を仰いでいると、背後のドアが開く音がした。
次の瞬間、あっと思う間もなく唇が重なってくる。それは柔らかく押しあてられ、やがて熱く深く、玲を包み込んだ。



その頃──
彩子からしっかり聞き出すよう念を押され、宮城はいったん電話を切った。気付けば流川の姿がない。と、そこで不意に手にある携帯が鳴りだした。三井からだった。

「もしもし、なんすか?」
今年もIH出場を決めた母校の件だという。どうせ安西先生から何か頼まれたのだろう。それにしてもタイムリーな電話だ。
「オレ、ちょうど流川んちいるんすけど、三井サン、時間あったらちょっと来ねえっすか?」
三井の呆気にとられた顔が浮かぶ。
「おもしれえことになってて」
流川も先輩ふたりを前に、あれやこれやを素直に吐くだろう。そう思ったのだが──

「え、何で、知って!? はあ?」
ほぼ毎日流川に会っている自分が知らないのに、なんで三井が。わけがわからない。
「デキた……まあ、そういうことっすけど」
しかも“オレのおかげだな”とは、聞き捨てならない。なにもかも、流川に問いたださねば気が済まない。

「やっぱ、あんた、来なくていいっす。いや、来んな。とにかく来んな……うっせ」

携帯の向こうで笑う三井を無視して、宮城は一方的に通話を切った。
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