青春プレイボール!

□01
1ページ/2ページ

 朝起きて、光が漏れるカーテンを開ければ、まだ見慣れない風景が広がった。桜の花びらがヒラヒラと舞っていて、春だなあなんて見とれる。でも、そうものんびりしてられないんだっけ。まだ眠っている頭で今日のスケジュールを掘り起こした。今日は新たな一歩を踏み出す日、すなわちパワフル高校の入学式だ。窓から顔を背けるとシワ一つない小綺麗な制服が目に入った。
 楽しみだけれど、不安も半分ある。混ざり合う複雑な気持ちは留まっている場合かと私に語りかけてきた。友達はできるかな。勉強についていけるかな。それに頑張るよと相槌を打ちながら洗面所に向かう。
 家には誰もいない。今まで、朝起きたらお母さんがいて、朝ごはんがテーブルに置いてあって、私のお弁当も作ってくれていた。田舎だった私の家の近くには高校がなかった。その上、電車で通う範囲には自分の学力に合わないところばかり。パワフル高校を受験するという決断に至ったのに時間はかからなかった。結果、合格した私を待っていたのは、新生活。一人暮らし。親元を離れるのは心細かったけど、近くにパワフル高校が力を入れているらしい野球部の寮がある。しかも、高校野球は女の子も参加可能。すでに引っ越した日に女の子の友達はできたし、寂しくないぞ。大丈夫。
 起きたての顔には少しブルリと鳥肌立つ水を手でかけて、朝ごはんの支度をする。とは言っても、食パンを焼くだけなんだけどね。そして、そのスキに制服の袖に腕を通してみた。これから、毎日着ることになると思うと、親しみがじんわりと胸を温めるの。できあがった食パンをそそくさと食べたところで、髪をとかし、鏡の前で笑顔を作ってから、昨日入念にものを詰めた鞄を持って玄関へ。黒い革靴をはいて、ドアを開けると、なんだか違う世界に来たみたいで少し身震いをしてしまう。そんな私を見ていた、ひとつの影があった。
「おはよ、百合香」
「みずき。おはよう」
 こっちで初めてできた友達、それが彼女、橘みずきちゃん。くりくりな緑目をキュッと曲げた様はどうですか。見てのとおり、水色髪のかわいらしい女の子でしょう。本人いわく、男の子にひけをとらない野球選手なんですって。彼女は寮生活で家が近いから、一緒に学校へ行く約束をしていたの。
「今日クラス決まるのよね。私、百合香と一緒がいいなあ」
「私もだよ。クラスにみずきがいないとさみしいし……」
 ふたりで心配しながらも、アスファルトを蹴る足取りは軽い。そして、高校に向かうにつれて仲間が増えていくように私たちと同じ服装をしている人が多くなっていく。きちんと制服を着ている人いれば、私服同然に着崩している人もいて。その余裕が垣間見える姿に、あの人はきっと先輩だろうと推測して笑い合った。
「今日なんて、入学式だけでしょ?」
「そうだと思うよ」
「はあ、タイクツ!」
「あはは、話が長くないといいね」
 話したいことが尽きない。華を咲かせてしまったおしゃべりな口は、女の子同士、閉ざすことを知らない。そういえば、昨日のドラマ見た? 面白かったよねえ。その後のバラエティも。うんうん、あの芸能人が出ていたね。パワフル高校へ着いてもなお、形を変えながら弾みっぱなしの会話。元気のいい足とどちらが上なのだろう。いい勝負だ。
 そんなものを引っ提げて校門に足を踏み入れると、入学式も始まっていないというのに校舎前に人だかりができていた。遠目から見ても、巨大な紙が貼られているのがわかる。
「あれ、クラス表じゃない?」
「きっとそうよ、いこう!」
「あっ、みずき……」
 野球をやっていることもあってか、持ち前の運動神経で恐れることなかれ、人ごみに入っていったみずき。追いかけることなどできるはずもない私は、彼女を目でとらえていたがやがて見失ってしまう。みずき、足も速そうだし、追いかけたところできっとはぐれてしまっているだろうけど。とにかく、ここで待っていることにしよう。でも、これだけたくさんの人に埋もれていたら、みずきも私も見つからなくなっちゃうかな。身長が高いというわけでもない私は、革靴の先を伸ばしたり、首を上げてみたり。微々たるものでも戻ってくるだろう彼女の目に映るように努力した。どこかなあ、私の視界に水色はない。

 そうして、ぼんやりと彼女を待ち続けていた時のことだ。私の背中を襲ったのは、不意の衝撃。唐突なそれに、平然といられるはずもない。小さく悲鳴をこぼしながら、地面に膝をついてしまった。なに、なにがあったの。あわてて振り返ると、メガネをかけた男の子があわあわと狼狽えたのち、手を差し出してきた。
「も、申し訳ないでやんす!」
