S.A.D

□なんて日だ! 後編
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「はーい、笑ってください」

カメラを構える女性に向けて私と母さんは『入学おめでとう!』の立て看板の側に並んで笑みを浮かべた。


カシャッと音がする。写真を何枚か撮り終わって母さんは女性にありがとうございましたとお礼を述べて女性からカメラを受け取った。女性は微笑ましい眼差しをして去っていった。



「さて、入学式は終わったから私は帰るけど、アンタはどうする?」

「え?私も普通に家に帰るよ」

なんで?と私が首を傾げる。そんな私に母さんは言った。「ほら、入学式の時に新入生代表の子が言ってたじゃない」と。

「新入生代表って、跡部くんのこと?」


そう、新入生代表はあのチャーミングポイントは泣きボクロの何様俺様跡部様でお馴染み幼い跡部景吾だった。


「そうそう、跡部くん。すごい良いこと言ってたじゃない」

「えと、『充実した学園生活をその手で掴み取れ』だっけ?」

今日からこの俺様が氷帝学園のキングだとか言ってた気がする。あと高笑いとか。未だ現実味のない現実を受け止めきれずにいた私は跡部くんの言った言葉があまり頭に入ってこなかった。跡部くんは母さんが感動するくらい良いこと言ってたのか?


「それもだけど、ほら。えと、『この氷帝学園に一流の環境を揃えた。それを生かすか殺すかは自分次第。自分を甘やかすな。充実した学園生活を自分の手で掴み取れ!』って」

「一流の環境を揃えた?」

平凡な私には縁のないものだ。
そんな私に母さんは頷いた。


「そうよ、あの跡部財閥が出資したその一流の環境を今すぐ体験しなくて良いの?」

他の子達はもう体験してるはずよと母さんがそう言って私の背中を押す。行ってこい!と言うことだろう。

確かに夢でも現実でも今だけはその環境に触れてみるのも良いかもしれない。私は母さんの言葉に頷いて学園内を走った。

まず人集りが出来ている建物が見えた。なんでもそこは学食のある建物らしい。人混みをかき分けて前に出ると目の前にはまるで高級レストランみたいな光景が広がる。

他にも最新式のトレーニングマシンや広々とした温水プール、そしてシアタールームのような視聴覚室など。これらはすべて跡部くんが寄付したものだと言う。母さん曰く彼の言った一流の環境とはこのことらしい。流石跡部財閥の御曹司様である。


「あ、あんごおっちっちゃ〜…!」

凄すぎてますます現実とは思えない。が、高級なビュフェを食べながらこれは夢ではないと認識する。ああ、これ母さんにも食べさせてあげたいな。だけど、周りの子たちの傍に親の存在はない。先程の女性の微笑ましい眼差しの意味は私と母さんが一緒に居たからだったのか。これ食べ終わったら、母さんに連絡しよう。


「ねぇねぇ聞いた?跡部様が男子テニス部の先輩たちを一人で倒したって!」

見に行こう!と黄色い声で騒ぐ女の子たちの声を耳にして最後のスイーツを一口で食べ終えた。跡部くん、昔からテニス強かったのか。すごいな。


「あ、あと丸眼鏡をかけた長髪の男の子と今から試合するんだって!」

丸眼鏡に長髪って忍足くんのことか。跡部VS忍足の戦いがこの目で観れるということか。こうしてはいられないすぐにテニスコートに向かわなければ!母さん、ごめん。この試合見たら連絡するから。



「うわぁー、ギャラリーが女の子ばっか」

スタジアムのようなテニスコートに辿り着くと観客席には人で溢れていた。男の子もちらほらいるけど、殆どが女の子たちだ。みんな、跡部くん目当てだろうか。さて、忍足くんはどこだろうってもう跡部くんと対面してるよ。

パチン!と指を鳴らす跡部くん。そして言った。「勝者は……俺だ!」と。


跡部くんの言葉に周囲から黄色い歓声が飛び交う。跡部くん、って本当に派手だな。

最初のサーブ権は跡部くんから。跡部くんの放つ速いサーブを忍足くんは構えたラケットを動かさずに見送る。それも4回。ワンゲーム取られたけど、あれは跡部くんのサーブの軌道を捉えるためか。忍足くん、まずは跡部くんのお手並み拝見ってところかな。コートチェンジで二人が並ぶ。なるほど、跡部くんも忍足くんの動きをよく観てるってところかな。

次は忍足くんのサーブ。
跡部くんのリターンコースを読んで忍足くんが先回り。しかし、跳ねたボールの軌道が急激に変わった。跡部くん、リターンの時に強力な回転を掛けたな。忍足くんは冷静に跳ねたボールを追いかけて軽く打ち返す。跡部くんのコートにドロップを決めた。

その後はお互い凄いラリーの応酬だ。
ゲームは忍足くんが3で跡部くんが5。跡部くんが2ゲームもリード。


そんな時、忍足くんがロブを上げた。それを跡部くんがスマッシュ。忍足くんはそのスマッシュをカウンター技の羆落としで返した。ゲームは4ー5。


空が橙色に染まる頃、ボールを打ち合う中で跡部くんのボールが忍足くんの手にあたりラケットが落ちる。そして戻ってきたボールで跡部くんがスマッシュを決めた。あれは破滅への輪舞曲(ロンド)。


「ふ、俺様の美技に酔いな!」

ゲームは6ー4で跡部くんの勝利だ。周りが黄色い声援に包まれる。ゲームを終えた二人がネット越しで握手する。試合を見終えた私はテニスコートから出て母さんに電話を掛けた。
母さんは、一流の環境はどうだった?と訊いてきた。

「凄い充実した1日だったよ」

私の感想に母さんはそう、良かったわねと電話越しで言った。


「これから家に帰るね」

私の言葉に母さんはもう暗くなるから駅までお父さんに迎えにきてもらう?と言ってくれたが、私は大丈夫だと返した。


最寄りの駅に行くホームを探していると後ろから声を掛けられた。「氷帝のお嬢さん、パスケース落としたで」と。


「あ、ごめんなさ…い」


振り返ると、忍足くんが居た。
いきなりのエンカウントに驚いていると忍足くんが私の手を掴んで落としたパスケースをしっかりと握らせた。


「ほな、俺はこれで」

「あ、ありがとう」

そう言って彼は目的のホームに歩いていく。私は彼に握らされたパスケースを見つめた。そして、あることを思い出した。忍足くんって私の最寄り駅と同じなのではないかと。


「……まあ、いいか。同じ電車でも待つ車両が違うなら滅多に会わないだろう。」


そう呟いて私も目的のホームへと急いだ。それにしたも今日は本当に充実した1日だったな。


To be continued
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