青春プレイボール!
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「ゲームセット!」
ランナーを一人背負った場面で出てきた彼女は、三者凡退でスタンドを湧かせてみせた。それと同時に決まったのは甲子園出場。私達の代で手にしたんだ。この切符を。
「百合香」
マウンド上の彼女が私のもとへとまっすぐに歩いてくる。昔のみずきなら、トタトタ駆け寄ってきて私を抱き枕よろしく扱ったものだけど面影すら感じさせない。流れる汗を、弾む息をそのままに全神経で私を見つめる彼女は、立派な決勝クローザーだった。
歩み寄ってきたその小さな身体が勝負を引き戻してくれて。そう思うと、彼女がどこか大きく見えた。それは目の前に来たからじゃない。
「……なに、泣いてるのよ」
「だ、だって……甲子園だよ」
そして、私といえば彼女の投球に涙の蛇口を壊されてしまった。あの一球からぽろりぽろりとこぼれた涙は、空のいたずらかなんなのか、晴れることはなく流れ続けたの。
そんな私を、みずきはくすりと笑いました。
「なあんでアンタが泣くのかしら」
「なんでみずきは泣かないの」
互いに答えもしない私とみずき。なんだか懐かしくて、神宮に来た時はまるで感じなかった気持ちが高騰し始めた。やっと、やっとここに帰ってきたんだ。充足感で覆われた私は赤く熟れた目と顔で立ち上がる。
彼女とはあまり身長差がないはずだけど、確かに見上げていて。大きくなったと思える立場ではないはずなのにその髪に手を伸ばす。すると、何を思ったのか。みずきはもう見た目すら変哲もない右頬に手を重ねたの。ふたり、相手を大事そうに撫でるなんておかしな光景。でも、不思議と微笑みが顔ににじみ出てしまった。
「まったく、百合香は私が言ってやらなきゃなーんにもできないんだから」
「それはみずきでしょう。やっぱり私がいないとダメね」
こうして笑顔を重ねあうのはいつぶりかな。ずっと、ずっとこの時を待ってたんだ。ふるさとにいてもどこにいても心はここに置いてけぼりになっていて、長い時間ずうっとこうなることを楽しみにしていたんだよね。
どっちが先だったか、手を頭から離した。そのまま合わさったふたつの手のひら。あまり大きさは変わらないのに、でこぼことした勲章がいっぱいあって、この三年間なんて大それたことも言えないけれど、思い出に浸った私の身体がまたもやびしょびしょになった。
「ああ、もうっ。泣くのは早いわよ」
いつもとは逆転だ。彼女の汗だらけ、泥だらけのユニフォームに抱きつく。着ていた服に汚れがついてしまうとか、そんな懸念は一筋の涙同然。この陽気じゃ一瞬で蒸発してしまった。
でも、みずきの身体に触れて気づいた。涙が流れることをやめた。だって、こんなに大人びていて甲子園への決め手となった偉大な女の子なのに、橘みずきは橘みずきのままだったから。
微笑みながらカタカタと震える彼女の鼓動に耳を寄せる。身体と同じく震えている。
そっか、怖かったんだ。そりゃあそうだよね。この一戦で自分の、いいえ、ここにいる同期のチームメイト全員の高校野球がかかっているんだもの。頬にかたまった涙をそのままに、彼女から身体を離して目を合わせた。
「みずき、ごめんね」
彼女はハッと顔を強張らせたのち、紐が解けていくようにだんだんと瞳を潤ませていく。
「あと、よくがんばりました」
トドメの一撃をさしたのは私。みずきの大きな瞳からせき止めきれなかった雫が一滴、また一滴とこぼれてくる。みずきが決めたんだよ。濡れたままの頬で笑ってみせれば、彼女はやがて顔を手で覆った。それがどんなことを示すのかわかって、再びみずきの頭に手をのせる。
「私も、ごめん」
「うん」
「絶交、取り消す、から」
「うん」
「今日からまた、私の親友……だからね」
「……言われなくても、そのつもり」
そうよ、私だってこうなりたかったんだもん。友沢くんには笑われてしまったけれど、後悔してもしきれなかった。長い間、片時も忘れることなんてなかったんだ。聖ジャスミン学園高校の人たちといても、雅といても、いつもみずきのことが足に巻きついて私を海の底に沈めてたんだ。今、やっとすり抜けたそれは、ふたりして陸にたどり着いた。
彼女の頭を撫でていると、聖ちゃんも私の前にやって来る。
「みずき、圧巻だったぞ」
みずきより大きな彼女が私の手と重ねると、このバッテリーの年齢上下関係
は逆さまに見えてしまう。かわいいな。「ホントにね」と相槌をうちながらふたりを眺めていた時のこと。
「だが、百合香がいたからだ。みずきはお前がいなければここまでのピッチングはできなかった」
聖ちゃんが赤い瞳を私に向けて細めてみせたの。
「やはりこのチームに必要だ。百合香は」
「聖ちゃん……」
胸に同じ色が広がって、私も今日は泣き虫だ。ピッチャーの彼女と同じく聖ちゃんの手に頭を委ねる。みずきに負けないほどのでこぼこした頑張りが髪から伝わって来るから、ますます涙が止まらなくなってしまった。