青春プレイボール!

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 夏休みが終わりました。お風呂に入ろうと服を脱いだら、日焼け止めを塗ったにもかかわらず、腕の色が少し変わってたり、今までの私ならありえないような経験がたくさんありました。そして今。
「え、アイドルカフェ!?」
「高坂と南と園田と東野でアイドル!?」
 登校日に来なかった男の子たちが、初めてそれを知るわけで。
「サイコーじゃん! 天才ですか文化祭委員様!」
「カメラ! カメラ持ってかないと!」
 あ、あれ。喜ばれて、る? 肩からずり落ちかけた鞄を持ち直した。
「百合香、アイドルやるのか! 本番はアタシがしっかり写真撮ってやるからな!」
「間に合ってます」
「水着とか着るのかしら?」
「着ないよセッちゃん、それグラビアアイドルね」
「百合香ちゃん、細いし……きっと似合う、ね」
「着ないからねチカちゃん!」
「すごいなー、かっこいい!」
「リョウちん……あ、ありがとう」
 クラスに入ってから、夏休みを迎える前よりも視線を集めています。そんなに目立つタイプではない私には慣れません。ああ、もう恥ずかしい。男の子とイヤに目が合うのは、気のせいではないのでしょう。
 苦し紛れに首を捻って視線から逃げると後ろにあるドアが開く。入ってきたのはうすら汗をかいている友沢くんだ。
「東野、おはよう」
「友沢くん。おはよう」
 彼と軽い挨拶を交わすと、肩をツンツンとつつく指がある。その主を見れば、日頃は天然を炸裂させている彼女が悪事を企てるような笑みを浮かべている。らしくないな、珍しいこともあるもので。他人事のように考えていればその彼女、セッちゃんが私に近付いて私の耳へ口を吸い寄せた。いわゆる内緒話となった耳元に小さくも香る女性的な情操。「がんばって」と囁き、もう一度目と鼻の先で微笑んだ彼女はとても艶かしく見えた。
「え、あ、あの……」
「チカちゃん、ハッチ、リョウちん、ちょっと来て、ね」
 そして、何かを言おうと金魚の口になる私を残し、深緑の髪を翻して私の席から離れていく。後ろ姿までどこか不思議な色気を携えているような気がした。
「どうかしたか?」しかし、見惚れることはそこで遮断される。
「あ、ううん。なんでもないよ」
「……文化祭、頑張れよ」
「うん、ありがとう。アイドルなんて似合わないかもしれないけど頑張るよ」
 特別な人に元気を貰えるとは嬉しいな。まさか友沢くんにそんなこと言ってもらえるなんて。アイドルは役得だ。我ながら自分本位な頭を叱る人は誰もいないのだから、ここぞとばかりに自分中心な世界が回る。
「不安か?」
「そりゃあね。アイドルファンの人を落胆させちゃったらどうしようとは思うよ」
「大丈夫だ。絶対に似合う」
「あはは、野球部はみんなそう言ってくれるね。心強いな」
「お世辞じゃないぞ。東野なら絶対に似合う。俺が保証する」
「あ、ありがとう……」
 ほ、保証までしてくれるなんて。友沢くんにしてはずいぶんと過大評価だ。彼の席へ歩いていくその後ろ姿を見送る。なにかいいことでもあったのでしょうか。

