青春プレイボール!

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 相手は太平楽高校。激しい覇堂高校とはどこか雰囲気が違う。それは女の子を見ても一目瞭然だ。向こうのベンチにはあの元気一杯笑顔千杯の静火ちゃんとは対極を示すような、大人びたとても綺麗な女の子がいる。同性の私にですら一目惚れに近い種を植え付けるのですから、とんでもありません。お、お話したいなどと邪な悪魔が囁きます。って、ダメダメダメ。今はマネージャーのお仕事中じゃないの。
 散漫で怠惰なまま試合が始まった。みずきがマウンドに立っている。私にとって待ちわびた事実、ただそれだけで撒き散らされていた私が一斉に集結して一心に彼女を応援し始める。声を揃えてね。なんとも勝手なお話です。
 しかし、それほどまでに私の心を高鳴らせているの。今この時に。輝いているなあ、みずき。すごく楽しそうに投げている。
「ツーアウト!」
「球走ってるぞー!」
「橘さん、いい球きてるよ!」
 声援の中心にいるみずきはボールを握った左腕を掲げた。すると、スタンドも呼応するように一層大きな声の波が立つ。
「大丈夫そうだね。まあ、僕ほどじゃないけれど」
「もう、今日は投げないんだから私と大人しく見てようね」
「僕はもともと大人しく見ている」
「……じゃあその回してる肩はなに」
 そして、猪狩くんも口には出さないけれど投げたいんだね。乾いた笑みが漏れる。
 攻撃が始まると、みずきが私の隣に音を立てて座った。まるで女王様だ。無失点で抑えてる彼女はらっくしょう! と声高い。土で頬を薄く染めたみずきの顔をタオルで軽く拭いてやると、彼女はニマーッと笑った。
「見てた? ねえねえ、百合香見てた? スコアばっかり見てないで私のピッチング見てよーっ」
「スコアは私の仕事だから……。でも、みずきのことはちゃーんと見てるよ」
「んーっ、許しちゃう!」
 試合は三回裏。パワフル高校の攻撃。ここまでみずきは球数も多くないし、打たせて取るスタイルが板についている。ただ、裏になるとスコアを書いている私にちょっかいを出してきたりするわけで。
「今のは4-6-3のゲッツーだから、一塁ランナーと打者のスコアはアウトになって、二塁ランナーだけ進塁し」
「ああもう、うるさいわね友沢! 百合香は私と話してるのよ!」
「……俺には東野を邪魔しているようにしか見えないがな」
「なんですって!?」
「みずき、友沢くんは助けてくれてるから、ね」
「守備の時は僕が東野にスコアを教えているんだから、君たちが出る幕はないよ」
 仲がいいのか悪いのか。みずきあるところにトラブルあり。……正直、パワフル高校が守っている回の方が落ち着いて仕事ができる。やり方は十人十色であれ、教えてくれている本人たちに悪いから言えないけどね。
 パワフル高校の攻撃が終わり、グラウンドに駆けていくみずきと友沢くんを見送る。そんな私を見ていた人がひとり。
「フフ、百合香の周りはいつも騒がしいなあ。百合香は静かなタイプなのにね」
「みずきが元気だからかな。私にはないから、時々羨ましいよ」
「百合香は、その優しさがウリだとボクは思うけどな」
 ね、猪狩くんとあおいちゃんの目が私を跨ぐ。あの猪狩くんが素直に頷くあたり、今日は運がいいのだろうな。いや、彼の機嫌がいいのかな。ついでにここストライクだったよ。とスコアに修正を入れてくれる彼女を、みずきにも見習って欲しいとひとり密かに思ったのでした。

 試合中盤。みずきもそろそろ疲れてきたのか、ベンチに戻ってきても口数があまりない。とは言いつつも、私の隣が特等席であるかのように座ってくれる彼女は可愛らしい。ゆっくり休んでと呟けば、頷くだけで返事をくれる。
 そして、あおいちゃんがブルペンに入った。その影響か、猪狩くんはムスッとご機嫌ナナメなご様子。あなた、今日は投げないって言われていたようなものじゃないですか……。このふたりが私の両脇を固めているせいか、不穏な空気が流れる。
