【桜魔ヶ刻々生命線】

□三.『無形の面影』
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何か手掛かりが掴めた…とはいえないその夜。
今回も町まで行けず、いつものように野宿となった。

三蔵は、他の三人が寝静まったのを見計らい、一人近くの小川へ向かった。
夜の小川は冷たく澄んでいる。
小川の近くにしゃがみ込み、見上げると、今朝方見た夢と同じくらいに満天の星空。
そして満月。…戎は満月が好きだった。

――戎。
今お前は何処にいる?
お前の姿かたちが思い出せん。
どうしても俺の一部を見つけないと駄目か?
そうでもしねぇと思い出せねぇのか?

『……嘘ばっかり。』

今のお前は、俺にとって別人だとでもいうのか?
…戎、お前は一体、何処の誰なんだ?

あの日の言葉を思い出し、辛くなる。
――その時、後ろから何者かに声をかけられる。


「――三蔵?」

振り返ると、そこには眠ったはずの八戒がいた。

「…何の用だ」
「いえ、目を開けたらいなかったので」

そう言いながら、八戒は三蔵の隣に座り込み、夜空を見上げる。

「…こんな綺麗な夜空を」
「あ?」

「彼女のためにとっておきたかったんですよ」

その言葉に、三蔵は思い出した。
八戒には、かつて恋人がいた。
人や妖怪を殺めるほどに、愛した恋人が。
しかしその恋人は人質に出され、百眼魔王に陵辱され、挙句の果てに八戒の目の前で自害した。
その結果、八戒は妖怪になり、大罪人として三蔵達に追われ、しかし罪を許されたのだ。
…そして現在に至るわけだが。
こいつは誰よりも分かっている。
大事なものを失うことの悲しみを。
だから三蔵の痛みも、八戒が一番理解していた。


「…今夜は…月が綺麗だ」
「そうですね…」
「戎は…この月が好きだった」
「…一緒に見てたんですね」
「もっとも俺は戎の横顔ばかり見てたんだがな」
「三蔵らしい…」
「お前もそういう時あっただろうが」
「ありましたよ?どんな綺麗なものよりも、恋人の顔が一番綺麗なんですから」
「……だな」

三蔵は、まさか八戒とこんな話で花が咲くとは思いもしなかった。
八戒は何気なく三蔵を気にかけていた。
自分の愛した人はもう戻っては来ない。
でも三蔵の愛した人がまだ生きているというなら、全力で捜し出すつもりなのだろう。

「…戎さんを必ず見つけましょう」
「…本当にいいのか?」
「あなたには、僕みたいな思いはしないで、戎さんと幸せになって欲しいですから」
「相手は男なんだがな…」
「誰かを好きになることに、身分も歳の差も性別も関係ありませんから」

そう言って八戒は微笑む。
…恋愛経験ならこいつは俺よりよっぽど上だ。
こいつがいて良かった。
三蔵は改めて八戒に心から感謝した。
もちろん口には出さぬつもりで。
…すると八戒が三蔵に問う。

「…『好き』って、言えなかったんですよね」
「ねぇよ…言えるわけがねぇ」
「戎さんは、もっと三蔵に甘えて欲しかったんじゃないですか?」
「……今じゃ分からねぇよ」
「三蔵。想いは時には言葉にしてあげてください」


八戒は三蔵を見つめてこう告げた。


「誰かを想い、言葉にするのは難しいです。でも誰かを想い、ただ祈るのは簡単すぎます」
「………」
「…どうでしょう、三蔵」
「…何だ?」
「少しだけでも良いんです。ほんの少しだけ勇気を出して、言葉にして伝えてみませんか?」
「八戒…」


戎は、自分の想いを直接言葉にして伝えてくれた。
三蔵にはそれが出来なかった。
…八戒には、それが出来ていた。だから言える事なのだ。
三蔵はなんとなく八戒を羨ましく思った。

「だから再会したらその時は、きちんと伝えましょう」
「…あぁ…そうだな」

八戒は微笑み、再び夜空を見上げる。
三蔵はその横顔を見ていた。
秀麗かつ端正で、一見すると女性と見間違えそうな程に美しい顔立ちだ。
ジープに乗っている時に、いつも八戒の隣で座っているにもかかわらず、三蔵はその美しさを間近でみたのは初めてだ。
その時、三蔵は気付いた。


――八戒はどことなく戎に似ている。
顔さえはっきりとは思い出せないが、恐ろしいほど似ている。
妖怪を憎むあまり、半人半妖になっただけではない。
温和なところ、世話好きなところ、少々抜けているところ、強いようでいて繊細なところ。
喋り方、微笑み方…。

八戒が戎本人ではないかと錯覚を起こす程だ。
だが八戒には、肝心な額にあるはずの『チャクラ』がない。
それだけで、八戒が戎でないことは明確だ。
なのに、何故こんなに鼓動が激しいのか、三蔵にも分からなかった。

「…八戒」
「何です?」
「お前…なんとなく戎に似ているな」
「そうでしょうか?」
「…今だけ、『戎』と呼んでも…悪かねぇだろ?」
「………良いですよ、三蔵」

今夜ぐらい、目の前にいる綺麗な男を戎だと思って、告げたい。
三蔵は、八戒の手に優しく触れた。


「…戎」
「…はい」
「お前が好きだ、ずっと好きだった」
「……はい」
「もう放すつもりはねぇ」
「……は、い…」
「…お前が欲しい、愛してる」
「……っ……」


八戒の顔は徐々に真っ赤に染まっていった。
それにつられて、三蔵もつい真っ赤になる。
代理といえど、直接こんなことを言われるのは恥ずかしいのだろう。

「…悪かった」
「い、いえ…ただ何だか、羨ましくて…妬けるなって」
「妬ける?」
「…いつか戎さんは、三蔵にそう言われるんだろうなって思うと…」

そう言って、八戒は照れながら微笑んだ。
…俺はいつかこの言葉を、戎に告げられる。
だが八戒にはもう……。
それを思うと、三蔵は胸が痛んだ。

『八戒』と『戎』。
思い出せないはずの面影が、曖昧に重なった。
恐ろしいほどに、愛してしまいそうなほどに、八戒は戎に酷似していて。
三蔵の心は、不覚にも激しく揺れてしまった。


――この夜の八戒の事を、俺は忘れはしないのだろう。



…続。
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