牧 中編
□シネマティックストーリー 10
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翌日。
19時過ぎに迎えにきてくれた牧に連れられるままに割烹料理店を訪れ、頂いたのは相模湾で朝獲れた地魚の海鮮丼。仕入れ状況により毎日異なる食材が楽しめるそうだ。
旬のアジにマグロ、マダイが贅沢に、なおかつ上品に盛り付けられており見た目も美しい。
そして本来はまかない料理だというアジのなめろうを特別にサービスされた。
「今日は車だと言っただろ」
その牧の言葉に板前の彼はニヤリとする。
高砂より明らかに背が高い。2メートル以上あろうか。
「いやがらせだ。最高のつまみだと思わんか?」
「ああ、悔しいほどに旨いな」
「悔しいのはこっちだ。まったく久しぶりに来たかと思えば――」と言いながら、ゆっくりと麻矢に視線を向けた。
体格ゆえか威圧感がある風貌だが、笑うと意外と人懐っこい表情になる。
「旨い魚が食いたくなったんだ」
「食べさせたくなった、の間違いだろう? 彼女に」
牧はふっと微笑むと、脂がのった中トロを口に入れた。
「ま、何にしろ、うちの店にとっちゃ有難い話だ。今度は車じゃない時に来てくれ。
酒に合うもっと旨いものを食わせてやる」
そして再び、牧の車の助手席に座った。
ステレオから流れるゆるやかな洋楽が耳をくすぐる。それをBGMに牧が話してくれるのは、さきほどの彼の前ではできなかったエピソード。
「ボス猿?」
「そのあだ名をつけた男もとんでもないやつだったが、言い得て妙なところがあってな。1年の清田を覚えているか?」
「スーパールーキーくんね。覚えてるよ」
「あいつは野猿だそうだ」
「ふふ、確かに野性的なイメージあったかも。あ、じゃ、牧くんは?」
その瞬間、牧がしまったという顔をし、「ん?」と聞こえない振りをした。
「牧くんは何て?」
「オレはべつに……その名付けた男もだいたい自称天才だからな……あてにならないことがほとんどだ」
「今、言い得て妙って」
分かりやすい。珍しく焦った様子の牧。
言いたくないということは明白だ。
となると知りたい。
「ねえ、教えてよ」
牧を覗き込むようにして、少し甘い声でねだってみる。取るに足らないことだが、こんな瞬間に恋人同士になったのだということを実感する。
「魚住や清田に比べたら面白みに欠ける」
「でも知りたい。あ、高砂くんに電話して聞いていい?」
「……そんなに知りたいのか?」
「うん」
「オレの家に着いたら教える――」
いつもの柔らかな声で牧はそう言った。
首都高湾岸線を東京方面に走っているものの、その先の具体的な目的地は明かされていなかったわけで、麻矢はかすかに体温があがるような錯覚を覚えた。
だが、それは思いがけない行先ではない。
「叔父からもらったワインがあるんだ。飲みながら話そう」
麻矢は小さく頷いた。
「うん。さっきは飲めなくて残念だったもんね」
本牧ジャンクションから大きく曲がると、ベイブリッジが浮き上がるように現れ、やがて橋にさしかかると対岸には煌びやかな夜の横浜の街が広がった。
みなとみらい地区の直線的なビル群を背景に、丸い観覧車がひときわ目立つ。
「絵にかいたような夜景だね」
「あの辺りにはまたあらためて行こう。中華街で四川料理なんてどうだ」
「ちょっと、余計に飲みたくなっちゃうよ。お腹はいっぱいなのに」
「それは好都合だ」