短編

□紫色
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横浜駅の大きなスポーツショップ。
世間のブームに乗っかるように、ランニングウェアを買いに来た。機能性も備えたおしゃれな製品の数々に、走るという本来の目的を忘れそうになる。
シューズコーナーは壁に沿って陳列されており、その他スポーツより取りそろえが豊富なくらいだ。一番上段のものが目に留まった。

背伸びをしてとろうとすると、中指が何とか引っかかった。少しずつずらして落とそうとしていると、突然背後から手が伸びてくるではないか。驚いてバランスを崩し、倒れると思った瞬間、誰かに背をしっかりと受け止められた。

「すまない、代わりに取ろうとしたんだが」
「いえ、こちらこそすみません」

振り向こうとすると、髪がひっぱられた。その人の服のボタンに私の髪が絡まってしまったようだ。一生懸命はずそうとしてくれるのがわかる。

「痛いか?」
「髪なんで、大丈夫です……」

ふっとその人との距離が空いたと思ったら、「もういいぞ」と声がかかった。振り向いて、さらに驚く。とても背が高く大きい。しかも目の前に位置する彼のシャツの胸元がいやらしいくらい大きく開いていて、逞しい浅黒い胸が垣間見えるではないか。だが、わざとシャツのボタンを開けているわけではないことに、すぐ気づいた。

「あ……ボタン、取っちゃったんですか?」
「ん、ああ、あまりに絡まってて」
「すみませんっ!」
「いや、君のせいってわけじゃないから」

さすがに裁縫道具なんて持ち歩いていない。恐縮しきりの私に彼は胸元を少し閉じながら、まあ夏だから問題ないと笑ってくれた。
そして、これか?と上段の紫のラインの入ったシューズを取ってくれる。
「この色いいな」と彼が言ったのを私は聞き逃さなかった。

「このくらい濃い紫だったら、メンズもありそうですけどね」
「ああ、ランニングシューズならあるかもしれないな。でもあいにくオレが探してるのは違うんだ」
「何を探してるんですか?」
「バスケットシューズだ」

明らかに何かスポーツをやっていそうな体つき。ラグビー辺りかと思ったから私の予想ははずれた。

「本当にすみませんでした。ボタン……」

いいさ、と笑って去っていったが、彼のその優しい笑顔が頭に残った。そして迷いなく、私はその紫のラインのシューズを買った。



毎年、8月に家の近くの米軍住宅地で夏祭りが開かれる。普段は立ち入り禁止だが、この日は解放されて各種イベントが行われる。
近くの公園を走ってから、屋台でピザでも買っていこうかとベース内に寄ると、体育館らしき建物から歓声が聞こえてきた。掲示によると、『日米親善交流バスケットボール』とある。

対戦相手 海南大BBC

バスケと聞いて思い浮かべるのは3日前の出来事。ボタンどうしたかな〜と思う。あの大きな彼が、裁縫するさまを想像すると少しおかしい。もしくは誰か女性につけてもらってるかもしれない。自然と体育館に足が向いた。
覗くとちょうど日本人学生のシュートが決まったところだった。そして、その選手がハイタッチをする相手に驚き、目が釘付けになる。

だって、あの人は―――

そのままそこに立ち尽くし、試合を見た。彼は派手にダンクを決めたり、遠くからシュートを決めるタイプではないようだ。とにかくボールを手にすると、相手ゴールに向かっていく。突っ込んでいく。
相手は米軍のバスケチームで、その体格、威圧感はハンパないが、それでも彼は当たり負けしないくらいのパワーがあった。バスケがこんなに激しいスポーツだとは知らなかった。

試合が終わり、選手たちが出てきた。体育館の熱気がすごいのか、外で涼んでいる。どうしようか迷ったが、これを逃したらもう次はない。そっと近づいて、声をかけた。

「お疲れ様です。私のこと、わかりますか?」とランニングシューズを指差した。彼の驚きは言葉にならない。

「ああ。だが、なぜ……」
「この近くに住んでるんです。偶然覗いたら――」

「あー、牧、だれ、だれ〜?」とすぐ横にいたメンバーが聞いてきた。彼は何と言えばいいか困っているので、自分から説明した。

「以前、ちょっと助けていただいたことがあるだけで……突然すみません。私も驚いて思わず声かけちゃいました。えっと「マキ」さん……?」
「ああ、苗字で牧だ」
「苗字です」

「いいなー、牧。こんなかわいい子に声かけてもらって」
うるさいと友人を制して、牧さんは私のシューズを見ながら言った。
「それ、買ったんだな。やっぱりいい色だろう」
そう言われて、ハッとした。彼の着ているユニフォームと同じ色であることに。
「ほんと、バッシュでもこの色あればいいのに」

そこで、思い出して、ちょっと小声で聞いてみた。
「ボタン、つけました?」
「ああ、あれな、ちゃんと自分でつけたぞ」

彼が針と糸を手に格闘している姿を想像してしまい、笑いが堪えられない。牧さんは、何かおかしいんだという顔をしている。そんな彼に余計に笑ってしまう。

「苗字さんは……学生?」
「はい、F女子大です」

それが友達に聞こえたらしい。え、F女子大なの? いいねえ、今度合コンしてよと話が転がり、その友人は携帯を取りにいった。自分のを持ってくるのかと思いきや、牧さんの携帯を持ってきたらしい。

「諸星、勝手に荷物あさるな」と牧さんは苦笑した。「だって、牧の知り合いだろ?」

そして、それから3日後に牧さんから着信があった。
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