青春プレイボール!

□03
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 夏に向けて慌ただしい日々。それは、私たちマネージャーも例外じゃない。この地区、パワフル高校の選手以外にも注目できる選手は並んでいて、プロのスカウトも来ているくらい。そんな選手がいる高校相手に、私たちも手ぶらでグラウンドには立てない。だから、今日は猪狩くんとふたりで覇堂高校の偵察を任された……はずなんだけれど。
「ものすごいストレートだね……」
「僕のストレートの方が上だよ」
「あのピッチャーの変化球、すごいキレ!」
「僕のスライダーの方が上だよ」
「猪狩くん……すこしは学ぶ姿勢ってものがないの?」
「学ぶ? 何を言っているんだ。学ぶのは彼らの方だよ。僕の投球からね」
「相変わらずだね……」
 案の定です。監督は猪狩くんに他の選手から学んでほしくて、ダブルエースの覇堂高校に行かせたのだろうに……。私が言って聞いてくれることじゃないからお手上げだと薄く微笑んで、紅白戦で対立し合う覇堂のエースたちを見つめた。
 ストレートのピッチャーが木場嵐士。変化球のピッチャーが星井スバル。どちらも一年生、とノートにボールペンを走らせる。それをのぞき込んできた猪狩くんが、黒字に人差し指を重ねた。
「二人まとめても僕には敵わないってね」
「そんなこと書きません」
 もう、このノートは部で共有するんだから。高飛車で自信家、まるでみずきみたい。こんな彼を見るのはつい最近のことだけど、進くんの話によればそれが猪狩くんの本当の姿らしい。ちょっとは仲良くなれたのかな。クラスメイトでもあるし、ね。
「星井くん側の一番を打っている人……金原くんか。今日当たってるね。三打数三安打だって」
「僕だってあれくらい余裕さ」
「猪狩くんはうちのエースだもんね」
 そんな猪狩くんに仕返しとばかりプレッシャーをかけるように笑みをこぼせば、彼は同じ表情で返してきた。ただ、彼は意地悪気な顔だ。
「東野、君は今エース様とふたりっきりなんだよ」
「ふふ、光栄です」
 ノートに書きながらクスクスと声がもれてしまう。もう一度グラウンドに目をやると、木場くんが金原くんをストレートで仕留めたところだった。見たか金原ァ! ちゃはは、やられちゃったなあ。うむ、チームワークもよろしいようだ。覇堂は打線も強力なのはもちろんのこと、それを上回る投手力があるから、打線の底上げが必要になるね。ノートにその旨を記入していくと、またひとつ発見があって。このチームは強敵だぞ、ノートを書く手が止まらない。
 なんだかんだ、猪狩くんは野球に詳しくて。特に星井くんと木場くんのピッチング、そして木場くんとバッテリーを組んでいた水鳥くんの配球をわかりやすく説明してくれた。そのおかげで、三年生はもちろん、一年生でエースのふたり、レギュラーの野手もかなり質の高いデータを取ることができた。高校への道のりに足をのせたことで、偵察は終了。
「猪狩くんと一緒でよかった。さすが、よく見ているね」
「フン、マネージャーの薄っぺらい偵察に付き合ってやるのも、エース様の仕事だからね」
 散々な言われようだけど、うん。確かに言い返せないし、そのとおり。素直にお礼を添えて、彼を見上げた。
「猪狩くんは野球が上手いけど、自分の思うようにいかなくて苦しんでいる人の気持ちもわかっているなんて、エース様はさすがです」
 思ったことをそのまま言えば、猪狩くんはとたんに真剣な顔。あら、怒らせたかな。冷汗が伝う。とりあえず、頬の筋肉を張りつめて、その場を流すように微笑んでみましょう。
「……なぜそう思うんだい?」
「だって、紅白戦でも打ててない選手のことをよくわかっていたし、練習でも困っている葉羽くんとか矢部くんによくアドバイスしているでしょう?」
 しかし、人間、時には心のひとかけらが外に落ちることもあるらしい。
「……口はわるいけど」
