牧 中編

□シネマティックストーリー 04
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『海南の牧』 常勝バスケ部キャプテン。
しかも神奈川のみにとどまらず、高校バスケ界では言わずと知れた存在。当時、漠然とした憧れはあったかもしれないが、だが、恋と呼べるほどではなかった。

それが―― 映画館で再会してからはどうだろう。
あの日から、その名が少しも色褪せない鮮やかさで息づきだし、心にさざ波が立っている。
その思いがけない感覚は、以前には考えられなかった強さで胸に響き、麻矢をずっと揺らし続けている。

2度目の新橋、3度目の今日。さらには近いうちにまたふたりで会うことに。
物事がスムーズに運びすぎて怖いくらいだ。
そしてそれ以上に、急激に牧へと傾いていく自分の気持ちのほうが怖い―――

「ん? どうした?」

ぼんやりと陶器のお猪口を見つめる麻矢に牧はそう聞いてきた。

「え、あ……そう、プログラムって何するのかなって」
「簡単なトレーニングとかじゃないか?」
「牧くんが言うと簡単に聞こえないよ。超ハードだったらどうしよう」
「癒しが目的だからそれはないだろう。大丈夫だ」

牧は笑みに崩した目で麻矢を包み込むように見ている。まるで空気が薄くなったように、麻矢は大きく息を吸い込んだ。
頬が熱い。
その上気がなかなか静まらないのは、飲んだお酒のせいばかりではないはずだ。
ちっとも大丈夫じゃない―――


〆は天丼か天茶ということで、牧の勧めで麻矢は天茶を選んだ。
貝柱のかき揚げに熱い煎茶をかけた、いわゆるお茶漬け。三つ葉がアクセントになっており、添えられたわさびの香りでさっぱりと食べられる。

「お腹いっぱいだったけど……」
「これならさらっといけるだろう?」
「別腹って感じ。食べ過ぎだ……完全にカロリーオーバー」
「じゃ、ハードなプログラムにしてもらうか?」


真心のこもった心地よい接客に、職人の美学を詰め込んだ美味しいお料理。そして小気味よい会話。隣りで満足そうに微笑む牧。
この時間がいつまでも続けばいいのに、そう思ってしまう。


家の前まで牧は送ってくれた。
平気だといったのだが、誘ったのは自分だから最後まできちんと、と譲らない。
牧らしい。麻矢は苦笑しながらも、少しでも一緒にいられるのが嬉しかった。

マンションの前でタクシーを降りた。

「ご馳走さまでした。楽しかった、ありがとう」
「オレもだ」
「おやすみなさい」
「またな、あの件は連絡する。おやすみ」

牧の乗ったタクシーが角を曲がり見えなくなってからマンションに入った。
「またな」という言葉と「おやすみ」の響きが、麻矢の心にしみ入るように響いた。
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