中編

□猫と及川さん
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及川は今、激しく自分を責めている真っ最中だった。
デートの前にチェックを怠るなど、ただの愚行でしかないと知りながら、どうして悠長に構えていたのだろう。

「俺、慢心してた……?飛雄とデートなんて普通のことじゃんとか、油断してた……?」

小さく呟き、あながち間違ってはいないかもしれないと、密かに奥歯を噛み締める。
事の発端は、影山の方から珍しくデートに誘ってきたことだった。
いつも及川の方がけしかけており、「やっと飛雄も及川さんとのデートに積極的になってきた」などと考えてしまったことこそが、迂闊だった。
どこへ行きたいのかと黙って後を付いて行けば、「ニャンニャン喫茶」などという、いかがわしさを漂わせる名を持つ喫茶店で、店内に足を踏み入れるとそこいら中に猫がいる、という具合だ。

「及川さん、見てくださいよ!」
「……見てるよ」
「俺、やっぱここへ来て良かったッス!」
「……ふぅん」

店名は置いておくとして、ここは猫カフェである。
及川は漠然と、飲み食いしている間ゲージの中で飼われている猫を眺める場所なのかという知識しか持ち合わせていなかったのだが、一歩入るとそこは猫の楽園だった。
とにかく店内のあちこちに猫がおり、ウロウロしたり、客の足に擦り寄ったり、寝ていたりと、気紛れに過ごしている。
同じことを人間がやっていたら、「お前ら、何様なの!?」と叱責してしまうような場所だとも言える。

「っていうかさ、お前、猫撫でて何が楽しいの?」

どうせ撫でるなら及川さんの頭を撫でなさいと言いたい。
こちとら立派な猫毛なのだから、猫の毛との間に大差はないはずで、そこに喜びを見出す影山が理解不能だ。

「スベスベなんス!」
「及川さんも、昨夜ちゃんとトリートメントしたけど?」
「それ、いつもやってるッスよね?」

もちろんその通りだが、いつも以上に念入りにやったのも事実なので、そんな台詞でスルーされるのは、とても不本意だ。

「ちょっと、猫触った手で物食べないでよ」
「何でッスか?」
「汚いじゃん」
「汚くないッス。あの艶々な毛並のどこが汚いんスか?」
「及川さんの髪も、艶々ですぅ」

そこでハッとした。
なぜ自分は猫と張り合っているのだろう。影山に構われないことに、腹を立てているとでも言うのだろうか。

「いやいや、ないない……俺が猫ごときに嫉妬するとか、そんな大人気ないこと、あるわけないない……」

それにしても動物にはことごとく嫌われる影山なのに、どうして今日に限ってモテモテなのだろう。
そして及川の足元には、なぜ一匹も近寄って来ないのだろう。別に猫に失礼なことをした訳でもないのだがと、不貞腐れてそんなことを考えているうちに、影山はとんでもない暴挙に出ようとしていた。

「ちょっと!お前何してんの!?」

小さな黒猫を目線まで抱き上げた姿を見て、一層声を荒げれば、店内の注目を一身に浴びるが、そんなことはどうでもいい。

「邪魔しないでくださいよ、俺の夢なんス」
「許しません!お前、その猫とニャンチューしたら、及川さんは一生お前とチューしないからね!?」

冗談じゃない、猫にデートを邪魔されるのみならず、恋人の唇まで奪われては及川のプライドが許さない。

「そんなちゃっちい夢持ってたの、お前!?」
「ちゃっちくないッス、デカい夢ッス」
「ちゃっちいよ!そんなことしたら、未来永劫及川さんとキスする権利を失うんだよ!?お前、あと何十年生きると思ってんの!?その間及川さんとキスできなくていいの!?」

そして影山は激しく戸惑う。
猫と触れ合いたいと切望するあまり、今日は猫カフェに行きたいと頼んだはずで、及川も快諾してくれたというのに、どうしてくだらない主張をして邪魔をするのだろう。

「今すぐ選びなさい!その猫と及川さん、どっちが好きなの!?」

とても即答できる雰囲気ではなかった。客も店員も怒りに震えるイケメンに視線を向けており、さすがの影山も猫とじゃれ合っている場合ではないと、子猫をそっと床に下ろしてやった。

「あの、ここ、猫カフェですよ?」
「知ってるよ!」
「及川さん、まさか猫になりたいんスか?」

どうしてそういう発想に至るのだろう。
ただ構われるべきは自分なのだと言いたいだけなのに、このおバカな恋人は心の機微というものを察してくれないのが呪わしかった。
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