 しまった。そう思ったときは遅い。私が口からつむいだ振動は、彼の耳にしっかり響いている。ど、どうしよう。顔の筋肉がいたい。けれど、せめて笑っておかないと。怒られる準備をしたものの、それは必要のないものとなる。だって、当の本人は目をぱちくりさせただけなのだから。
「東野こそ、よく見ているんだな……」
「そう、かな……」
「ああ、驚いたよ」
 す、進くん以外の人をほめる猪狩くんなんて初めて見た。けれど、怒ってはないみたい。よかった、安心。……嘘です、ちょっぴりこわい。言いようのない感情に蝕まれて、ひきつった笑みしか返せませんでした。でも、怒らせてないことは確かだ。ポジティブにいきましょう、ポジティブに。ひたすら笑顔を貼り付ける私は、彼にとっておかしな人に見えたかもしれない。いいえ、そこまで猪狩くんがマネージャーに気を遣うこともないでしょうし、遣わせてもいけませんね。

 話しながら歩くと早いもので、もう高校のすぐ目の前。校門が見えてきて、帰ったら各高校のデータをまとめなきゃなあ、なんてぼんやり考えていた。でも、私の足はそれ以上進むことを許されなかった。だって、私の左腕ががしりと止められていたから。阻止したのは、猪狩くんの右手。それなのに、当の本人が目を見開いて驚いた顔をしている。
「……どうしたの?」
 怪訝に尋ねると、彼は目を宙に追いやった。
「……もう昼どきは過ぎたのに、昼食もとっていないだろう」
「ああ、そういえば……」
「この近くに美味しいレストランがあるんだ。行くぞ」
「猪狩くんが行くレストランなんてそんな高級なところ行けないよ!」
 猪狩くんが突然変なことを言い出すのだから、びっくりして掴まれた腕を引いた。こっちは一人暮らし。お金は使わないに越したことはない。それに、高校では偵察組のために小筆ちゃんがおにぎりを作ってくれている。そのことを引き合いに出すものの。
 「とにかく行くよ。お金なら気にしなくていいから」
「気にしなくていいって言われても……」
「いいから」
 こっちをまっすぐに見て、再度腕を掴んだ猪狩くんにもう何も言えることはなかった。お金を気にしなくていいってことは、きっと払ってくれるってこと。気にするなって言われてできるはずがない。申し訳ないなあ、そう思いながらも不機嫌そうな彼を前に、口は出さない方が良さそうだった。
 引かれる手をそのままにしていると、あまりにも急な左腕の解放感。なにが起きたのかはまったくわからなかったけれど、猪狩くんの手が離れたこと、そして、視界が一斉に白く変わったことだけは、さびた頭でも感じることが出来た。
「東野をどこに連れて行くつもりですか。学校はこっちですよ」
「……別に、キミには関係ないだろう」
 聞こえてきた声に、瞳がじわりと熱を持つ。少し早めな半袖のシャツ、視線を上げると、太陽に照らされて輝く金色の髪、私と猪狩くんの間に、友沢くんが割ったのだ。ドクンの強く私の中が波打って、苦しいのに心地いい。相反するふたつが混ざり合うなんて。友沢くんの背中でふたりの顔は見えないけれど、あまりいい雰囲気ではない。そんな状況なのに、だ。
「百合香!」
 でも、みずきが来て高鳴りは落ち着き、先ほどとは違う安心感が生まれ、そこに私は迷いなく寄り添わせていただいた。みずきは私の肩を引っ張り、友沢くんの背中から遠ざけてから「大丈夫!?」と目を潤ませ、緊急を彷彿とさせる顔を私の前につきだした。なにに対して大丈夫じゃないのかはよくわからないけれど、気迫に圧して首を縦に振る他ない。
「待ってて」
 しかし、そんなかわいらしいみずきも終わりを迎えたらしい。目を棒のように細めて、怒りの表情を露わにした。鬼の顔だ、と思った。そのままじりじりと猪狩くんと友沢くんのふたりのそばに寄る。なにをするのだろう。いえ、今まで彼女の隣にいた私にはわかる。よろしくない予感だ。それでも、彼女はすでに私から離れてしまう。醜いものね、人って。災厄が離れていると私、しーらないなんて気持ちになるんだわ。
