青春プレイボール!

□02
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 正式な入部届けを提出して、部員として参加する初めての野球部。いつもより格段に人は減っていた。三軍の人たちがほぼ全滅状態。二軍も少なくなったせいか繰り上げ、三軍はなくなり、二軍制になった。これが、強豪校の厳しさか。昼ごろ、廊下で話しかけてくれた男の子たちは、ひとりたりともこの場にいない。私は胸に小さな後ろ髪引かれる思いを抱えて、でも、ここではもうマネージャーなのだと必死に追い払っていた。マネージャーも七人くらいいたのに、志望したのは私を含めてたったふたり。
「葉羽くん、これ……」
「ありがとう、小筆ちゃん」
 私の相棒はおとなしくて、周りをよく見てる優しい女の子、京野小筆ちゃん。しかも、彼女も私同様、三軍の葉羽くんや矢部くんにまずドリンクを渡していたから、部活見学の時から一緒にいた。彼女とは上手くやれそうだ。
「葉羽くん、が、がんばって……!」
「うん、そう言ってもらえるとがんばれるよ!」
「ふふ、小筆ちゃんもがんばらなきゃね」
「百合香ちゃん……!」
 そして、見ていればわかることだけど、彼女は葉羽くんが好きみたいです。葉羽くんに見えないようにからかうと、思った通りの反応。恋する女の子はかわいいなあ。私はわだかまりをもみ消すように、彼女の愛らしさに現を抜かしていた。私はひとつ、またひとつと段々浄化され、それはまさしく小筆ちゃんのおかげなのだと前を向くことができた。
 そうして、マネージャーの仕事、たまに小筆ちゃんを応援しながら、みんなが練習している姿を盗み見る。視界の隅を緑色のおさげが揺れて、簡単に私を釣り上げた。女の子同士だと仲良くなった早川あおいちゃんだ。彼女は進くんと投球練習をしていて、真っ直ぐ進まないボールが何球も投げ込まれていることがわかる。素人目でもはっきり見える、彼女はあの変化球を武器にこの高校に来たのだと。
「あおいさん、たしかにすごいけど私の方が上だからね!」
「みずき……走り込みに行くの?」
「そ、すぐ帰ってくるから!」
「わかった、ドリンク冷やして待っているね」
 あおいちゃんが躍起に右腕をふるう姿を見つめていた私と、肩にタオルをかけたみずき。ふたりで会話を交わすと、野球部の中では一番と呼べる小さな身体で私からグングンと離れて行く。私は簡単な仕組みでできていて、彼女が頑張っている様を見ていると、私もとつられてしまう習性があるらしい。人一倍、誰にも負けないエールをもうじき消えてしまうタオルがかった肩に届けた。
 やがて、あおいちゃんがマウンドを降りる。それを合図に、ノック開始だ。バッターボックスに立つは、野球部を強豪に育て上げた寡黙で厳格な監督。30ほどの若い方なのに鬼監督とよばれているらしい、みずき情報だ。監督は、野太い声でポジションを言いながら鋭い打球を放つ。内野は特に辛いのだろう。さっきからセカンドが何球か捕り損ねてる。監督もそれにいらだったのか、今度はショートの方を見つめた。構えているのは、友沢くん。
 あの怒鳴られた時から、私の入部を後押ししてくれた時から、特になんだかんだということもないけれど、彼は他の人とは違う存在になっていた。才能なんて認めない、そう言いながらも才能の塊のような彼に目が離せないのだ。才能とは一体なんだろうと、彼を見ていると考えさせられる。内野にも関わらず、バットから甲高い快音が聞こえ、友沢くんに向けて攻撃性を持った白い矢が飛んでくる。しかし、それをもろともせず、行き着く先は左手にはめられたグラブ。頭を越えそうな弾丸、彼の目の前で叩きつけられるバウンド、監督がどんなに難しい球を打ってきても、捕る。ちゃんと捕っている。
 その友沢くんは、ボールしか目に映していなくて。野球に夢中になっていて。生まれてこのかた他のことをしたことがないような錯覚を見てしまうほどに、野球と向き合っているのだと思った。才能ってなんだろう。そんな疑問は打球と共にどこかへこぼしてしまった。友沢くんに、夢中になる私がいたから。かっこいいな。気づけば、そんなことを考えている自分がいることを意識して、顔が火照った。やだ、何を考えているんだ、私。人知れず、手で顔を覆った。それを見ている人がいたなんてことも知らずに。
 ノックが終わると、ほとんどの選手がクタクタになって倒れこもうとばかりに前屈みだ。内野手は目の前で変則的に弾む球のせいで、泥はねも浴びている。無理もない。だって、あんなに厳しいコースに飛んでくるんだもの。監督はそれを打ち分けているのだから、恐ろしい人よ。
 先輩たちが百合香ちゃん、と助けを求めてきて。本人によると、癒やしが欲しいらしい。そうもなりますよね、おつかれさまです。ドリンクを渡したり、話し相手になったり。でも、二軍の選手もボール拾いをしているし、手伝いに行かなきゃ。
「東野」
 でも、その思考は一度中断。友沢くんが、アンダーシャツで汗を拭いながら私の方に来たから。さっきまで意識を取られていた人の登場に、私は嘘が見抜かれた子どものように押し黙ってしまった。でも、その行為に罪悪感が私を責める。いいえ、こんなことしてちゃ。彼は、私がマネージャーになる理由を肯定してくれた人なんでしょう。罪悪感様の言うとおりだ。すぐに笑顔を作って、立ち上がった。
「おつかれ、さま」
 私はちょっとだけ緊張しているのかもしれない。初めて聞いたような自分の声が耳に届くまでわかる余地もなかったことにまたひとつさざめいたけれど、それでもタオルとドリンクを渡せば、クールに感謝がはね返ってきて心が温かくなる。
「友沢くん」
「なんだ?」
 しかし、温まった私は何を思ったのか、何を油断したのか。自分のことのはずなのに、不意に、だ。彼に一歩距離を縮める。大きいなあ。私なんて、彼の肩にも満たない。そんな呑気なことを、平和ボケしたことを考えている場合じゃないことに、たった今ようやく気づけたのだ。パチンと目を瞬かせたことによって。
「……なんでもない」
「どうしたんだ?」
「き、気にしないで……」
 不可解な顔をしている友沢くん。当たり前だ。けれど、なにを言おうとしたの、私。どうして彼に近づいたの。きゅ、と後ろに回した手で、腕をつねった。ボール、拾いに行かなきゃ。逃げるように友沢くんの脇を抜けて走り出すと「百合香ちゃん!?」と先輩の声が背中に飛んできた。けれど、ごめんなさい。聞こえないふり。