 夏休み明け最初の授業なんて、たかが知れていた。先生の業務連絡を聞く人などあまりいないうえに宿題が終わり切ってなくて必死にやっている人、寝ている人、ボンヤリとしている人。みんなの夏休みはまだ終わってないらしかった。 
 そして、夏休み中もあったとはいえこれでまた学校を含めた部活が本格的に始まる。
「もう秋は目の前だからな! 練習ではなく、実戦のつもりでいけ!」
 監督の怒号のような挨拶に選手ではない私も身を固くする。秋大か、そうだよね。夏のリベンジしなきゃ。チラリと一瞥するは部員たちの中で頭ひとつ分小さい彼女。エースとまでいかずとも、レギュラーに選ばれますように。祈ったところでその表情は見えない。
 監督の激励のあと、部員たちはわらわらと各自練習を始めるために綺麗な隊列から離れていく。それを指をくわえそうなほど間抜け顔で見ていた。
「東野」
 突然背後から呼ばれたことに耳が声の主を確認する。そして姿勢を正して振り向いた。
「はい、監督」
「今日は、橘のそばにいてやれ。」
「えっ、で、でも……京野さんは……」
「お前は日頃から、文化祭の準備で忙しそうだからな。抜けても困らん」
 それが予期もしなかった戦力外通告だった。それってつまり、私なんていてもいなくてもって意味じゃないですか。いくらクラスの催し物とはいえ、身体を貸しすぎたのかもしれない。本職はこっちじゃないのと後悔の念が湧き出した。もう遅いのだれど。
「それに、橘を見守ることは、他のマネージャーにはできない。お前にしかできないことだ」
 しかし、戦力外通告は目の前で破られたのだ。ハッとさせられた私は監督の目を見る。迷いなく私を見ている。
 私にしかできないこと、監督はあらゆる方向から私を、そしてみずきを見て下さった。しがないマネージャーにすら配る目があるのなら、選手のことなどご両親に話せるほどによく見ているのだろう。この人の見る世界にはマネージャーながら脱帽だ。もっとも私にはキャップがないのですが。冗談はさておき、監督の期待に応えなくては。
「わかりました」
 ありがとうございますだなんて私情がたっぷり含まれた言葉と一緒に頭を下げる。何も言わないところを見ても、私がみずきを拠り所にしていることなど監督にとっては目抜くのうちにも入らないのかも。
 投球練習中の彼女のもとに駆け寄り、監督に言われたことを伝えてみる。すると、やったー! これで百合香も一緒ね! なんて子どもみたいにはしゃぐものだから、この子は可愛らしい。とはいえ、表情とは裏腹に彼女の変化球開発は思うように進んでいないご様子で。
「シンカー、どんな感じ?」
「ああ、うん。なんかまだまだってとこかな」
「そっか……」
「……あおいさんは、どうやって完成させたんだろ」
 ふと顔を伏せた彼女に、私は表情が暗くなる。私に宛てたでもない呟きは宙を浮かんだままなのだ。私ではとてもとても手が出せない。何か返せるほど野球に精通していないことは、ここ最近の私の大きなたんこぶだ。
 監督は私にしかできないと言っていたけれどこれでいいのかな。もっともっとできることはないのかな。
「百合香、聞いてるー?」
「……ん、えっと、なんだっけ」
「もーっ、ちゃんと聞いててよー! 私がシンカー完成させたら、秋大先発で出れるかなって!」
 いけないいけない。私がこんなことでどうする。理想を熱く語る彼女に相槌を打ちながら、それでも頭を覗けばグルグルと行ったり来たり。彼女にどう声をかけたらいいのか、どんな顔を見せればいいのかわからなかった。
 トントン。戸惑いだらけの私の気持ちに見合わない陽気な音で肩をたたかれた。振り返ると頬に丸い圧迫感を覚える。
「へへ、百合香、ひっかかったね」
「あおいさん!」
「あ、おいひゃっ」
「ははっ! 百合香、何言ってるのーっ」
 クスクス笑いながら、私の後ろからみずきの隣に寄るあおいちゃん。私は刺された箇所に残る彼女の跡を指でなぞった。
「みずき、シンカーの調子はどう?」
「えっと、それがまだ……」
「そっか。……投げてみてよ」
 コーチさながらの風格を孕んだ彼女。今度は私の横に来て座り込んだ。そして、私にそっと笑いかける。「百合香、そんな顔しなくていいよ。みずきはすごい子だから、大丈夫」そういった彼女はみずきのことをよくわかっているのでしょう。あおいちゃんの優しい声に頷いた私は静かに手を握り合わせて、投球モーションに入るみずきを見つめた。
 放物線、直線、理科の授業のアレコレで勉強したはずのことを何もかも無視したボール。野球プレイヤーは皆、この変則的な球をみんな打つのか。私には無理、絶対無理。賞賛を抑えきれず小さく拍手する私がいた。
 しかし、素人目の私とは相容れないようで。あおいちゃんは先ほどの穏やかな表情も何処かへ飛んで行ってしまった。
「ねえみずき。キミは何を目指しているの?」
 立ち上がった彼女の低めの声、それは私をもみずきをも硬直させる威力があった。彼女は今の球では不服だというのかな。
「ボクはボク、キミはキミだよ。ボクたちは投球フォームも似ているけど、別の人間。でしょう?」
「は、はい……」
「みずきには、みずきの良さがあって、ボクよりもずっとすごいところがあるのに、ボクのマネでそれを潰すなんてもったいないよ」
「私の良さ……?」
「うん、みずきなりにやってみなよ。どんな変化球にしたいのか、ね」
 あおいちゃんはまたいつもの顔に戻っていた。すごい、これが女の子ながらに騒がれるピッチャー。野球は彼女にとってスポーツなんて狭い枠では括れないものなのだろう。
「イメージしてやってごらん。指先から、投げた後のボールの軌道まで。ひとつのイメージを、さ」
 あおいちゃんはスッとさっきまでの正位置、私の隣に座った。みずきはひとつ深呼吸をして再びボールを手に取る。がんばって、みずき。あなたはあなただから。あおいちゃんの受け売り、俗にも満たないような拙い応援を心の中で呟くと彼女と目が合う。もしかして、届いてくれた? 振りかぶったみずきの姿は、今まで見た何よりもしなやかで、美しくて。
 彼女の手から放たれた白い軌道は、ひとりでに意志をもっているかのよう。フワリと浮かんでから静かに揺れた。明らかに放物線のものではない、世間一般の変化球でもなかった。まさに魔球、彼女にしか投げられない球であることなんて火を見るより明らかでした。
 自分の左手を見つめ、呆然とする彼女に、いてもたってもいられなかった。力が入らない足で自分を支えて、ふらふらと駆け寄る。転ぶように、首に手を回した。
「うん、これだよ! ボクにも、今みたいなスクリュー気味な曲がりは編み出せない。キミにしかできない変化球だよ!」
「私、ついに、ついに……」
「みずき、やったね……!」
 みずきに触れている腕が震えた。乗り越えた、あんなに悩んでいたのに乗り越えたんだ。何かがこみ上げてきて、それを抑える術は持っていない。やがて溢れだしたものにみずきが気づいて「あー、もうっ」だなんて困った顔をする。どうして私が泣くのかって? そんなことわからないよ。

