青春プレイボール!

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 この夏、一番熱い試合が終わった。全国制覇を賭けた戦いに勝利したのはアンドロメダ学園高校。私や雅がいるスタンド側はどこか沈みがちの空気だった。けれど、私は晴れ晴れとしていて、野球との結び目が解れていくことを感じていた。私の夏、やっぱりここにあったんだな、と最後の糸を名残惜しく握りしめていれば、雅に名前を呼ばれる。そして、彼女の口は私に決定権などないと言いたげにハッキリと動いた。試合の前とは大きな差で、彼女がそれをきっかけに別人になったことは明らか。
「なんとなくだけど、僕には友沢くんの気持ちがわかるよ」
 試合に負けて、悔しがっていると思うんだ。そんな時、誰を求める? 言葉を切って、最後に告げられた四文字。行きなよ。微笑む彼女に見えない手で体の向きを変えられたのはつい先ほどのことだった。
 駆け出した私の足に迷いはなかった。以前の不安が消えたわけじゃない、けれど以前のように不安がっているわけじゃない、友沢くんを支えたい、支えたいの。なにをすればいい? どんな言葉をかける? そんなことはわからないけれど、雅は言っていた。誰を求める、と。そうよ、彼に求められてから行動すればいい。口を開けばいい。
 薄れつつある人の波を進む。けれど、パワフル高校側のスタンドはただの波ではなくて。「百合香ちゃん……!」「わあ本当だ! 元気してたー?」「お前、突然転校するなんてびっくりしたんだからな!」「ふふ、久しぶりね」仲良しの女の子四人、チカちゃんにリョウちん、ハッチ、そしてセッちゃん。「惜しかったなあ、残念やね」眉を下げておしとやかに憂うしぐれちゃん。「いい勝負だったわ」涼しく目を閉じて温かい言葉を差し出してくれる聡里ちゃん。「そんなに走ったら転んじゃうよ!」「春野先輩、東野さんも子供じゃないんですから」「ああ、小平の言う通りだ」相変わらず生真面目でしっかりした千優ちゃん、小平くんはちょっぴり大人びたかもしれない。でもこの中じゃあ一番の大人は才賀くんだね。遠い甲子園で、同じ地域からこんなにもたくさんの声がある波はきっと、ここしかない。
「あ、東野さん」
「星井くん、それに静火ちゃん、木場くんも」
「ううっ、あとちょっとだったのにー!」
「テメエら静火の前で負けるとはいい度胸じゃねえか!」
「えっ、ご、ごめんなさい」
「木場、それは無茶な話だろ……」
 そして彼ら、パワフル高校と切磋琢磨したと言っても過言ではない覇道高校、初戦から夏休み返上のつもりでここまで来ている三人だ。静火ちゃんなんて、自分の高校のことじゃないのに声をあげて泣いている。優しい彼女を見ていると、木場くんが怒るのもわかる気がしてしまうな。
 けれど、そうゆっくりもしていられなくて適度な言葉を風除けに三人をすり抜ける。心の中で声に出したものよりも深々と謝罪をすると、私はまっすぐにパワフル高校野球部の面々がいるであろう深部へと足を運んだ。人影は随分と色が薄くなっていき、今や自分の足音だけが聞こえている。そんな中、友沢くんに会えるの。そのことだけが私の頭を占めていて、走る、走る。
 
 やがて、何度も焦がれた後ろ姿が見えて。私の気持ちはさらに炎上するのかと思いきや、静かに水をかけられた。……友沢くんと一緒に、神高くんがいたから。
「やあ、東野さんじゃないか! いいところに来てくれたなあ」
 しかも、神高くんが私に気づいてしまうというおまけつき。もちろん、隣にいた友沢くんも振り返って私を目にとらえると、これでもかと見開いた。
「東野!?」
「こ、こんにちは神高くん、友沢くん」
「フフ、東野さんも見ていただろう? 僕の圧倒的な投球を」
 神高くんに上手な言葉も出なくて、曖昧に頷く。ああ、なんだっけ。どんなことを考えていたんだっけ。すべては彼に会ってから考えればいい? 大馬鹿者、彼が一人でいるとは限らないでしょうが。自分の浅はかさにああだこうだと頭の中で葛藤していると、友沢くんの憂鬱げな目と合う。それが悲しそうに見えて、会議をしていた私のすべてが一瞬で静かになった。そして、満場一致だ。友沢くんに、そんな顔はさせたくない。雅が言っていたことを思い出す。こんな時、誰を求める? 私であったら、それなら私は。
「神高くんごめんなさい!」
「なっ!?」
「お、おい!」
 咄嗟に出てきた行動は、王子様さながらお姫様を救い出すこと。当然神高くんはお姫様をさらう魔王様でもなんでもないけれど、今だけはごめんなさい。悪役を引き受けてください。友沢くんの手を掴んで神高くんから離れていく私は、白馬や伝説の剣はもっていない。生身一つの村人レベルだ。
「待て、東野さん! 友沢くんもキミも僕のものだ!」
 しかし、逃走劇とはドラマのように上手くいかないもの。今年の全国制覇校のエースにターゲットされた私なんて、村人にもなりきれるものか。魔王様に殺されかけるスライムさんだ。た、助けて。友沢くんになにができる云々の前に、彼を巻き込んで逃げるなんて何事でしょうか。すべてはやはり大馬鹿者な私が蒔いた種です、そうなのですがどなたか助けてください! ああ、このあとはきっとお姫様の手を離して、魔王様の魔剣の露となるのでしょう。彼を掴んでいる頼りない手は王子様とは呼べなくて、私は結局スライムのまま。諦めかけて、目を閉じた時でした。
「待つのは君だよ」
 正義の力とはどこかで働くものなのでしょうか。聞こえた声は、私も友沢くんもよく知っているもので。静かにその声の方を見れば、今年の甲子園決勝出場校のエースが立っていたのです。
 私と友沢くんは彼の横をすり抜けた。すると、猪狩くんは追ってきた神高くんの腕を掴んで離しません。彼の方が私より百倍以上王子様のよう。いいえ、この場を借りるとすれば勇者と呼ぶ方がお似合いでしょうけれど。
「……なにかな?」
「それはこっちのセリフさ。随分と野暮なことをするんだね」
「フン、キミには関係ないだろう」
 段々と小さくなっていく二人の会話を尻目に私は虎の威を借る狐、その名の通り勇敢な勇者様の影に隠れつつ、彼はやはり偉大だと胸に刻んでチョコチョコと走り去ったのでした。
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