 そんな被害者も当事者も理解が難しいことがあって、私が願ったことはただひとつ。みずき、早く帰ってきて。その切な願いが叶ったのは、夕暮れ時のことだった。走り込みからようやく戻ってきた彼女はそれはそれはつかれたご様子で……そりゃあ、ずっと走っていればそうもなるよね。ベンチの隣を空けて寝そべらせる。すると、この時間まで選手の練習に付き合っていた監督が顔色ひとつ変えずにやってきて、みずきが練習メニューを終えたことを伝えられた。よし、今日は一緒に帰れるぞ。自然に顔が緩み、抑えきれなくなった喜ばしさが私の手を彼女の頭へと運んで撫でさせたくらいだ。みずきもご満悦そう。
「友沢、僕と勝負しようじゃないか」
 しかし、その夕凪に横槍が入った。これは挑戦的な笑みを浮かべた猪狩くんのセリフで、場は一気に静まり返る。あまりにも唐突なことだった。なんの前触れもなく発せられた言葉の意味を噛み砕いた部員は、先輩たちですらギャラリーへと姿を変える。わらわらとマウンドとバッターボックスから離れていくギャラリーを、みずきも頭を上げて眺めていた。
「ねえ、なんか事が大きくなってない?」
「う、うん……友沢くんと猪狩くんってどっちもすごい選手だもんね……」
「むう、私の方がすごいわよっ」
「わかってますって」
 猪狩くんは、視線を集める盛り土へと歩いていく。進くんも定位置へ。
「……今日は、できません」
「なに!?」
「この後すぐに用事があるので」
 でも、友沢くんはどうやら彼の事情があるみたいだ。周りも期待してる分、そのしわ寄せは必然的にひとりへと向かった。徐々にざわつきを増していったギャラリーは監督の一声によって掻き消えたものの、私はなんだか孤独を突きつきられた気がした。強者である彼は、そんなことは最初から目に見えていないのだろうか。そして、空気など知らずにさっさと身支度を終えて帰ろうとする友沢くんに、睨む猪狩くん。そんな視線を無視して、彼はグラウンドを後にした。その動きに流されるように、私と彼女、他の部員も身支度を始め、この話はおしまい。

「あーあ、惜しかったなあ」
「友沢くんと猪狩くんのこと?」
「そうそう。どっちが上なのか、ちょっと興味あったのにい」
「見てみたい気持ちもあるけど……友沢くんがイヤなら無理にやらせることはできないよね」
「なんでかしら、あいつ絶対野球バカなのに……」
 とはいかなかった。みずきとの帰り道、もちろん話題にあがるのは友沢くんと猪狩くんのこと。惜しい気持ち半分、怪しむ気持ち半分で会話をくりひろげれば、詮索しているような居心地の悪さが私たちを包んで、お互いに口をつぐむ。けれど、頭の中じゃ、私はもちろん彼女もそのことが占めているはず。追い出そうと、とにかく体当たりに話題を変えた。
「そういえば、今日ものすごく走ってたね」
「そう! あの一緒にいた先輩……いや鬼め、今日は夏のために気になる高校を見に行ったんだけどね、走って移動とかありえないわよ!」
「ああ、偵察に行ってたんだ。だから監督は帰ってきたら練習させなかったのね」
「偵察じゃなくてマラソンよ、まったく。それはそれはえげつなかったんだから……」
 みずきの話を聞いていると、私住んでいるアパートが見えてきた。名残惜しいけど、今日はお別れ。この後は一人でいなきゃいけない。またあした、と手を振りつつ彼女と離れ、アパートの階段をのぼる。一ヶ月もすれば、生活はなかなかこなせるようになってきた。……夜は、すこしだけ人肌恋しくなるけれどね。息が重く地面に落ちる。
 そんな、無防備な頭に彼が入り込むことは難しいことじゃないみたい。浮かんできた、ノックの時の姿。汗を拭いながら私の前に来た姿。なにもできない疲れた頭がしばしそれを居座らせ、やがて事の恥ずかしさを知った私はブンブンブンと振り払う。なに考えてるんだ。もういちど、人知れず手で顔を覆った。
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