いぬぼく 小説
□体調不良
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「…う…。」
げほげほと、自分から発せられる耳障りな音で目を覚ます。
…のどが痛い。空気が気道を行き来する度に鈍い痛みが喉に広がる。
またか、とため息をつき重い頭をあげようとするが世界がぐるぐる回って起き上がれない。
諦めて手探りで枕元の携帯を探りあて、画面をつける。映し出された時刻は午前3時。
この時間ならまだ誰も起きていない。それならむしろ好都合だ。
誰にも迷惑をかけずに済む。
私は、昔から体が丈夫なほうではなかった。
しょっちゅう熱を出し、風邪を引き、喘息を起こした。
だから、こういうことには慣れている。
少し体調を崩しただけですぐに熱を出すこの体にも、痛くなるこの喉にも。
学校、行かなくちゃ。
みんなに心配をかけるから、気付かれてはいけない。
あと4時間で、熱下がるかな?
そんな馬鹿なことを考える。
少しまともになってきた頭をゆっくり起こしベッドの淵に座る。
あたまが、ぐらぐらする。
熱はきっと38.3℃くらいかな、とおおかたの予想を立てる。
体温計、どこやったっけ?
あと、風邪薬と、喘息の薬と…
なんとか立ち上がり冷蔵庫の中を覗くがスポーツドリンクどころかミネラルウォーターすら見当たらない。
水分、取らないと…。
戸棚からランタン型のランプを取り出して電源をつけ、財布から500円玉を取り出しポケットに入れ、静かに部屋のドアを開けた。
私にはSSがいないので同じ階に住んでいる人はいない。
だからこの階で誰かに会うことはないと思うが、なるべく足音を立てないように廊下を歩く。
エレベーターに辿り着き、ボタンを押す。
チン、と無機質な音を立てエレベーターの扉が開いた。
壁に手をつきながら乗り込み、ボタンを押す。
動き出したエレベーターの独特な感覚に吐きそうになる。
エレベーターが止まると口元を抑えながらやっとの思いで自販機まで歩み寄り、スポーツドリンクを2本購入する。
自販機の前のベンチに座り込んでスポーツドリンクに口をつける。
「…ぐ、…っけほ、げほげほっ、げほっ…!」
空気ですら痛みを感じる熱い喉に甘いスポーツドリンクは裂けるほどに染みて、その場で激しく咳き込む。
痛い、痛い、痛い。
じわり、と血の味が滲む。
静まり返った廊下に私の咳はよく響いた。
誰かが起きる前に止めなくちゃ。
ひゅーひゅーと、ノイズが混じり始めた咳を止めようとゆっくり深呼吸をする。
部屋に戻ろう。
そう思って止まらない咳を抑えつつ、立ち上がった時。
ぐらり、と視界が揺れて床に吸い込まれる。無抵抗に放り出された体に痛みが走る。力が入らない。このままじゃ、熱も下がらない、心配かけちゃう、このままじゃ…
「莉桜様!」
唐突に、誰かの足音と私を呼ぶ声が聞こえた。
床に倒れたまま動けない私を誰かが抱き起こし、冷たい手が熱い頬に触れる。
相手は何かしきりに声を掛けてくれているようだったが、熱に侵された私はそれを聞き取ることすら出来なかった。
ごめんなさい、迷惑かけて…
そう言葉にしようとするも私の口から出るのは不気味なノイズだけで。私はそのまま意識を手放した。
…莉桜、莉桜、ああ、可愛い莉桜。好きだよ、大好きだよ、愛してる。莉桜、君は綺麗だ。
莉桜。莉桜。莉桜。莉桜。莉桜。莉桜。
やめて。お願い、来ないで、お願い、やめて…!
「…おい!莉桜!莉桜!」
「っっつ!」
はっと目を開けると大丈夫か?と心配そうに覗き込む連勝の顔。
「連勝っ…!」
勢いよく飛び起きて連勝に抱きつく。
が、ぐにゃりと視界が揺れ、力が抜ける。
連勝はベッドへ身を乗り出して支えてくれた。
「れん、しょ、…れんしょ、う、れんしょ、連勝、れんしょ…っ」
呂律が回らずうまく喋ることが出来ない。
それでもただ怖くて。彼にしがみつく。
連勝は彼らとは違う。そうでしょう?だからお願い、離れないで…。
「どうした?怖い夢でも見たか?」
彼は優しく聞いてくれたが答える余裕もない。
まるで呼吸の仕方を忘れてしまったかのようにうまく息が吸えず、悲鳴のような音を上げながら激しく肩を上下させるだけだ。
「や、っ、だ、いな、く、ならな、い、で…
…れん、しょ…っ、そ、うし…!」
連勝はそんな私を見て、大丈夫。どこにも行かないから。と、ただ強く抱き返してくれた。
熱を出して寝込むと、私は決まってこの夢を見る。
この夢は私の過去だ。私が狂わせてしまった男の人たち。私を独占しようと、部屋に閉じ込めた人もいた。家に火をつけた人もいた。一緒に死のうと、毒を口にした人もいた。
怖くて、怖くて、たまらない。
蒸気があがりそうなほど熱い頭も、軋む関節も、嫌な音を立てる喉も、締め付けられる胸も、痛くて痛くてたまらない。
タンクトップ姿の連勝の腕から体温が伝わってきて少しだけ落ち着く。
不規則な呼吸を整えるように、ゆっくりと背中を摩ってくれる。
「れん、しょう…学校…。」
「お前は行かせないからな?
俺も休むよ、莉桜ひとり置いていかれないしなー。」
「だめ。うつる、し、連勝は3年生だから…進路、あるでしょ。だめ。行って。」
「進路より今は…「お願い、大丈夫だから、れんしょ…。」
彼の言葉を遮って抱きしめる腕に力を込める。
連勝は少し戸惑ったあと、やさしく頭をなでながらのばらちゃんに頼んでおくから。と言って部屋を出ていった。