殺戮の天使 Revive Return
□暗殺狂質
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ニライの雰囲気が一新した直後、ザックの動きがピタリと止まった。
この現象を受けて、当人のザックも何が起きたのか分かっていないらしく、必死に体を動かそうと身じろいでいるのが分かる。
チェシャ猫「…? え…? お兄ちゃん、どうしちゃったの……?」
チェシャ猫を含めて、周囲の野次馬たちも何が起きたのか理解していない様子だった。
しかし、神道に通じる者や霊感を持つ者なら、この状況が分かるだろう。
グレイ「……ッ」
レイ「…何……あれ…」
神父のグレイや、死そのもののレイチェルがそれに該当した。
二人の目には、ザックの両手足を捕まえている“無数の白い手”が見えていた。
気は心から。
ニライは自分の“念”を強く意識することで、幽霊が生者を金縛りで苦しめるように、ザックの四肢を硬直させているのだ。
ニライ「集中力が切れたら効果がなくなるから、あまり得意な手段じゃないんだけどね……。僕の武術の琉球空手とは、やり方も随分と異なるし……」
ザック「てめえ…ッ、俺の体に、何しやがった…ッ。動けねえッ!」
ニライ「たった一人のターゲットを相手に、本来ならここまで時間をかけるわけにもいかないんだ……。君の身体能力を見越して、悪いけど早々に終わらせるとしよう……」
身動きの取れなくなったザックに近付き、その胸へと両手をそっと添える。
ニライ「転掌の波拳」
ザック「……ッ、てめえ! 何する気だッ」
ニライ「征配ッ、遠方鎮火ッ!!」
ニライの両手から放たれたのは、凄まじいほど“気”の塊。
大砲並みの空砲を胸部にゼロ距離で受けたザックの体は、胸骨が砕け、肺は張り裂けるほど圧迫される。
ザック「ーーーッ!!!??」
白目を剥いて血の泡を吹き出したザックは、周囲の建物を薙ぎ倒しながら時間差もなしに吹き飛ばされた。
レイ「……ッ!! ザック!!!!」
ニライ「…まだだ。まだ終わらせない…」
吹き飛ばしたザックを追って、ニライはその場から駆け出した。
巻き込まれないように避難していく野次馬たちとは逆に、気付けばレイチェルもザックとニライを追って駆けていく。
グレイ「待ちなさい、レイチェル!」
チェシャ猫「レイチェルッ!」
途中から軌道が変わったのか、ザックは南西地区の一角に建てられていた時計台の上部に突っ込んでいた。
おそらく、吹き飛ばされた途中で屋根か何かにぶつかっていき、そのまま上昇して今に至ったのだろう。
とりあえずここで止まってくれたものの、その体に負った傷は今までで一番深いものになっていた。
ザック「……ッ……ッ……ッ」
うまく呼吸ができない。
肺が裂けたばかりか、折れた胸骨が突き刺さってしまったようだ。
ニライ「見つけた」
そして何より、ニライに見つかって追い付かれてしまったことも不運だった。
ニライ「そろそろグソーが見えてきたんじゃないか? 道に迷うことはない。僕が来たからには、しっかりとそこまで導いてやるから安心しろ」
ザック「……グ…ソー…?」
先ほども同じようなことを言っていた気がする。
グソーに導く。
その言葉が、ニライの“暗殺者”としての姿を形作っているのだ。
ニライ「グソーとは“あの世”の意。僕は“グソーの遣い”として、あなたたちのような人々を導き、送り届けるのが仕事だ」
ただの殺しと何が違うのかと問われれば、一つだけ大きな違いがある。
ニライは決して、自分の意思で殺人は行っていない。
彼が引き受けているのは、あくまで“代行”なのだ。
ニライ「グソーに送りたくても送れないものがいる。実力がない。方法が分からない。人として出来ない。理由なんて山ほどある。だが、そんな理由など関係なく、誰かの殺意を代わりに背負ってグソーへと導くこと。それが僕の“暗殺”だ」
