番外編
□甘い匂いに誘われて
1ページ/1ページ
「ふわぁ……」
午前の授業が終わった。
眠い、と欠伸で出てきた涙を拭って自分の机にうつ伏せになる。そんな私に声が降ってきた。「風宮さん」と。
「なに?」
滝くん、とうつ伏せのまま問う。滝くんは少し息を吐いて、前の席に座った。跡部くん率いる氷帝男子テニス部正レギュラーがUー17の合宿所に向かってから滝くんは私のクラスによく訪れるようになった。
「今年はもうこそこそ渡さなくていいね」
徹夜だったんでしょう?と、訊いてくる滝くん。何もかもお見通しという彼に今度は私が息を吐く。
2月14日。
バレンタインデー。
直前まで忍足くんとSNSのトークルームでバレンタインについて色々語っていて(まあほとんど彼の一方的なんだけど)、バレンタインと言うことで察しの通り、チョコの催促。それでも彼の喜ぶ顔が見たいと思って徹夜で作った。そんな私の心を読み取った滝くんに私は言った。
「滝くん、はい友チョコ」
「催促したつもりはないんだけど、ありがとう。……あ、そうだ。今さ、話題になってるんだけど」
君様が紹介してたんだけど、と言ってうつ伏せの姿勢から起き上がった私に滝くんがスマホを見せてくる。君様と言うのは、立海大の丸井くん曰く誰もが憧れる天才テニスボーイの君島育斗さん。アイドル。
「これって前に忍足くんから聞いたチャリティーの…」
「そうそう、なんか反響があったみたいでさっき立海大の丸井とウチの向日が映っててさ」
滝くんのスマホには動画配信で現在四天宝寺の千歳くんがインタビューを受けている。と言うかSNSでバズってる。募金したらイケメンから逆チョコがもらえるとか。チャリティーメンバーとお揃いのTシャツだの色々な画像や動画があがっている。
「放課後、寄る予定だったよね?」
「……すごい。忍足くん何食わぬ顔でカメラ目線にピースサインしてる。」
「こんなたくさんの画像で忍足見つけるの早いよ。やるねー。」
愛の力だね、としみじみに言う滝くん。さて、どうしたものかと考える。が、今日はバレンタインだ。
「会いにいく」
「やっぱり風宮さんならそう言うと思ったよ」
俺も景吾くん達に会いたいし、
付き合うよと言う滝くん。
「うわぁ、人多い」
「帰宅ラッシュかな?それともやっぱり例のチャリティー?」
放課後、滝くんと一緒に駅までやってきた。どこを見ても人、人、人。
それぞれにチャリティーTシャツを着ている。チャリティースタッフと間違えてしまいそうだ。
「滝くん、やっぱり今日は出直そう……滝くん?」
え、どこ?いつの間にか人に流されて滝くんとはぐれてしまっていた。やばい。スマホで連絡…とスマホを取り出そうとして人に押されてスマホが手からこぼれ落ちる。
「しま…っ!」
落ちたスマホは誰かの手に渡ってしまい、慌ててその人の腕を掴む。すると、その人はそのまま私を人だかりから引っ張り出してくれた。「あ、ありがとうございます」と、頭を下げると声が降ってきた。
「ほんま焦ったわ」
え?聞き慣れた声に思わず顔を上げると、会いたいと思っていた彼がそこにいた。
「な、なんで……」
「滝から連絡もらってな。危ない子やな」
この先に休憩所のテントがあるからそこまで歩けるか?と言う忍足くんに頷く。忍足くんは「すんません、迷子がおるんで通してください」と声掛けをして私の肩に手を回して歩き出す。私は申し訳なさと恥ずかしさで顔を伏せた。
「ごめんなさい」
休憩所のテントの中に入ってすぐ私は迷惑をかけたスタッフさん達に頭を下げた。スタッフさん達は優しく「この人の多さで迷子になるのは仕方ない」と声を掛けてくれた。そして、スタッフさん達は持ち場に戻っていった。忍足くんはそのまま滝くんが来るまで付き添ってくれている。
「……。」
「……。」
ち、沈黙が痛い。
「なあ、なんで黙ってきたん?」
「ごめんなさい。」
「そんな縮こまらんでも怒ってへんよ?ただ心配したんやで」
滝から連絡もらった時は心臓が止まりそうだったわ。と言う忍足くん。そんな彼に涙が出てきた。
「な!?な、なんで泣くん!?」
「寂しくて、ただ、会いたくて」
ごめんなさい、とぼろぼろと零れ落ちる涙が止まらない。これではもっと迷惑をかけてしまう。止まらない涙にどうしていいかわからない。
「はぁ、あかんな。今日はバレンタインデーやで」
泣かんといて、
と忍足くんの顔が近付いてきて目尻に柔らかい何かが当たる。びっくりして涙が引っ込んだ。
「おっ!涙が引っ込んだな!」
「お、おし、忍足くん」
め、目尻にキスされた!?
慌てて彼の唇が触れた場所を手で覆う。
そんなやりとりをしていると、テントの外から「お取り込み中、悪いんだけど。風宮さん、迎えにきたよ」と滝くんの声。
「い、いま行く。…お、忍足くん、これ」
じ、じゃあね!と早々に忍足くんにチョコを渡して滝くんのいるテントの外へと向かう。「俺も会えてよかったわ、また夜電話でな」と言う声が追いかけてきたけれど、私は聞かなかったふりをして外へ出た。
「あれ?風宮さん、顔真っ赤だよ!」
「た、滝くん!声が大きい!」
多分、忍足くんには即効でバレた。
夜に電話が来てそのことでからかわれるまであと……。
END