殺戮の天使 Revive Return
□瞬火
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鎌を手に取ったザックは、チェシャ猫の家を出ていこうとする。
ザック「金がいるんだろ? ちっと待ってろ。足りねぇ分もすぐに用意してやらぁ」
グレイ「待て。法はない。警察もいなければ規則もない。確かにそう言ったが……何をやってもいい、というのは別問題だぞ」
ザック「あぁ?」
よく考えれば分かることだが、本当の意味で“何をやっても問題ない”のなら、この町も今頃は滅んでいるだろう。
暗黙の了解。
その言葉が示すように、この町には非公式な境界線が存在している。
非常に曖昧だが、この町ならではの平穏を維持している非公認規則というものなら存在しているということだ。
グレイ「言うならば、影の支配者。この闇市という町は、今は六人の人物が権力者として君臨しているのだ」
ザック「影の支配? 権力者?」
グレイ「難しいことは別の機会に話すとして、簡単に言うならば……お前が好き勝手に暴れることを、この町は許してはくれないということだ」
ザック「じゃあどうすりゃいいってんだよ! この下の魚屋でアルバイトでもしてマトモに稼げってのか!?」
商品名も読めない販売員にバイトが務まるはずがない。
だが、そんなことはグレイにも分かっていた。
だからこそ席を外していたのだ。
わざわざ教会に戻ってまで、グレイは“とある物”を持ち込んできた。
チェシャ猫「にゃ?」
グレイ「チェシャ猫よ。交渉をしようではないか」
チェシャ猫「交渉?」
グレイがチェシャ猫に手渡した物。
それは“あのビル”で使われていた、ザック自身のプロフィールだった。
グレイ「ザックの身体能力は、お前もその目で見て確かめたはずだ。これほどの犯罪者は珍しいはず」
チェシャ猫「…………」
グレイ「犯罪者専門のストーカーを名乗るほど、狂人好きのお前のことだ。どうだね? しばらくの間、ザックをお前の好きに使わせてやるのも考えないことはない」
ザック「はぁあ!!?」
グレイの言わんとしていることは、さすがのザックでも理解できた。
グレイ「稼いだ400万も支払わせてもらう。残りの4600万は、ザック自身の体で支払って……」
ザック「待て待て待て待てッ、おいクソ神父! てめぇ何をトチ狂ったこと抜かしてやがんだッ! あぁ!?」
ちなみに、別にイヤらしい意味で捉える必要はない。
要するに、ザックをチェシャ猫の召使でも雑用係でもいいから、少しの間だけ自由に扱き使ってみないか、という交渉である。
もちろん4600万キラン分。
チェシャ猫「……本人は嫌がってるみたいだよん…?」
ザック「ったり前ぇだ!! 誰がてめぇみてぇな化け猫女とッ」
グレイ「ザック」
ザック「…あ?」
一言で呼び止められ、何か分からない内に一度外へと連れ出された。
急に態度を変えたグレイを見て少しだけ冷静になったせいか、ザックにも気付いた点が一つ。
先ほどのチェシャ猫は……少し、寂しそうな雰囲気を漂わせていたように思えた。
チェシャ猫は無戸籍児。
出生届が出されておらず、身分を証明できるものを持っていない。
身分を証明できないということは、自分自身がどういう人間なのかを知ることが出来ないばかりか、本当の自分を探す手段さえ見つけられない。
グレイ「あの子が“盗み”に塗り固められた人生の中で、情報屋という職業に安定しているのは……本当の自分を見つけたいためなのかもしれないな」
ザック「…………」
それが何だってんだ、とは口に出なかった。
心の中で思っていたものの、ザックは自然と黙って聞き続ける。
グレイ「この闇市では、知らぬ者のいない“超一流の情報屋”として君臨しているが……振り返ってみれば、まだ九歳の幼い少女だ」
