牧 中編

□シネマティックストーリー 07
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「まだ夕方なんだね」
青の中に茜色を含んだ空が街の上に広がっている。長時間建物の中で、時間を忘れるような過ごし方をしていたから、夕映えの明るさに麻矢は目を細めた。

さらりと吹きゆく風が快い。
身体も軽く、このまま帰るのはもったいないような気がしていると、牧が「一杯どうだ?」と言うではないか。

「あそこのカフェの看板が目に入ったんでしょー?」
赤い星にHeinekenのロゴの入った緑のマーク。
「そそられるだろ? ハーブティーもいいが、何か物足りなくてな」
「やっぱり最後はあれですか」

テラス席に座った。籐製のイスに深く腰掛ければ、メニューも見ずに牧は注文し、ふうーと長く息を吐き出す。

「気持ちは良かったが……どうも慣れない、ああいうことは」
「その割には居眠りしてたけど?」

テーブルに両肘をつき、斜め横の牧を伺うように覗き込む。

「はは、そうだったな」
「あの牧くんが骨抜きにされてたって感じ」
「あれには脱力した。だが――」

そう言うと牧は身を乗り出し、おもむろに麻矢の腕をとった。
「この細腕には負けん」とそのまま反対の手と組まされる。大きな手に包まれる。びっくりするほど牧の手のひらは温かい。

「腕相撲でオレに勝てるとか言ってなかったか?」
「……あ、あれは……あの時だからだって……」
「両手でもいいぞ?」

言われるがままに両手にしても、微動だにしない牧の腕。筋肉の筋ひとつ動く気配もない。
「無理だよ……」との情けない声と同時に、パタッとあっけなく倒された。

「男の人だって、牧くんに勝てる人はなかなかいないよ。スミマセン、生意気言いました。ビール奢らせていただきます」
「お? じゃ、これから毎回対決するか」

これから? 毎回? その言葉の意味も図りかねたが、それよりも―― もっとどうしたらいいのかわからないのが自分の右手だ。
まだ牧の手が重なっている。力を入れることも緩めることもできない。
胸の鼓動が早くなった。この音が牧に聞こえてしまわなければいいけれど。

「……それじゃ全部私の奢りになっちゃう……」
「腕相撲じゃなくて、そうだな、じゃんけんや賭けのようなものなら勝てるときもあるんじゃないか?」

牧は涼しい顔で笑って、片方の唇の端だけあげてみせる。

「――お待たせしました」
その時、ビールが運ばれてきた。
ふいに牧の手が離れていき、ふたりの前にはハイネケンのマーク入りの細長いグラスが並べられた。表面が結露で白くなっている。

麻矢は右手でグラスを持とうとした。
そのあまりの冷たさに、牧のぬくもりを知る。反対の手に持ち替え、互いのグラスを合わせれば、澄んだ音がふたりの真ん中で鳴った。
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