短編

□指定席
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「今日は練習ないんだ。帰り、乗っていく?」

駅からさらにバス30分という郊外にキャンパスがあり、郊外ゆえに敷地に困らず、許可をとれば車通学が許される。だからよく友達と乗り合って来るのだが、神くんはいつも時間帯が違うため一緒に行き来したことなんてなかった。

「藤沢はほぼ通り道だし」
「ありがとう。お願いしていいかな」

この大学に通っていると、車に乗る乗せるは日常茶飯事。だからあまり意識してなかったけれど……確かに金曜の最後の講義をとってる人は少ない。他にも誰か一緒だと思っていたのに、神くんとふたりだった。

どうしよう、緊張する──

同じクラスだから、お昼も皆で一緒に食べたりするし、クラスの飲み会で隣に座ったこともある。そのあと方向が同じだから一緒に帰ったけれど、他にも友達がいた。こんなシチュエーションは初めて。
けれど駐車場までの道のり、いつもと変わらず穏やかな神くんの口調にだんだんそんな緊張もほぐれてきた。

黒のレガシィ。いざとなると、前なのか後ろなのか、どこに乗ればいいのかわからない。「後ろじゃタクシー状態になっちゃうよ。ほら」と助手席を促してくれた。
エンジンをかけると、かけっぱなしだった音楽が流れだす。

「へえ、意外だなあ」
「そう? 女性ボーカルが好きなんだ。苗字さんは?」
「私はその時の流行りをつまみ食いで、こだわりなし」

音楽がいい話題提供になってくれた。田畑くんの車に乗せてもらうといっつもラップをかけてるから、その後も耳から離れないとか、けいちゃんはノリがいい曲になると運転してるのに踊り出すから怖いとか、共通の友達の話で盛り上がる。

「神くんの運転は安心して乗れるな」
「そりゃ貴重品乗せてますから」

それは私のことだろうか。困惑しつつも軽いジョークだと受け流した。

「いつもはバスケ部の人たち?」
「そ、人のこと言えないけど、デカイ男たちばっかで窮屈だよ」
「そうだね、神くん、私が知ってる人の中で一番背が高いよ」
「だからこの車に女の子乗せたの初めてなんだ」

さきほど以上にドキッとするようなことを言われる。何とか会話をつながねば。

「この車、買ったばっかり? まだ新しそうだもんね」
「んー、3,4カ月前かな」

微妙な……
神くんはバスケで忙しいから、友達と乗り合わせることも、そしてたまたまその期間に彼女もいなかったってことだろうか。一瞬にしてめまぐるしく考えていると、信号で車が止まった。

「ね、苗字さん、このあと予定ある?」
「特にないけど……」
「じゃ、ドライブ付き合って。こういう機会なかなかないから」

そう言って、神くんはハンドルを切って、右折レーンに入った。


134号に出て、海沿いを走る。この公園の向こうに高校があったんだと彼は教えてくれた。
知ってる──
神くんが海南大附属高校だったって。そこが県下一、バスケが強いことも。そこでレギュラーだったことも。そして、そのころから毎日500本のシュート練習をかかさないってことも。それを聞いて、今まで以上に神くんに惹かれたことも事実。

江の島を通り過ぎ、江ノ電と並走し、滑川の交差点も超えていく。ちょうど夕刻に合わせたかのように逗子マリーナに車を停めた。
パームツリーの影が長く伸び、潮の香を含んだ風が心地よい。車を降りて歩いていると、ちょうど水平線に夕日が沈んでいくのが見えた。

「いつもこの時間は練習?」
「そう、体育館の中。で、外に出るとたいていもう真っ暗だよ」
「頑張ってるんだね」
「だから今日みたいに早く帰れるって貴重でさ。強引に誘ってごめんね」

ううん、と軽く首をふる。ごめんなんてとんでもない。だって神くんに誘ってもらって嬉しいと思っている。今日がこんなラッキーな日になるとは予想していなかった。

車に戻る頃には、辺りは薄暗くなっていた。海に街灯の明かりが反射し始める。今度はためらいなく助手席のドアに手をかけた。

「早朝の海もきれいだよ。よく海沿いをランニングするんだ。ここじゃないけど」
「そうだね、ここは明らかにデートスポットだよ」と何気なく言ってから、しまったと思う。これじゃあ、デートだと言ってるようなものだ。

「せ、世間ではそういう認識のとこだから」と焦って言い足すも、神くんはクスクス笑っている。
「じゃ、なんでオレがここに来たか、わかってくれてるってことかな」
「え……?」

その言葉の意味を理解しようと努めていると、神くんがこちらに身を乗り出してきた。

「シートベルトして」と言いながら、固まっている私の向こう側からベルトを引き出し、カチッとはめてくれた。そしてそのままの体勢で驚くべき発言をする。

「好きなんだけど、苗字さんが」

眩暈がしそうだった。反射的に「ホント?」と聞き返してしまう。

「ホントって信じられない?」
「だって……」
「だって、何?」
「私も神くんが……」
そう言ったきり、言葉に詰まる。
「オレが?」

神くんは今までよりもさらに優しい笑顔を浮かべた。

「好きって言ってくれると嬉しいな」

それにコクリと頷いたと同時に、唇にそっと押し当てられるものがあった。柔らかく、暖かい感触。離れたときに「ありがとう」と聞こえる。そしてもう一度、軽く触れた。
エンジンがかけられる。また音楽が流れだし、神くんはボリュームを少しさげた。

「金曜、空いてるときは少し待っててもらえるかな。一緒に帰ろう」
「うん、待ってる。けど、バスケ部の人たちはいいの?」

「いいよ。金曜のそこは苗字さ……名前の指定席にするから」
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