ザック「…………」
グレイ「親からの愛情を受けずに育ち、いまだに愛情を受けることを知らない。その気持ちは、お前にも分かるものがあるのではないか? ザック」
ザックの幼少時代も、チェシャ猫ほどではないが悪いものだった。
全身に負った火傷や、あの夫婦の顔や言葉を思い出すたびに、胸は嫌な気持ちで満たされていく。
グレイ「これを見ろ」
ザック「あん…?」
手渡したのは、一枚の手配書。
そこに載っていたのはチェシャ猫の顔写真で、その下に刻まれた懸賞金は5000万キランと記されていた。
ザック「……ッ!!? は、ああ!? なんだこれッ、どういうことだよ!!」
グレイ「言ったはずだ。情報屋とは誰かに恨まれる仕事だと。こういう形で命を狙われるのは珍しいことではない。何より、ここに到達するまでにその末路を辿った情報屋を見てきたはずだろ?」
ザック「……ッ」
超一流ともなれば、その度合いは相当なものだろう。
情報屋は便利なもので、利用する者は後を絶たず、数多ある情報を提供して万人に喜びと至福を与える。
と同時に、同様の万人に悲しみと絶望を与える仕事でもあるのだ。
彼女が売った情報が原因で何人の犯罪者が不幸な目に遭ったことだろう。
ザック「…………」
グレイ「召使や雑用だと言ったが、言い換えるならば……ただ遊び相手になってくれるだけでもいい。ほんの少しだけ気にかけて、構ってやってはくれないか?」
ザック「……何で俺が…」
グレイ「あの子の気持ちなら、少なからず共感できるはずだ。迷える子羊に手を差し伸べてこその神父だが……生憎と私は手一杯でね」
ザック「…チッ、何言ってんだよ……クソッタレが…」
懸賞金の金額は、犯罪の残虐性だけが物語るわけではない。
チェシャ猫のように、その者が持っている才能や実力。
この闇市の中で評価される立場や価値観で大きく左右されるのだ。
チェシャ猫の特技と言えば、逃げ足が速いことや世渡りが上手いこと程度で、殺人などの犯罪には無関係だ。
にもかかわらず“5000万”という金額を首に掛けられてしまったのは、それも全て彼女の“情報屋”としての腕と才能を評価されてのことだった。
チェシャ猫「…………」
ザックとグレイの会話だが、外で話そうと関係ない。
盗みさえも得意とするチェシャ猫にとって、もはや盗み聞きなどお手の物。
二人だけの内緒話だったのかもしれないが、チェシャ猫には全て筒抜けなのであった。
チェシャ猫「……そんな気遣いなんて…いらにゃいのになぁ…」
ずっと一人で生きてきた。
頼れる人なんて誰もいない。
自分以外は敵だらけ。
元から何も持ってないのに、隙を見せれば更に奪われる。
奪われないために盗み続けてきた。
誰も追って来られないように逃げ続けながら、誰と並ぶこともなく、そういう人生を歩んできたのだ。
誰も手を差し伸べてなどくれなかった。
ザック「おい」
チェシャ猫「……!」
再び、室内に二人が顔を出す。
第一声を掛けてくれたのは、ザックだった。
ザック「………走りすぎて…、腹減っちまったよ」
チェシャ猫「……ッ…」
ザック「…何か、食いに行くか」
素っ気なく差し出されるザックの手。
ザックとチェシャ猫を、グレイは黙って見守っていた。
チェシャ猫「……うんッ」
その手を取る。
差し出された手の温かさを、この日、初めて知ったような気がした。
闇市にも娯楽施設がある。
甘味処や居酒屋といった年齢層を分ける食事処から、若者向けのゲームセンターや大人向けのパチンコなどなど。
その中で、チェシャ猫のような年相応の女の子が好む特殊な甘味処が……。
スイーツパラダイスだった。
グレイ「ふむ。こういう店に来るのは初めてだ」
ザック「つーか、俺ら完全に浮いてんじゃねぇか……」