中編
□好きだなんていつ言いました?
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ああ、これは夢の中だ──。
四方がアイボリーホワイトに塗りつぶされていて、どこからも風景らしきものが見えない。
それに、こんな色の空間を、及川は知らない。
『そこの者』
しゃがれた声でそう呼ばれると、及川は声の方向に身体を向けた。
視線の先には、黒いフードを目深に被った、老婆と思しき人物が立っている。
『どちら様ですか?』
及川は警戒心を隠すことなく、落ち着いた声でそう問うた。
『名乗る名など持たぬ。おぬし、好きな男がいるじゃろうて?』
『は?なんで男だって分かるのさ?』
『わしは千里眼を持っているでのう。どれ、ぬしの恋路を良きものとしようぞ』
老婆はククッと喉を鳴らすと、背後に隠し持っていた透明な袋を及川へと差し出してきた。
『何、これ?知らない人から物をもらっちゃいけませんって習ってるから、いらない』
『ぬしの恋路は、今上手く運んでおらぬのではないか?』
『──ッ!?』
『図星じゃろう?これを持っておけ。そして相手に食わせるがよい。惚れ薬入りのチョコレートじゃ』
老婆は及川の手に袋を持たせると、まるで砂塵のように消えてしまった。
一方で及川はその場に立ち尽くす。
どうして及川の恋路が上手く運んでいないと、あの老婆は見破ったのだろう。
『ま、夢の中だからね。何でもアリか』
ジリリリリ──。
枕元で目覚まし時計が鳴ると、及川は布団の中から手だけを出し、けたたましい音を止める。
そして布団の中に手を引っ込めようとしたところで、カサ──、と音がして動きを止めた。
「何……?俺、何か枕元に置いて寝たっけ……?」
寝ぼけ眼のまま、布団の中から這い出ると、そこには昨夜夢の中で老婆に手渡された惚れ薬入りのチョコレートが置いてあった。
否、実際に惚れ薬が入っているのかどうかは知らないが、とにかくその袋は夢の中で貰ったもので間違いない。
「うわぁ!!!何、コレ!?超キモいっていうか……超コワい!!!」
慌ててチョコから遠ざかる。
冗談じゃない、こんな危険なチョコ、1秒だってそばに置いておきたくない。
「あれ?でもあのお婆さん、俺の恋路の現状を言い当てて見せたよね?ってことは、恋の伝道師か何かかな?」
及川の頭の中も、相当おめでたかった。
たとえ恋の伝道師であっても、人の夢に入り込めるはずなどありはしないのに、半ばそうだと信じているあたり、かわいいではないか。
「そっか、これを飛雄に食べさせれば……」
『及川さん、ずっと好きでした』と影山は言ってくれるのだろうか。
及川はめでたい思考回路を維持したまま、出かける準備を整えるのであった。