 部活が終わって、みずきと歩く帰り道。これももう何度目になるかわからないけれど、こんな気持ちは初めてだ。彼女は両腕をあげて喜んでいたから。よかった、本当に。ずっとずっと焦っていたんだもの。
 自宅に帰りフッと息を漏らす。今日も長かった。大変だけれど心地いい疲れだ。
 そういえば、部活もだけれどやらなきゃいけないことは他にもあったんだった。文化祭の練習をしなくては。重い足で立ち上がるとスマホを取り出す。一人暮らしを機に買ってもらったわけだけれど慣れたもの。穂乃果ちゃんが撮ってくれた私が踊っている動画を映し出した。ここの手の動きがもっとはっきりすれば。ああ、あとこの足のところも。それに、もっと笑顔になれるな。よし、がんばろう。今日の彼女の姿を思い出して、疲れた自分を鼓舞する。
 踊りだせば楽しいもので。一応アパートだからと足の動きは最小限配慮しつつ、その分、手を動かして練習した。

 なのに。どうしてこうなるの。私のバカ。声を大にして言いたい。夏から秋の変わり目だからか。一人で練習していたらすでに寝る時間近く。汗もかいていた。早くご飯を作らなきゃとタオルで汗を拭った私。今の私はこの時の私料理の前にお風呂に入りなさいと伝えたいです。
 知らず知らずのうちに身体が冷え、翌朝、つまり今。見事に風邪っぴきのできあがり。これでは学校に行けないな、みずきに連絡しなくては。枕元に転がっているスマホを必死に手をのばして取り、連絡先を開いた。
 しかし、なんとも阿呆なことに気づく。みずきの連絡先を持っていないじゃないの、私。……まあ、それもそうでしょう。高校に携帯を持っていっていないわけですし。都会の人、特に女の子は結構持って行かれているけれど。これからはお供にさせた方がいいなあ、熱があるのかないのかわからない頭で考えると、学校に連絡をして布団に潜り込んだ。
 暇だ。一人暮らしで風邪を引くことほど暇で孤独なことはない。友達はみんな学校へ行っているし、出かけることもできない。みずき、今はなにしてるのかな。授業中だから寝ているのでしょう。いや、ひょっとしたら真っ白なノートに猪狩くんを出し抜くための作戦を書いているのかもしれない。フフ、それでも頭がいいから大丈夫かもしれないけれど、また先生の目についちゃうよ。
 ヘラリと笑っていれば、ようやく睡魔が襲ってきた。瞼が重い。もう寝てしまおう。早く治さなくてはだ。

 部活が終わるころ、みずきが私へのプリント類を持ってきてくれた。ありがとうと受け取るものの、授業のノートはもちろんとっていないらしい。……明日、セッちゃんにでも写させてもらおう。
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