牧 中編
□シネマティックストーリー 08
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麻矢は時計を確認した。
牧との約束は18時すぎに鵠沼海岸でというアバウトなものだったが、そろそろおいとましようとその旨を告げると、友人は残念そうな様子をみせた。
半年前に出産したばかりなので、なかなか外に出かけることもままならず、こうやって友達と会っておしゃべりできる機会が貴重らしい。
幸せに満ちた育児の大変さを語る彼女は高校の同級生なので、牧と偶然会ったこと、そして高砂とも飲みにいった話もした。
「じゃ、牧くんとは何回か会ってるんだあ」
何回か……片手じゃ数えられないけれど。
「そうだね」
「かっこいい大人の男になってるんだろうな〜。まあ、昔から貫禄あったから想像しやすいけど」
「確かにあのイメージのままかな」
「ふーん。で? どうなのよ?」
友人が身を乗り出した。
「何が?」
「牧くんとに決まってるでしょ」
すっとぼけちゃって、と彼女はニヤニヤしている。
「別に……飲みにいったりしてるだけ」
「だけ? いい歳した男女が? それでなくてもふたりは高校の時だっていい感じだったのに」
「え……?」
突然の話の方向に、麻矢は目をしばたたいた。
「付き合ってもおかしくない感じだったよ? でも麻矢は牧くんのモテっぷりに腰がひけてたでしょ。牧くんは牧くんで、バスケが忙しすぎて、麻矢のことが気になってても、それどころじゃなかったというか」
「そんなこと……。少なくとも牧くんが……なんてあり得ないよ」
「いやいや、高砂くんと飲んだってやつも、たぶん話を聞いた高砂くんが麻矢を呼ぼうって言ってくれたんじゃないかな? さすが、これからプロポーズしようって男だね。それに比べて当の本人たちときたら――」
その時、いい子にお昼寝していた赤ちゃんが泣きだしたので、話は中断された。ベビーベッドから抱き上げ、あやす彼女を見つめながら、麻矢は牧のことを考えていた。
それは砂浜を歩きながらも続く。牧のことが頭から離れない。今日は波がいいのか、かなりの数のサーファーが海に出ていた。あの中に牧もいるのだろうか。
この時期は規制があるので、サーフィンは朝か夕方しかできない。すでに海水浴客はひけており、夕日に誘われて多くの人が散歩やビーチコーミングに訪れていた。辻堂寄りの引地川の河口を待ち合わせに指定されたので、その堤防に麻矢は浅く腰かける。
潮風が心地よい。
目を閉じると牧の柔らかな笑みと精悍な顔立ちが心に浮かんだ。と同時に甘やかな感情が頭に忍びこみ、いつまでも意識に留まっている。彼に手を握られたときと同じ感覚が体全体に広がっていく。
「上野、待たせたな――」
ボードを片手に髪から海水をしたらせ、牧がやってきた。サーフトランクスに上はタッパを着ている。
「ううん、もっとゆっくりでも良かったのに。こっちの海、久しぶりで懐かしい」
落ち着かない気持ちを無理矢理抑えて、麻矢は何でもないように振るまおうとしているのに……。
温かみを帯びた風がふたりの間を吹き抜けて、麻矢の髪を乱した。麻矢よりも素早く、牧の手が動いて、頬に掛かる髪を直してくれる。肌にはまったく触れずに、細い髪だけすきあげるように。牧の見下ろしてくる視線とかちあったとき、軽い震えが身体を走った。