「いえ、私もぼーっとしていたから……」
 その手をとって立ち上がると、また謝られて。律儀な彼に大丈夫だと笑顔を見せた。ようやく胸を撫で下ろしてくれたメガネさんの後ろから、今度は別の男の子。「ああもう、なにしてるの矢部くん!」と頭を抱える姿、彼はメガネさんの友達なのだろう。メガネさんと似た焦りっぷりの彼にも大丈夫だと告げると、のどにつっかえる魚の小骨が取れたかのように安心された。そんなに、あぶなっかしく見えたのかな、私。
 メガネの男の子は矢部明雄くん、その友達の男の子は葉羽小波くんと言うらしい。ふたりは同じ一年生。共通点を見つけた私と彼らの距離が縮まることに、時間はいらなかった。同じクラスになれるといいね、そんなことを呑気に話していた私は、とんでもないことを忘れていました。
「そういえば百合香ちゃん、誰かと一緒なの?」
「たしかに、オイラがぶつかった時はずっとあっちを見てたでやんすね」
 その言葉に頭が雷に撃たれた心地がする。そうだ、忘れてた、みずきのことを。ふたりの助言に目をキョロキョロと忙しなく働かせる。みずきが戻ってくるのを待ちつつ、見つけようと思っていたのに。もう、しっかりしなきゃダメじゃない。自分の情けなさに我ながら呆れかえっていれば、視界に水色の頭が見えた。間違いない、あれだ。思い出させてくれた葉羽くんと矢部くんに胸中で感謝しながら、みずきに手を振って誘導した。
 しばらく私を探すように顔を右往左往していた彼女は、目が合った途端にニコニコと愛らしい顔。しかし、葉羽くんと矢部くんを私の隣に見つけると、悪魔のような形相に変わって駆け寄ってきた。
「なによあんたたち。新手のナンパ?」
「ち、違うでやんす、オイラたちはただ百合香ちゃんと友達になっただけでやんすよ」
 みずきの見下すような態度に矢部くんも食ってかかる。私と葉羽くんで、互いの友達をなだめるけれど、少なくともみずきの機嫌はナナメ上から逸れようとしない。きつく細められた目は、いつものくりくりした大きな目を一層冷ややかにした。それを逸らすには、と考えて頭の中に浮かんだ言葉。「そういえば、クラスはどうなったの」咄嗟に飾り気もなく口に出すと、彼女はニパッとこっちを向く。いつもの顔だ、どうやら落ち着けるのに成功したみたいで、人知れず安堵の息をついた。
「ほら、これよ」
 貼り出している紙と同じものが、小さなサイズで彼女の手に乗っている。その指が示す先を見ると、同じ組に私と彼女の名前。一緒のクラスになれたことを表していて、単純なことに気分は空を超えそうなほど急上昇。さらには、ふたりでハイタッチだ。そして、気になっていたのは私だけじゃない。葉羽くんも、食ってかかった矢部くんも、彼女に近づいてそのクラス表を覗き込んだ。
「なんであんたたちも見るのよ」
「見てもいいでしょ、減るものじゃないし」
 こんなところで、また面倒なことが起こるのは避けたいのが本音だ。蓋をするように彼女を諭すと、思いの外あっさりと引いてくれた。私から再び息が漏れる。よかった、葉羽くんもホッとしている。しかし、それも束の間だ。なぜなら、男の子ふたりとはクラスが離れてしまったから。入学式でもなかなか会えないかもしれない。それでもご縁を信じ、「また会えたらいいね」と手を振って別れつつ、私とみずきは教室への移動を始めた。毅然と歩く彼女と、どうもそう見えない私。田舎者の雰囲気は消せそうにない。

 教室に入ると、すでに仲良くなったのか女の子二人で会話をしていたり、入学式まで暇だからか机を枕にしていたりと十人十色だった。私たちもかなり早い方だけれど、上には上がいるってことだね。そんな中、後ろの席にみずきの気を引く行動をしている人がいた。野球で使う道具を持っているタオルで丁寧に磨いているのだ。興味を引かれたのか、彼女は迷いなくそこへ歩み寄っていく。座っているのは男の子だ。
「ねえ」
 声をかけると、彼はグラブを磨くのをやめ、興味なさげにみずきを見上げた。どうしよう、彼女はちょっぴり高飛車なところがあるから、矢部くんみたいに初対面の彼を怒らせないかと心配だ。静かに温度が下がっていくような気がして、冷や汗が流れた。そんなことはつゆ知らず、むしろ知ろうともせず、彼女は顎と態度をひけらかして口を開く。
「あんた、野球やっているの?」
「見ればわかるだろう」
「へえ、ポジションは?」
「……ショートだ」
 素っ気なく質問するみずきと素っ気なく返す彼。この人は矢部くんみたいに食ってかかったりしなさそう。「私はピッチャーなの」とニッコリ天使のようなスマイルの彼女に、何も起こらないだろう。体温を取り戻した手を握りしめて、私も目の前の彼にクラスメイトとしての挨拶を交わしてみようと思った。
