青春プレイボール!
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彼女は私を背中で引いた。文字通り、時に愛らしく、時に悪魔のようなその顔と向き合うことはなかった。あ、あれ、怒ってらっしゃる?そんなことない?親友とあるべき場所に戻ったはずなのに、私はどこかヒヤヒヤと足元を冷やしている。
「ね、え」
寒さで震えた声にささやかな勇気を肉付けすることもままならず、前を行く背中を止めると、ようやく水色の髪が揺れてその瞳とかち合った。別に歪んでいるわけでもなく、据わっているわけでもなく。いつもどおりの男の子の心を奪ってしまう彼女がそこにはいた。目をぱちくりとする様はやっぱり小悪魔と呼ばれるゆえんだ。
「どこに行くの?」
彼女はしばらくその無邪気さを貫いたところで楽しそうに微笑んだ。それは新しいことを考える子どもにも見えたし、好きなことを思う大人にも見えて。なんとなく、これまでの彼女との空白が嬉しくも恋しくなってしまう。
「ふふ」
「な、なに?」
「キャッチボール、しましょ」
「キャッチボール……」
みずきの髪が再び揺れて私から目を離した。その視線の後をなぞると、いつのまにか小さな空き地に来ていて。今度は私が無邪気に目をぱちくりする番だ。仕返しが見事に決まったみずきは、自分の鞄から大きな手を取り出したのです。
「グローブ、左用だけど我慢しなさいよね」
「えっ、私も左で投げるの?」
「そんな本気でやるものでもないんだし、いいじゃないの!」
「……投げられるかなあ」
「ほーら、やろうと思わなきゃできないわよぉ」
あれよあれよと私の利き手にはご立派なグラブがはめられてしまいました。ごめんね、主人みたいな凄腕ピッチャーじゃなくて。お呼びのかからない手でグラブに触れると、見た目よりずっとやわらかい。試合の時、私の頭に乗せられた手を思い出した。
みずきはトタトタと私に背を向けて離れると、死闘を振り抜いた左手でボールを握る。
「いくわよー!」
「あんまり強くしないでね」
「わかってるって。百合香、運動音痴だもんね」
「……野球部の人たちが異常なだけだと思うけど」
にんまり笑った彼女が投げた。オーバースローだ。見慣れないその姿に心が驚いて、身体まで伝わってしまう。
「……ちょっと、しっかり捕ってよね」
「ご、ごめん。次はちゃんと捕るから」
「もう、頼むわよー」
グラブを逸らした白い球を拾って、慣れない左手で弧を描く。上手く力が入らず、ヘロヘロと漂うそれは彼女が私に放ったものとは別人みたいで、みずきのもとへと真っ直ぐ進まなかった。
「ああ、こら、どこ投げてんのよぉ」
「私じゃ力不足だよ、みずきのキャッチボールの相手なんて」
「むう、そういうのはいいの! ほら、構えなさい!」
「えっ、はい」
「キュートなピッチャーみずきちゃん、振りかぶってぇ……投げた!」
言葉通り、キュートなピッチャーが軽く振り下ろした左腕は私の構えたところへ針の穴のど真ん中を通す正確さで飛び込んできた。恐ろしい子だ。彼女のすごさを改めて右手に、いいえ、全身に湿らせたからその感動を乗せて白球を返してみる。「定まらないわねえ……右も左も同じようなものでしょーが」そう呆れるこの子には届いてないのかもしれないけどね。
なあんて苦笑いしていた時だ、私はふと気づいた。気づいたというのは語弊があるかもしれない。思い出したの。それは私の頭の中を占めているもののこと。誰が私の頭に住んでいたと思う?うん、さっきまでは確かに、確かに友沢くんのことを考えてた。
でもね、今はみずきのことをずっと考えていたの。彼のことなんて、頭のはしっこのすみっこにすらいなかったの。
「ふっふーん、決勝クローザーの切り札様がお手本を見せてあげるわ!」
人だけじゃなく腕までもグルングルンと小悪魔よろしく振り回しちゃうみずきは、人の気も知らないんだ。男の子にも引けを取らない勝ち気な笑顔を見せる彼女に、どれほど助けられているのかなんて。
「うん、ここだよ。決勝クローザーさん」
「オッケー、そこにクレッセントムーン叩き込んでやるわ!」
「えっ、クレッセントムーン!?」
「なにがあってもそこに構えておけば捕れるからさあ」
「聖ちゃんでもすぐには捕れなかったんだから無理だよ!」
「聖は目で見てミット動かすんだもん。結構揺れるけど、動かさなきゃ絶対大丈夫だって!」
あの時私がみずきにぶつけたこと、自分中心でワガママで周りを困らせてばっかり。でもそれは、私を新しいことに引き連れて行ってくれて、彼女について行きたいって、自分がそう思えて。
サイドスロー。いつもはマウンドで見る彼女、今はずっと近い距離。ほのかに私の目をかすめた緑色の瞳に冗談らしい色はない。
白いボールが私の視界を徐々に埋めはじめて、みずきが見えなくなった。ちょっぴり不安に感じた。それは私の構えた場所からは大きく違う方へ曲がって、脳がなんの考えもなしに右手を動かせと叫ぶ。彼女の言葉、右手を動かすな。私はとっさに左手でその腕を止めた。命令と彼女の言葉、信じるべきはどっちかなんてわかってる。
一度は方向を違えたボールが、意志を持って私に近づいた。それは耳に垂れた三日月のよう。両腕が衝撃を受けて押された。後ろにのめりそうになるのを堪えて、止まって。ようやく、私の手にクレッセントムーンが収まったんだ。
「ほらぁ、言ったでしょ?」
「うん……捕れた」
「でも、一発で捕ったのは百合香が初めてよ。やるじゃない!」
「だって、みずきが動かすなって言うから」
「そうは言うけど、聖も弟の方も動かして捕れなかったんだから」
私はすごく嬉しくなった。だって、彼女のことを心から信じきれたと思ったから。爽やかにニッと笑う顔と同じ顔をしてやると、みずきは知ってか知らずか「さすが私の親友だわ!」と喜ぶんだよ。だから私もこう言ったの。「親友の言うことを信じただけよ」ってね。やっと、やっとそうなれた気がするよ。