ザック「…………」
ニライ「そのグソーへと導いてやる。もう決して、二度とこの世に生を受けないよう徹底的にな」
すると、時計台の外から声が聞こえてきた。
この周辺までニライを追い掛けてきたレイチェルの声だ。
レイ『ザックー! ザックーッ!!』
ザック「………ッ…」
ニライ「…………」
ザックとニライがレイチェルの声に気付き、外を見やる。
レイチェルに続いて、グレイとチェシャ猫も追い付いてきたが、どうやらこちらには気付いていないようだ。
ニライ「……あなたには、随分と仲の深い関係者がいるようですね」
ザック「…………」
ニライ「特に、あの“レイチェル”という子……。他の二人とは異なる感情が見て取れる……。普通とは違う関係性も感じ取れますが、どういった繋がりが?」
ザック「…………」
ニライ「妹か……姪っ子……それとも友達ですか? 年齢的に不自然ですが、恋人というわけでもないでしょう」
ザック「…………」
ニライ「何であれ共通して言えるのは、あのレイチェルを含めて、そこにいる三人はあなたにとって大事な人たち。これは間違いありませんよね」
ザック「…………」
ニライ「あなたを導く前に、あそこの三人を殺してみましょうか?」
ザック「ーーーッ!?」
今まで無反応を決め込んでいたザックが、ようやく驚愕の動作を見せる。
ニライに掴みかかろうとするも、内臓に負ったダメージが思っていたよりも大きく、そのまま血反吐を吐いて倒れ込んでしまった。
ニライ「これは私情ですが……、どんな形であっても“幸せ”や“幸福”といった関係性……。それを見せつけられると、どうにも虫唾が走るんですよ……」
どちらかといえば、これがニライの本性だったのかもしれない。
普段は時と場合に応じて、デフォルトの穏やかな好青年を前面に押し出している彼だが。
その実態は、相手を徹底的に追い詰めて殺害することを好む残酷なもの。
今までも多くの暗殺を成功させてきたグソーの遣いは、幸福や幸せを極端に嫌う冷酷な殺人鬼に他ならない。
ニライ「ここで四人ほどグソーに導けば、あちらの世界でも寂しくありませんよね? 尤も、既に死亡している様子のレイチェルが、あなた方と同じ場所に行けるのかどうか……そこまでは分かりかねますが」
ザック「……ま…、待…てッ…。て…めえ……ッ」
何も知らない三人に向かって歩き出すニライを、ザックが地を這って追いかけていく。
虚しくも当然だが、その差は開いていく一方だった。
周囲の被害状況を見たグレイは、吹き飛ばされたザックはこの付近で止まっていると推測している。
グレイ「間違いないはずだ。ニライの姿が見えないことも気掛かりだが、この近くにいることは間違いない」
レイ「ザック……、大丈夫かなぁ…」
と、ここでチェシャ猫は先ほどのレイチェルの独り言を思い出した。
チェシャ猫「……ねぇ…、レイチェル」
レイ「……?」
チェシャ猫「さっき、根本遥架って言ってたよね?」
何処でその名前を知ったのか。
そう訊ねようとしたところで、何も知らないレイチェルの方から自然と口を割ってくれた。
レイ「うん…。ニライが捜してる人みたいだった……。けど獄都でのことを聞いてたみたいだし、もう死んじゃってる人なんだと思うよ…」
チェシャ猫「…………」
グレイ「その人物、ニライと何か関係があるようだが……いったい誰なのだ?」
チェシャ猫は、別に隠すほどの情報でもないと思ったのか、この状況で隠し事をする気にならなかったのか。
ニライと遥架の関係性について、まずは簡潔に説明してくれた。
チェシャ猫「闇市に来る前に、一緒に暗殺稼業をしてた相棒……って感じかにゃぁ……。そして……」
と、ここで言い掛けた事柄については“本人”が引き継いだ。
ニライ「僕の、実の姉さんさ。僕の知らないところでそんな話をするなんて……あまり気分の良いものじゃないねぇ?」