「女が野球なんて、できるのか?」
 無表情だった彼の顔が、素直に驚きの色を示すと、今度はみずきの番。彼女の顔は一瞬にして天使から悪魔になってしまった。初めてでもわかる、地雷だ。ああ、もう。彼には悪いけれど、何を言ってくれたんですかと、口には出さずにやつあたりをかましてしまう。どうしよう。葉羽くんと矢部くんのことを思い出して、私は落ち着きもなくハラハラと両者の顔を見比べてばかりだ。
「待て」
 しかし、みずきからいとも簡単に顔を逸らした彼は、私の後ろを通ろうとした男の子を見て目の色が変わる。幸か不幸か、彼の視線も興味もとっくのとうにみずきから外されていた。対峙するふたりの男の子。全く蚊帳の外となった私とみずきは、この奇妙な空間をどんな席で見ていればいいのだろう。
「同じ学校か。友沢亮」
「猪狩守……」
 友沢くんは睨みを利かせ、猪狩くんは澄ました顔で互いを牽制しあう。さらには、ふたりの名前を知るとみずきまで驚きを見せた。聞けば、すでに野球の世界じゃ有名な人たちらしい。どうしてまたここまで野球色に染まった場所になってしまったのだろう。全くもって話が見えない、蚊帳の外どころの話ではない私はまたひとつため息をつきたくなってしまうのだ。
「まあいい、野球のことなら部活で思う存分やろうじゃないか」
「望むところですよ」
 挑戦的な視線を交えると、猪狩くんは私とみずきへと振り向く。「まあ、今言ったとおり、猪狩守というんだよ」一瞬にして爽やかな笑顔を貼り付けるのだから、彼にはおみそれしてしまう。一方、微笑みを与えられたみずきは、なぜだかとても好戦的な目をしていて。嫌な予感に突き動かされた私は、彼女の名前だけを口にすると慌ててその腕を掴んだ。火を立てたくないだけ、です。友沢くんにも挨拶を交わし、波風が荒れる前に彼女の席に引っ張って行く。
 しぶしぶ席につく様子を見てから、私もようやく自分の席についた。前後左右は女の子で、すぐに仲良くなることができた。彼女たちは女の子らしくて、輝いていて羨ましい。私なんか、平凡中の平凡だ。
「みんなは部活とか、決めた? あ、私は……その、柔道部にしようかなって、思ってるんだけど……」
「へえ、チカちゃんは柔道部なんだー! 私は絶対バスケ部!」
「私は料理部かしら」
「アタシは剣道しかありえないぜ!」
 わあ、みんな明確なんだ。都会の女子高生らしくはしゃぐ姿が目に眩しい。
「百合香は?」
「そういえば、さっき橘さんとか友沢くんとか猪狩くんと一緒にいたよねー?」
「なら、野球部にするのか?」
 彼女たちの期待が薄く入り混じった瞳が私を捕らえる。それを受け取る私は、言葉通りに想像を膨らませた。野球部か。特にやりたいこともない私は唸ってしまう。そんな中、助けを求めるような気持ちで水色髪のあの子を見れば、目が合って微笑んでくれた。それがいやに私の心を擽ったの。
「野球部……みずきを支えられるなら、やってみようかなあ」
「そう……。でも百合香ちゃん、料理上手そうだし、一緒にやってみたかったわ」
「セッちゃん、こういうことは本人が決めなきゃだろ」
「ふふふ、そうね」
 しかし、だ。口にしたと同時に私の中には黒い霧が立ち込める。私はここまで見ていてわかるように、何もできないし、取り柄もない。みずきはもちろん、その業界では名の知れた猪狩くんや友沢くんも入るであろう野球部なんてところは難しいかもしれない。一度顔を出した暗雲はたちまち私を覆っていき、やがて口から滑り出してしまった。それを聞いていたのは、元気で明るいリョウちんだ。彼女は私と向かい合うように動いたと思えば、両手を机の上に思い切り置いた。バンッと威勢のいい音と共に。
「大丈夫だって、頑張ってみようよ!」
「たまにお菓子を作って、百合香ちゃんを応援しに行くわ」
「おっ。なら、アタシもたまにひとっ走り野球部のグラウンドまで行ってやるよ!」
「わ、私も、外で走り込み練習するとき、会いに行く、から……」
 リョウちんを筆頭に雪崩を起こす四つのエール。入ってみなよ、挑戦してごらん、と彼女たちの眼差しが話しかけてくる。それが嬉しくて、私は暗雲を吹き飛ばしてやった。背中を押され、野球部に入ることを決意したの。私も時間があったらみんなの部活に顔を出そうかな、だなんて考えてしまうほど、黒い靄は遥か彼方。ふと、みずきが気になってもう一度見てみると、突っ伏して寝ていた。彼女はどこまでもマイペース、だね。
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