牧 中編

□シネマティックストーリー 03
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仕事を終えて18時すぎに会社を出た。
こんな時間に帰れるのは久しぶりだ。
発売前の忙しい時は早く帰れることを夢見ていたというのに、いざそうなってみると手持ち無沙汰なところがある。
いろいろやりたいことがあったはずなのに、何だかそれも面倒になってしまい、麻矢は家路についた。

それこそ今から向かえば最終上映に間に合うだろう。だが、いったん誰かと行くことになっていたそこにひとりで行くのは、虚しく感じてしまい気が向かない。

そうやって漠然と過ごしていたある日、牧からメールが届いた。次の週末はどうかと。
軽い調子であの映画は先月までだったことを伝えると、少しして電話がかかってきた。
キャンセルを詫びる牧。

「で、上野は見たのか?」
「ああ……うん、まあ……」
「見そびれたんだな」
「……なんだかんだ忙しくて……タイミング逃しちゃっただけだから」

とっさに狼狽えてしまった。どうせつくなら、もっとまともに嘘をつくべきだった。

「何で上野が気を遣うんだ? 逆だろう。そうだ、金曜、またそっちの方に行くんだが、良かったらメシでもどうだ? お詫びも兼ねて」
「お詫びだなんて」
「オレの気がすまないんだ。あれは完全にドタキャンだったしな」

麻矢の遠慮など吹き飛ばすように、「あんまり会社に近いところで待ち合わせもナンだろう……」と話をすすめていく。

ここは強引にいって欲しいというところを彼はわかっている。かといって断る余地を言葉の中に含ませてくれる。
もちろん、都合の悪いことなどない。
むしろ―― 待ち遠しく感じる自分を麻矢は持て余してしまうだけだった。


牧は忙しい人だ。
だから当日キャンセルだってあるかもしれない、と自制しながら金曜を迎えた。
待ち合わせは19時半。指定のビルが見えてきたが、牧らしき姿はない。少し不安になりかけたところに、「上野?」と頭の上から声がかかった。

「あ、牧くん、お疲れさま」
「お疲れ。ちょうど良かった。こっちだ」

手前の角を曲がり路地に入ると、奥の方に藍染めの暖簾がかかった店があった。
中は白木のL字カウンターが配され、純和風の造り。割烹着姿の女将が気さくな笑みで奥の席に通してくれた。
油はね防止のドーム型の覆いが見える。

「天ぷら……?」
「このあいだ、けっこう日本酒もいけるクチだっただろう? 揚げたての天ぷらと冷酒、これしかないと思ってな。特におすすめがあるんだが、上野は食べられない食材あるか?」
「そんなのないない」
「それは良かった」

まずはビールをと注文しながら、アレルギーや苦手がないことを女将に告げる。おまかせスタイルのようだ。
カウンター内は、店主と少し若めの板前のふたりで切り盛りしており、凛とした店内にはすでに香ばしい香りが漂っていた。

牧はくびれのある細長いグラスを「まずは乾杯だ」と持ち上げ、麻矢もそれにならう。冷たいのどごし。

「やっぱり仕事後の一杯は旨い」
そう言い、その直後にさりげなく「このあいだは悪かったな」と謝ってきた。

「下手に約束しなければ、上野も気にせず見に行けただろう?」
「牧くんのせいじゃないし、そっちこそ気にしないでよ。それよりお料理楽しみ」

牧はゆったりとした笑みを見せ、「仕事の方は一段落したのか?」と別の話題を振ってきた。
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