青春プレイボール!
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「やっぱり、ここにいたのね」
「みずき!?」
みずきの足が向かったブルペン、そこには練習が終わって、すぐに帰ったと思われた聖ちゃんがいた。制服でしゃがみ込む彼女に、いつもの面影はない。
「聖ちゃん……」
「百合香、早川先輩……」
私たちに向けられた顔は、無表情だった。それでも、思いつめている……ような気がした。なぜかはわからないけれど。
「聖、クレッセントムーンの練習するわよ」
「何度も言ってるが、私には……」
「そんなことないわよ。あのものすごい集中力があればできるはず」
「ものすごい集中力?」
「百合香をファールチップから助けた時のようなね。あれなら、絶対にクレッセントムーンを捕れるって」
あの時、目が白くなった聖ちゃん。やっぱり、あれは見間違えじゃなかったんだ。彼女には、誰にも負けない一面を持ってる。
「聖ちゃん、できるよ。絶対」
「百合香まで……」
「ほら、やってみましょ。ほいっ」
うんともなにも言ってない聖ちゃんにミットを投げ渡すみずき。当の本人は、紫色の髪に当たったそれを拾い、じっと見つめる。
「教えてあげる。そのすごい集中力、超集中のやりかた」
「やりかたって……なにかあるの?」
「あおいさん、秘密兵器があるんですよ。さ、聖。行くわよ!」
にんまりとイヤらしく口を歪めた彼女は、聖ちゃんを置いて背を向けた。あおいちゃんも、座ってミットを眺める姿をちらりと一瞥して、みずきに着いていく。
聖ちゃんを見ると、目が合った。不安なんだ。顔に出ずともわかる。
「大丈夫だよ、聖ちゃん」
「百合香、でも私は……」
「自分が気づいてないだけ、だと思うな」
「え?」
「じゃなきゃ、あの時に私を助けられないよ」
ほら、追いかけなきゃ。みずきなら大丈夫。きっとなんとかしてくれるよ。彼女の手を取ると、ようやく立ち上がってくれて。そんな後輩に、歯を見せて笑った。
彼女の腕を掴んだまま、みずきとあおいちゃんの後を追う。
座っていた場所からだんだん離れて、離れて。学校を出て、小さな野球場にやってきた。たまに少年野球チームが使っている場所。そこには、思いもよらぬ人。
「は、葉羽くん!?」
「なー! 葉羽先輩が逆さはりつけに!?」
「みずきちゃん、ひどいよー! 特訓の協力っていうから来たのに!」
そう、葉羽くんが頭が逆上せてしまいそうな形で縛られていたのだ。
「み、みずき……これは?」
「ふふん、ここでクレッセントムーンを投げるんです!」一斉に衝撃が走る。みずきは、笑みを深めた。「後逸したら、葉羽くんに直撃だよ。頑張ってね、聖!」
「え、マジ!?」
とんでもないことを言い出したみずきに、葉羽くんの顔が真っ青になる。どうしよう。縋る思いであおいちゃんを見るけれど、彼女も冷や汗を流していて。
「無茶だ! 葉羽先輩が死ぬぞ!」
「捕れば問題ないよ」
葉羽くんを守るように立ちはだかる聖ちゃん。しかし、それを気にしていないのか、みずきが持っていたボールの握りを変えてしまった。聖ちゃんから距離をとって、くるりと振り返った。その顔は、冗談の色が見えない。
「行くわよ、クレッセントムーン!」
狼狽える聖ちゃんを無視して、みずきは右足を上げた。モーション、試合で見るもの。本気なんだ。
「ダメだ!」
「逃げないで、聖!」
聖ちゃんの悲痛な声も届かず、みずきが勢いよく左手を広げる。その指から離れたボールは、手加減など微塵もない。
目を閉じ、大声で助けてと叫ぶ葉羽くんに、苦しそうな顔で一筋汗を流した聖ちゃん。思わず、足が動いた。
「聖ちゃん!」
「危ない、百合香!」
しかし、後ろから伸びてきた右腕が私の身体をさらった。そこから前に進むことのできない私は、聖ちゃんを見つめることしかできない。