 心の中で手を合わせつつ黙って見ていると、あの、エース様な猪狩くんの前に立ち、その頬に、クロスファイヤーよろしく左手を叩きこんだ、叩きこんだのだ。
「みずき!?」
「お、おい! いくらなんでもそれは……」
「百合香にヘンなことしようなら、私が許さないから! わかったわね!」
 さすがに想定外だ。つまり野球部で鍛えた利き手のビンタ。考えただけで食らってもないのに、私まで頬を押さえてしまう。って、そんなことをしている暇はない。だ、だめでしょそんなことしちゃ。しかし、彼女を止めよと頭は命令するのに、私は動けなかった。驚く友沢くんを遮ってまで、猪狩くんを睨みつけたみずきがいつもより憤慨を露わにしていたから。
「ヘンなこと……? 僕は、彼女とレストランに行こうとしていただけだが」
 しかし、猪狩くんがさっきまで私の腕をつかんでいた手で頬を押さえながら、彼女に疎ましそうな眼差しを送ったものだから、今度はみずきが衝撃を受ける番。もちろんビンタを見舞われるなんてことはないけれど、それくらいのような顔をしてみせた。そんな様子から、猪狩くんは呆れかえってしまう。
「まったく、何を考えたかは知らないけれど、とんだとばっちりだ」
「そ、そうか……」 
 なになに、どういうことだろう。つまり、猪狩くんがはたかれたのは、みずきと友沢くんが、なにかを勘違いしていたからということなのかな。友沢くんもどことなく拍子抜けしている。珍しいふたりを観察しているあたり、私はすでに一線から退いて他人事だ。猪狩くんはもちろん不服なご様子で、ふたりを目で、顔で責め立てる。すると、いたたまれなくなったのか、友沢くんが私に嫌がってなかったかと照準を切り替えた。
「嫌だったわけじゃなくて、猪狩くんの言うレストランって高級そうだから、行けないなってだけで……」
「じゃあ無理させて連れてくの!?」
 矢継ぎ早に、今度はみずきが猪狩くんに食ってかかる。それは猪狩くんの身長には及ばないから、彼は気にしてないみたいだけど。
「違うよ、僕が払うから東野に来てくれと頼んだんだよ」
「俺も行きます」
「は……な、なにを言っているんだ!」
「猪狩さんが出してくれるんですよね。なら、俺も行きます」
「私も行くわ」
「橘まで!?」
 唐突もいいところ、魔法のように突然表れた友沢くんとみずきの申し出。もう、わけがわからなくて考えることを放棄。というより、正直な話、ここまで大きないざこざを引きこむような話になるのなら帰りたい。マネージャーはこの後もやることがたくさんあるし、小筆ちゃんも待っている。
 やはり私はすでに白旗を上げて、この先も後も見えなくなった争いから撤収したい気持ちでいっぱいいっぱいなのだ。
「猪狩さんが出してくれさえしなきゃ、こんな機会はないからな」
「ま、まあ……そうだね」
「それに、私は百合香が心配なのよ!」
 ふたりがなぜか私に懇願する表情で言うものだから、帰りたいなんて言えない。断れない。戦火に巻き込まれた村娘は退路を断たれたり、だ。ここは猪狩くんの判断に委ねよう。そんな投げやりな目で猪狩くんを見ると、普段のクールな彼からは考えられないくらい声を荒げた。
「ばっ、バカいうな! 三人分奢れというのか!」
「そうよ、たまにはいいじゃなあ〜いっ」
「特に女っ気もないですし、お金にも困ってないんでしょう?」
「何を失礼な……!」
「あ、あの、それなら私は高校でおにぎり食べるから……」
「ああもうわかった! 友沢も橘も来たけりゃ来い!」
「東野、よくやった」
「大手柄よ」
「…………」
 いいのだろうか、これで。というより、私は初めて行く高級レストランよりも見慣れた高校に行きたかった。そのチャンスを掴みきれなかったわけですが。とりあえず、私より猪狩くんだよね。お財布のことといい、無理してないといいんだけれど。
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