 この原因は片やあおいちゃんに、そしてここからが本題なのだけれど、片やパワフル高校の打線にある。みずきは六回四安打無失点、絶好調といっても過言じゃないくらい。しかし、打線は五回七安打と沈黙してはないというのに無得点。これでは先発が報われない。きっと、彼女はイライラしているのでしょう。それでも、当たることもなにもできないからと何も言わない彼女の頭を撫でる。
 八番キャッチャー、猪狩進くん。コールされると共に、九番のみずきはネクストバッターボックスへ、私の手を退けて歩いて行った。
 無言で押し返された手が寂しさだけを握る。彼女の頑張りを、どうか。形にしてあげてください。心の中で進くんへ願いを贈って、寂しさ一色の手をボールペンに委ねていればお兄さんが笑った。
「進なら打てるよ。アイツは、その辺の野手よりずっと打撃センスがあるからね」
 バッターボックスに立つ弟さんを見る猪狩くんの横顔は、いつもの唯我独尊も鳴りを潜めていてたわやかだ。それは、友沢くんが翔太くんと朋恵ちゃんに見せる表情にどことなく似ていた。
「……いや、センスがあるだけじゃないな。人よりずっと努力しているんだよ。アイツは」
「そっか、進くんも……猪狩くんの弟さんなんだね」
 私の横から静かに立ち上がり、ブルペンへ向かう猪狩くん。チューブで練習でもするのでしょう。見すらしない背中が、彼の弟さんを信じる姿を垣間みせた。祈るような思いはいつしか消えていて。進くんがヒットを打つこと、それが、当然のことのように、私の目に映った。
 進くんが塁に出て、九番、橘みずき。打てなくたって、点を取らせなきゃいいのよ! そう言っていたのを思い出す。しかし、バッターボックスに立つ彼女は、とてもあの言葉が似合う負けん気強い女の子とは言い難い。男の子も混ざる選手の中じゃ小柄なみずきは、バットを持つ姿がおぼつかない。握っていたボールペンが立ち止まって、スコアの上に倒れる。手を結んだ。頑張っているみずきに、お願い、勝利の女神様。
 その時、スッと私に寄りかかってきたのは、彼女のクレッセントムーンを一緒に見届けた女の子、あおいちゃんでした。ブルペンから帰ってきたせいか、こころもち汗をかいている。何も話しはしないし、目も合わせない。彼女はただバッターボックスを見ていて、私に身体を預けていた。私の低い身長では物足りなくて、彼女を見ると。
「ほら」
 変わらず、目はグラウンドに向きながらも、ようやく口を開いたあおいちゃんの言葉に、なにか、なにかが、当たる音がした。
「打ったよ」
 やっと私を見て、明るく笑ったあおいちゃんに、今度は私が弾かれたようにグラウンドに目をやる番。セカンドの頭を超えたライト前ヒット。気合で押し出した一打、気合でもぎ取ったチャンスだった。
「よっし、やったー!」
 点が入ったわけではないけれど、ベンチに向かって一塁でガッツポーズを決めるみずきに、私とあおいちゃんも小さく、いや、私は大きく返す。
「みずき、ナイスバッティングー!」
「ねえ、百合香」
「ん、なに?」
「言おうと思ってたんだけど……」
 あれ、やらなくていいの? 野球をやっているとは思えないほどに白い指を差されたのは、私の仕事でした。
「あーっ! みずきの書いてない!」
 一人分とはいえ、スコアをつけることは私にとって重作業でして。六回裏、みずきのおかげでスタメンたちに火がついたのか、たて続けに連打が出た。無論、みずきのヒットに気を取られていた私が、一人分進んだ試合状況を覚えていられるはずもなく。
「友沢くん……ごめんね」
「いや、大したことはしていない」
 打順がまだ先である友沢くんの手を煩わせているというわけです。なんだか、好きな人なのにたくさん失態を晒している気がする。
「二番打者、なんだっけ」
「ストライク、ボール、ボール、センター前ヒット」
「ありがとう」
 ああ、怒っているかもしれないな。いくら彼が優しいとはいっても、これは完全に業務怠慢よね。もう、どうしてこう、だめなのかなあ。彼の前では特に。全て自分のせいなのはわかっているけれど、せめて相手を選んでほしい。そうため息をつけば、上から不思議そうな顔をした友沢くんと目が合う。ため息をつきたいのはあなたの方ですよね、あはは……ごめんなさい。
