牧 中編

□シネマティックストーリー 04
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箸休めはマグロの刺身。とはいえ、まるで休まらない美味しさ。麻矢は冷酒に軽く口をつけると、ふと顔をあげた。
落ち着いた店内はカウンター10席ほどで、ちょうど逆サイドに座っていた男女が立ち上がるのが視界に入る。きれいに髪を結い上げた、雰囲気のある和装の女性。その襟足は、同性の麻矢が見てもなまめかしい美しさだった。
そのふたりが立ち去ってから、牧がふいに麻矢の耳元で囁いた。

「今、自分たちもああ見えるんじゃないか、とか思っただろう?」
「あは、牧くん貫禄あるからなあ」
愉快そうに牧は口角をあげる。

「でも私にあの色気はないから、同伴には見えないよ」
「そうか? じゃ、周りから見たらだたの恋人同士ってところか」

麻矢は適当な笑みを浮かべ、さあ?とでも言うように首を傾げた。
恋人同士って、そんなセリフをまるで当たり前のようなさりげなさで口にする。気取りがなく素直なのか、狡いのか、あるいは何も考えていないのか。
そんな牧を前に、戸惑いを隠すのにいくぶん苦労した。でも自分ももういい大人だ。

「そう見えるなら光栄です」
「本当か? あんまり嬉しそうじゃないぞ?」
「とんでもない。だって、相手は『海南の牧』よ?」
「はは、久々に聞いたな」
「それにお料理もお酒も最高だし。牧くんのおかげ」
「そこか、なるほど。なら……また付き合ってくれないか?」

牧は口へと運ぼうとしたお猪口をふと宙に止め、かすかに笑ってそう言った。

「食事やお酒?」
「いや、それもいいが……恋人同士で思いだしたんだが、とある招待券があるんだ」

同時に冷酒を自分の口へと流し込んだ。牧の硬質な目が、愉快そうに柔らかく崩れていくのを、麻矢は見つめていた。

「仕事絡みのスポーツクラブが、新しくオープンさせる店舗では『癒し』をコンセプトに高級志向でいくそうなんだ。プログラムとエステのセットを試してくださいと……好意でいただいて関心はあるんだが、カップル限定プランということで、女性の連れがほしいところでな。どうだ?」

少し照れくさそうに、牧は淡々と話し、「しかも上野ならそういう美容関係のこと、興味あるだろう?」と言ってから、ちょうど目の前に出された天ぷらを食べるよう促してくる。

揚げたてでこそ旨い天ぷらは、すぐに食べるのがマナーだ。
客に一番いい状態で食べてもらいたいと精魂込めて仕事をしている職人の、その心づくしを無駄にするようなことは野暮というもの。
それと同じで、この誘いにはすぐのるべきなのだろうか。麻矢ならと言ってくれる牧の気配りに。

「もちろん興味あるし、勉強にもなる。で、癒されちゃうんでしょ? 魅力的すぎる」
「綺麗にもなるんじゃないか? 色気までは知らんが」

麻矢は小さく息をついた。

「あ、やっぱり、私に色気ないと思ってるんだー」
「そうは言ってない」とニヤリと笑う牧。

「じゃ、OKだな」
「またまた牧くんのおかげで実のある休日が過ごせそう。ありがとう、喜んで」

そう返しながら、麻矢は自身の中で淡いときめきが沸き立ってくるのを感じていた。
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