citron

□Darling
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 ーーなあ、ハンジ。


「オイ、だからテレビ付けっぱなしにすんなって言って……」

 聞こえているのかいないかは分からないが、俺はどうにもコイツのお陰でこの頃主張の強い独り言が増えたらしい。ピッという小さな電子音と共にガヤガヤと下世話な話題で盛り上がっている深夜枠のバラエティー番組が暗転する。それと同時にむくりと体を起こしたコイツは、寝ぼけ眼で涎まで垂らしている。

「は! リヴァイ……?」

「そこで寝るな、布団で寝ろ。あと前にも言ったが、寝るならテレビは消せ」

「えっ? ああ……うん、見てたんだけどなあ……?」

 自信なく語尾が上がるところを見れば、半分寝惚けていることが分かる。テレビを消した途端に目覚める奴らは大抵こう言い逃れするという話を俺は聞いたことがある。そしてコイツというだらしない隣人によって実体験させられた訳だ。

「お前な……あんな下世話なバラエティーなんぞ思春期の中学生が見てていい訳ねぇだろうが。本当にお前があれを見てたらギャーギャー騒いでチャンネル変えるに違いねぇ」

 はあ、と思わず溜め息が零れる。コイツがただのだらしない隣人……という関係だけで終わればいいのだが、実はそうもいかない。俺はどうした訳かこの人の恩を仇で返す系女子ーーそれにしては目視の範囲ではまな板過ぎるので時々男なんじゃないかと疑うくらいだがーーと付き合っているらしい。
 らしいというのは、時折コイツにとって自分が恋人なのか父親なのか、果てはオカンなのかが分からなくなる時があるからだ。

「へー……? 下世話って、リヴァイは見てたんだ?」

 どうやら頭の回転数が少しだけ上がってきたらしい。ハンジよ、それなら脱ぎたての靴下をそこに放るな。洗えとは言わねぇからせめて洗濯機の中に入れろ。だがしかし、俺の心の叫びはコイツには届きそうもない。

「いいから今のうちに風呂に入れ。じゃねぇと布団に入れねぇからな」

「えー……うーん。仕方ないなあ……」

 むすっとしながら返事をしたハンジは着ているツナギをはだけた。オイ、お前な。ここは健全な(仮)男子中学生の部屋だ、妙な真似はやめろ。そしてここで脱いでそのまま散らかすな。と、言って聞くなら苦労はしない。

「ねー、リヴァイー? 下世話ってー……」

「その話は終わりだクソメガネ。早く風呂に入ってこい」

「もー……分かったよ。リヴァイのばか」

 全く、世話の焼ける奴だ。俺はここ何年かですっかり癖になった独り言をブツブツ呟きながら、浴室の方まで続くハンジの脱け殻を一つずつ集めていく。やっぱりコイツにとっての俺という存在はオカンでしかないのか。一応、お前の彼氏なんだぞとハリセンで一発入れてやりたいところだ。

「ねーねー、リヴァイ」

 ガラリと開けられた浴室の扉に、俺はビクリと体が跳ねる。やめろ、色んな意味で心臓に悪いだろうが。そんな悪態はいつだってスルーされてしまう。

「なんだよ、さっさと言え。洗面所にカビが生える」

「私の着替え、あったっけ?」

 俺の本日の苛立ちは頂点に達した。着替えの確認もせずに服を脱ぐな、この神聖で健全な男子中学生の部屋で。俺はもうコイツといるお陰で年齢以上に更けていっている気がしてならねぇ。