ぶつかっちゃう、あぶない、逃げて、捕って。複雑に気持ちが絡み合うなか、私をくぎ付けにしたのは、あの時の彼女だった。
聖ちゃんの目が、白い。
気づくことと同時だった。ミットから力強い音が響いたのは。
あおいちゃんの腕から、固さが抜けた。しかし、そんな柔らかい包囲を抜けることなんてできなかった。時間が、止まってしまったから。
「捕った……」
「捕れ、た……?」
互いに唖然とするバッテリー。ようやく、動き出したのはみずきのほう。
「やった、やったね聖! これで本当のクレッセントムーン、完成だよ!」
聖ちゃんより小さい身体が彼女にキュッとしがみついた。それを見て、あおいちゃんが腕を解く。
よかった、捕れたんだ。ようやく実感が湧いて、力が抜けたが、それは私だけじゃないらしい。私より幾分つかれた様子のあおいちゃんを支える。練習後の身体にこの緊張感は、こたえるとか。
ふと、葉羽くんに私とあおいちゃんの名前が呼ばれる。あ、そうね、こっちも解かなきゃ。
「聖はね、土壇場でその能力を発揮するのよ」
「土壇場……」
「あと、大切な守りたい人がいる時とかね。まあ、葉羽の協力のおかげってとこかな」
葉羽くんの身体に巻き付かれた縄を解くと、ずるりと頭から真っ逆さま。あおいちゃんと目を瞑ったけれど、無事らしく……あれ、なんか私の足元を見てニヤニヤしてる。変なところでも打ったのかな。
「みずき、葉羽先輩、それに百合香、早川先輩。私は諦めちゃいけない。常に強くないといけない。……それを思い出した」
「思い出した?」
「あぁ、ありがとう」
穏やかに話していた聖ちゃんの顔が、ふわりと優しく綻んだ。見たことない、初めて見た顔。
私とあおいちゃんは、ぽ、と頬を染めてしまった。なんだか、照れくさくて顔を逸らす。
思い出したって言ってたな、聖ちゃんのことはまだまだ知らないことばかり。でも、不思議と気にはなからなかった。
「うん、そうやって自信満々でいる方が聖っぽいわよ」
「みずきがお姉さんに見える……」
「本当だ……私、目がおかしくなっちゃったかな」
「なっ、あおいさんに百合香! それどういうことよ!」
みずきも、それは一緒みたい。大人っぽく目を細めた彼女を嬉しく思いながらも、すこし寂しく感じる。こう、妹が遠くなるような。
みずき、聖ちゃんのバッテリーか。がんばって、進くんとのバッテリーとはまた違ったいい味を出している。
みずきと聖ちゃんがグラブタッチ。あおいちゃんと私は、それを見て笑顔を交わした。
あ、後ろから葉羽くんだ。頭を抱え出るけど……まだ痛むのかな。
「葉羽くん、大丈夫?」
声をかけて見るも、随分と緩んだ顔で頷かれた。大丈夫なの、かな。
「それにしても、ふたりとも制服で野球するなんて、目のやり場に困っちゃったよ……」
「あっ、しまった!」
「目を閉じると、こう……鮮明に……にゅふふふふ」
ぜんっぜん大丈夫じゃなかった。そうか、だらしなく鼻の下を伸ばす彼にため息を漏らす。
……あれ、ちょっとまてよ。葉羽くんは頭を下にしてはりつけられてたから、スカートが……て、ことは。顔がかあっと赤らんだ。
「ちょ、ちょっと葉羽くん。私のも、み、見えてた……?」
「い、いや、百合香ちゃんのは見てないよ! きみどりいろなんて……にへへへへ」
や、やだ、見られてた。忘れて! と叫んでも、彼が口元を引き締める様子はない。あおいちゃんがユニフォームに手を当てて、安堵の息をついている。私も着替えるのが、もう少し遅ければ……! スカートを手で押さえる。もう遅い? いいのっ。
「……友沢にチクるわよ」
「そ、それはヤバイ! 言わないで、頼むよみずきちゃん!」
「ふふん、しばらくこのネタは使えそーねっ」
「……大輔、私はいい先輩たちに巡り会えたよ」
聖ちゃんがつぶやいたことは、強く風が吹いて、途切れ途切れしか聞こえなかった。
気づけば、もう太陽は沈んでしまっている。