 彼のおかげで、なんとか試合に追いついたスコア。これでは先が思いやられる。
「大丈夫そうか?」
「うん、ありがとう。こうならないように次から気をつけるよ」
「別に、困った時はいつでも助けるから、気にするな」
 なのに、好きな人にこんなこと言われてしまえば。先が思いやられる前に転倒してしまうじゃない。ああ、本当にずるいなあ、友沢くんは。
 チョロい私を指差し笑うかのようにパワフル高校の攻撃が終了した。同時に、行ってくると彼は私に背を向ける。その様は、アルバイトの後に私を送ってくれた姿と被って目が離せなくなってしまう。あの時から、憧れじゃなくて好きだったのかな。真相は私ですらわからないけれど……今のこの想いは本物、だよね。
「東野」
「ひゃっ! お、脅かさないでよ猪狩くん!」
 胸の熱に浸っている時、いきなり肩に手を置かれたら、誰だってびっくりするよね、そうよね。友沢くんから猪狩くんへ目を移すと彼は、進くんを見守っていたことが嘘であったかと思うなんとも呆れた顔をしていて。これまた私が今まで別のところに意識が向いていたことを悟らせていたようだった。
「脅かすつもりはなかったよ、普通に話しかけただけじゃないか」
「え、そ、そうかな。ごめんね」
「……謝ることでもないと思うけど、ね」
 猪狩くんは不服そうに眉根を寄せたと思えば今度は真面目な顔に戻り、私が先ほど見つめていた方、ショートポジションを眺める。
「……なんて顔しているんだ。まったく、わかりやすいんだよ」
 ひとりごとを呟く猪狩くんを見ても彼は私と顔を合わせようとせず、ひたすらに一点のみから動きはしなかった。

 六回に太平楽の先発、天城くんから二点をもぎ取ったパワフル高校は、七回にも一点と重ねて勝利した。みずきは八回に一点取られたものの、完投勝利。球数も百と少々。この試合で、見に来ている近辺地域の高校、覇堂高校やSG高校、瞬鋭高校には投手層を見せつけられたのだろう。
 そして、私は今棚から落ちてきたぼた餅を食べている。
「へえ、百合香ちゃんも地方から来たんやね」
「そうだよ。しぐれちゃんは言葉遣いが綺麗なところから来たんだね」
「フフ、いややわあ」
 あのお綺麗な太平楽高校のマネージャー、鴨川しぐれちゃんとお話をさせていただいてる運びでございます。試合終了後、偶然が偶然を呼んでしぐれちゃんに出会うことができた。この機会を逃すまいと、猪突猛進に自己紹介をすれば、しぐれちゃんは手を口元にあてて、綺麗な笑みと人当たりの良さを返してくれたから今に至るというわけです。
「は、はんなり……」
「はんなり?」
「あ、いえ! ごめん、思ったことが口に出てて……」
「はんなりなあ……こっちの人は、ウチのことをよくそう言うんよ」
 失言だったかも。はんなりと口にしながら首をかしげるしぐれちゃん。そんな彼女も美しいです。私もこんな美人さんになってみたい。
「はんなりって言うのは、綺麗って言うか……えっと、お、おしとやかで……」
「フフ、百合香ちゃんって面白いなあ。太平楽のマネージャー、一緒にやりたいくらいやわあ」
 初めて言われました、面白いなんて。目尻を指で拭うしぐれちゃんと一緒にマネージャーはできずとも、また会うことはできる、はず。だから、私は気づけば彼女に手を差し出していた。
「し、しぐれちゃん! 私と……連絡先を交換してください!」
「ホンマ、あかん、楽しいお人!」
 高校に入って初めて連絡先を手に入れた人は、パワフル高校の生徒ではなく、太平楽高校の綺麗な女性でした。
 
 帰り道、みずきにそれを話したら、怒ってスマートフォンを取り上げられ、それを見て集まってきた部員のみなさん。返された頃にはみずきだけでなく、みんなの連絡先が保存されていて。都会の人は私の範疇を越えている、そうしぐれちゃん宛てに同意を求めたのでした。
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