「仕方ねぇから持ってきてやる。ただし、文句は言わせねぇからな」

「うん! ありがと、リヴァイ! 大好きだよ」

 そして俺は自分に落胆する。たとえ、どんなにコイツの笑顔が可愛かろうが、何度も絆されてしまうのはいかがなものだろうか。

「分かったから、ちゃんと頭を洗え。リンスもしろ」

 何度目かすら分からない溜め息をつきながら、俺はハンジの脱け殻を洗濯機に入れる。もちろんツナギのポケットにいる意味不明な何かが一緒に洗濯されてしまわないように念入りに調査を行ってからだが。過去に巨人の遺物を一緒に洗濯してしまったのは俺の苦すぎる思い出でもある。それはもう、ある種の兵器と言ってもいい。
 俺は部屋を通り抜け、嫌な予感はしながらもハンジの部屋に向かった。ゴミーー本人は家財道具だと言って聞かねぇがーーを捨てたせいもあってか、ハンジにしては割とキレイな方だ。俺には解せないが。
 時間も時間なので軽く片付けをして、俺は当初の任務を遂行することにした。蛙や虫が出てこねぇといいが。そんな心配やら不健全な方の心配やらで俺の手は汗ばむ。
 幸い、明日はお互い何の用事もないただの日曜日だ。健全で神聖な部屋から出てしまった俺の頭の中はやや不健全な方向へ傾きそうになっていた。いや待て。これはチャンスと言ってもいい。男子中学生を甘く見るな、仇で返す系女子め。

「ーーに、してもだな……」

 ハンジよ。俺はそんなお前が好きだと思うから否定はしねぇが、中三でこの色気のない箪笥には正直驚いたんだが。ナナバか誰か、是非ともアドバイスしてやってほしい。俺は少し悲しい。

「アイツに色気を求める俺が間違ってるのか……?」

 雑にしまわれた箪笥の中身と私服を手に、俺は早々に自室へ戻ることを決意した。感傷に浸っている場合ではない。俺にはやらなければならない仕事があることを思い出した。

「リヴァイーっ、遅いよー」

 一応恥じらいというものがあるらしく、脱衣場の方から声がする。ピョコッと姿を表したそいつは半分壁に隠れ、その体には用意してやっていたふかふかのバスタオルが巻かれている。色んな意味でコイツは俺を殺す気なんだろうかと思い悩む。

「ほら」

「あっ、リヴァイの寝間着かしてよー! ほら、私これじゃ眠れないからさ」

 手渡した服を受け取ったハンジはすぐさま脱衣場に戻ったが、深夜帯だというのに相変わらず声がデカイ。それにしてもお前、意外とそういうのを気にするんだなと感心した。

「ねー、リヴァイー! 早くー! 風邪ひいちゃうよー」

「……ほら、これでいいか」

「うん! ありがと! リヴァイ、大好きー」

 さっきまで机で惰眠を貪っていたのとは思えない程、キャッキャッと嬉しそうな声がする。いや、可愛いんだが。この奇行種め。
 俺は思春期の揺れる思いをどうにか落ち着けようと、部屋に戻って一際長めの溜め息を吐き出した。
 
「お前、間違ってもそのまま布団に……って、オイ!」

 俺の悪い予感は的中した、それはもう恐ろしいほどに。丁寧に拭きもせず肌に滴が伝うような髪を乾かすことのないまま、ハンジは水泳選手よろしく布団にダイブする。

「えー、めんどくさいなあ」

 そしてそう言ったきり動く気配はない。面倒臭いと思ってるのは俺の方だ。いやしかしだがそこが可愛い。頬が弛みそうになるのを抑えて、俺はハンジの襟を掴んで引き摺って布団から引き剥がす。痛いだとか暑いだとか言いながら、むっと膨れっ面をしているが俺がこうして面倒見てやるのには満更でもないようだ。
 引き摺ってきたハンジを座らせ、ドライヤーのスイッチを入れる。尚も暑いだ何だと文句は言っているが、大人しくしているそのびしょ濡れの髪を乾かす作業に俺は専念した。乾いてくると今度はサラサラと流れる髪と共にふわりとシャンプーの香りが俺の鼻先をくすぐる。同じものを使っているはずなのに、どうしてコイツだとこうもいい香りに感じてしまうのか。

