家康夢
□君の好きな人
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「…好きな男?」
「ええ、いるそうですよ。小姫殿に」
いい歳をして、朝から随分と色ぼけた話題を口にするものだ。
呆れ顔で睨んでも全く気が付かないようで、酒井は楽しそうに言葉を続ける。
「そのせいか、小姫殿は最近、綺麗になったように見えますな」
「あいつが?酒井お前、目の老化が進んでるだろ」
「いえいえ。この酒井の眼力、まだ衰えてはおりません」
「じゃあ、女の趣味が悪いんだ」
ニコリ笑顔を向けると、酒井は困ったように眉を下げる。
「まあ、それは何とも…。しかし小姫殿が綺麗になったとは、城の女中達も話しておりまして。彼女の好きな殿方は一体誰かと…」
「酒井!」
「は、はい」
言葉を遮るように、怒気を含ませ名を呼ぶと、酒井はすっと背筋を伸ばす。
「あの女の話、まだ続ける気?朝からこんな無駄話するの、嫌いなんだけど」
恋にうつつを抜かすなど、奴隷の分際で、随分といい度胸をしてるじゃないか。
そう思うと、その名を聞くたび、胸がムカムカして、気分が悪くなる。
口だけの笑みを添えて睨むと、申し訳ございませんと、酒井は頭を下げる。
「――朝げをお持ちしましたが、入ってもよろしいでしょうか?」
まるで時を見計らったかのように、廊下から小姫の声が聞こえる。
「小姫殿か、入られよ」
何かを口にするより早く、酒井はほっとしたように笑顔でそう口にする。
…何で勝手に許可するんだよ。
無言のまま、不機嫌全開で襖を睨みつけると、襖を開けた小姫と目が合う。
一目で機嫌が悪いと分かる俺の顔を見て、小姫は目を見開いた。
「も、申し訳ございません、家康様。お取込み中でしたでしょうか?」
「ああ。お前が入ってくるまでは、取込み中だったけど?」
笑顔のままでそう言うと、小姫は慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ございません。入って良いとのお声が聞こえたもので…」
「酒井のでしょ?お前は酒井に仕えているの?」
「無論、家康様ですが、酒井様は家康様の…」
「言い訳はいいから。朝げ、とっとと運んでくれる?冷めたら不味い物が更に不味くなる」
「は、はい…!」
小姫は慣れた手つきで、手際よく朝げの膳を並べていく。
色鮮やかなその膳は、見た目も匂いもとても美味しそうだ。
実際、美味しいのだろう。
小姫のこの手際と料理の腕は認めている。
いつもなら満足するそのことが、今日は何故か鼻についてむかついた。
どんな難癖を付けようか。
口を開こうとしたその時、コホンと酒井が咳払いをする。
「申し訳ありません、家康様。私、急用を思い出しまして。ここは小姫殿に任せて、少々席を外してもよろしいでしょうか?」
「は?急用?そんなのがあるのに、あんな無駄話してた訳?」
「申し訳ございません。その分急がせていただきます故」
「おい、待て、酒井…!」
何故か酒井は立ち止まらず、早足に部屋を出て行った。