「ーーホラ、もういいぞ」

 再び睡魔に襲われていたらしいハンジの頭をポンポンと優しめに叩くと、ふにゃりとした顔がこちらを向く。たったそれだけで俺の中の不健全な部分が顔を現しそうになる。

「ねーリヴァイはお風呂入ったの?」

「お前がテレビの前で居眠りしてる間に入った」

「じゃあ、あっちへ行こう?」

 くるりと対面になったハンジは俺の寝間着のシャツを掴んで首を傾げながら言った。何だコイツは、誘っているのか。俺にもう少し身長というものがあれば、きっと上目遣いだっただろうと思えば少し悔しい。
 いつだったか、コイツとナナバを含むクラスの女子で好きなタイプの話をしていた時の事をふと思い出す。優しい人だとか自分より背が高くてだとかいうお決まりのパターンの中で、コイツは確か『巨人の話を聞いてくれて、私のことを見守りながらも放っておいてくれる人』とか言っていたと思う。残念だが、俺はそのどれにも該当していない。本当にコイツは俺が好きなのだろうか。いや、コイツに恋愛とかそういう概念はあるのだろうか。まさか、動物が好きだとか卵が好きだとか、俺に対してもそういう好きじゃないだろうか。俺は悶々とした。

「リヴァイ?」

 ふとその声に現実に戻ると、ハンジは不思議そうな顔をしている。どうでもいいから寝間着から手を放せ、このまま押し倒すぞ。とはいえ俺達にはまだそういった関係はまだなく、精々手を繋いだことがあるくらいだ。そういえば、この前はミケと手を繋ごうとしてナナバがキレかけたてたな。

「ーーハンジ、」

 俺は衝動的にその両肩を掴んで引き寄せる。バランスを崩して座ったまま屈むような体勢になったハンジは驚いていたが、そのまま勢いで顔を近付けた。ふにっと柔らかな感触が俺の唇に当たる。

「ーーっ!」

 ビックリしたまま固まっているハンジの頭を引き寄せ、何度も角度を変えては触れるだけのキスをした。そしてペロリとその合わせ目を舌で舐める。きっとそういった事に関してはふんわりとしか知識がないだろうコイツには訳が分からないだろうが。

「ん……リヴァイ……」

 これで満足した訳もなかったが、小さく弱々しい声で呼ばれて俺は体を離した。じっと俺を見ているハンジの顔は真っ赤だった。それを目にした俺にも、急に照れ臭さが襲ってくる。

「……ねぇ、コレ、リヴァイは今までしたことあるの?」

 おずおずと尋ねてくるハンジはその指で自分の唇に触れた。俺の心がもう少し若ければ、絶対にこの場にもう押し倒していても不思議ではない。

「ない、お前は?」

「……初めて、かな」

 恥ずかしそうに俯くハンジの声はごにょごにょとそう告げた。そりゃそうだろうなと思いながらもどうしてこうも嬉しいような気がするのだろうか。

「も、もう寝ようよ! こんな時間だし!」

 はっと顔を上げたハンジが雰囲気をぶち壊すかのようにデカイ声を出した。俺は心の中で舌打ちをする。まだ真っ赤な顔してるくせに、何て奴だろう。

「……ああ、そうだな」

 諦めた俺はくしゃくしゃと乾かしてやった髪を撫で、腰を上げた。まだ先は遠いのかという落胆は隠しきれていなかったらしい。同じ布団に潜り込んできたハンジはじっと俺の顔を見ている。

「何だ」

「えへへ、何でもないよ」

「言え」

「んーっとね、初めてがリヴァイとで良かったって思って! はい、おやすみ!」

 照れ笑いしながら比較的早口で言ったハンジは、布団の中にすっぽりと頭まで潜った。ふざけるな、可愛いじゃねぇか。再びスイッチの入りそうになった俺だが、もう夜も遅いのとここが神聖で健全な男子中学生の部屋だということを思い出す。ごろりとハンジに背中を向け、何度目かの溜め息と共に目を瞑った。

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