青春プレイボール!

□06
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 ここが総合病院、何度か前を通ることはあったけれど、スポーツも何もしていない平々凡々な私。訪れるのは初めてです。挙動不審に視線を踊らせながら受付へと進む。今日、友沢くんは部活に来ていないし、矢部くんの目撃情報が正しければ、ここにいる可能性は高い。
 彼の名字を出すと、綺麗な笑顔で迎えてくれたナースさん。たどたどしい私とはいたって対照的で、カタカタとキーボードを叩く彼女に釘付けになってしまう。今はここの他に目を彷徨わせたりしたくはない、田舎者の私には身体に合わないからです。
「友沢様でしたら、こちらの病室にて入院されてます」
「にゅ、ういん……」
「ええ。お見舞いでしたら、こちらの階段の先になります」
 笑顔で親切をくれるナースさん。気が入らない声でお礼とも言い難い感謝を告げ、階段に足をかけた。というより、入院って言っていたよね、あのナースさん。友沢くんはそんなに大変なことになっていたのか。どうしよう、監督に言うべきかしら。でも、友沢くんは大切な時期だからと言わないでいるような気がする。とにかく、本人に話をしてみよう。
 いろんなことを考えて熱くなる頭。一文字に結んだ口と、つり上がる眉。すれ違ったおじいさんがこちらを振り返った。まずいまずい、変な顔をしていたみたい。足早に階段を登ると、病室が並ぶ白い通路が広がった。ナースさんが言っていた病室はここだ。
 しかし、私はそこで立ち尽くすこととなった。病室の前に書かれている苗字、それは確かに友沢さん。けれど名前はあの友沢くんのものではなかったからだ。もしかして人違い? 友沢くんじゃない? そう思うや否や、私を悩ませていた種が消えて安堵感が入れ違いに顔を出す。い、いいえ、でも人の病室でホッとしているなんて、患者さんに対してなんと失礼なことでしょう、やめなさい。胸に拳を当てて強引に掻き消す。とにかく帰ろう。時間はまだ部活の最中、今からでも戻ってマネージャーの仕事をしなくては。小筆ちゃんもきっと待っている。
 しかし、病室に背を向け、来た道を引き返そうとした時、私の足はそれ以上進むことを許されなかった。見間違えもしない明るい髪が、空の花瓶と小さな花束を持っていたから、そこに。
「東野……?」
「あ、こ、こんにち、は」
 安堵したはずの胸が一気に冷え切った、気がした。「なぜここに?」そうですね、そうなりますよね。矢部くんから聞いたことを話すと、彼は納得してくれた。けれど、蛇口を捻って流れる水に空の花瓶を寄せた友沢くんは何とも言い難い複雑な顔だ。
「それで、東野は俺が怪我していると思って来てくれたというわけか」
「うん、そうなの」
「……ありがとう」
「いえいえ、結局違ったから安心したよ。……あ、でも友沢さんの病室だったから、身内の方が入院してるんだよね、不謹慎でごめんなさい」
「ああ、母さんが病気で入院しているんだ。せっかくだから、東野も母さんの見舞いについてきてくれないか」
 彼は水を入れた花瓶に花を刺し、病室へと歩いていくものだから、遅れないようにとその横に並ぶ。友沢くんのお母さんは大丈夫なのでしょうか。私が言えることじゃないけれど、お母さんが病気だなんて考えられない。
 そういえば、いつか言っていたっけ。一人暮らししている私に強いと。ということは怖いのでしょう、失うことが。彼の方がずっと強いと思った。離れていても、いつもそこにいることが当たり前だと思っていて失うことを考えたこともない私と、失うことへの恐怖を理解して向き合っている友沢くん。この人は、本当に私にないものばかり持っている。
 病室に戻ると、ベッドに女性が横たわっていて、その傍らには小さなふたつの影があった。
「こんにちは、亮がいつもお世話になってるねえ」
「いえ、こちらこそお世話になっています」
「野球にしか目がないから……安心したよ、こんなにかわいい女の子の友達がいて」  
「母さん!」
 クスクスと笑う友沢くんのお母さん、想像よりずっとお元気そうだ。しかし、友沢くんの話によれば、彼のお母さんは体調が良くないらしく、ずっと入院しているのだとか。その医療費のために友沢くんはアルバイトをしているのだとか。あまりにも壮絶な話に心を痛めたものの、彼のお母さんはとても人当たりのいい方だった。
「おにいちゃんね、ぼくたちにゆりかおねえちゃんのはなしをするんだよ!」
「おにいちゃん、ゆりかおねえちゃんにたくさんげんきをもらってるっていってたよ!」
「朋恵! 翔太!」
 そして、ふたりのかわいい兄弟。噂には聞いていたけれど、友沢くんのようなクールなイメージはまるでなく、きゃっきゃと私の膝に乗っている。明恵ちゃんなんて、随分なあまえんぼうさんだ。
「ふふ、翔太くんと朋恵ちゃんはお兄ちゃんのこと、好き?」
「だーいすき!」
「ともえも! ゆりかおねえちゃんはー?」
 可愛らしいふたりに何気なく聞いた言葉が、無邪気な笑顔とともにブーメランで返ってくるだなんて思いましたか。少なくとも私はそんなこと、想像もしていませんでした。ピシリと固まった私と友沢くん。そんな姿を見て、友沢くんのお母さんはおかしそうに笑っている。
 けれど、ふたりのまん丸の瞳がなんの淀みもなく私を見ていて、それを無視できるほど非道な人間では、ない。な、なんでしたっけ、朋恵ちゃんが私に投げかけた疑問を引っ張り出す。朋恵ちゃんのお兄ちゃんが好きかどうか、でしたっけ。ああ、なんだか身体が熱くなってきた。ま、まずね、嫌いだったらここまで来ないし、チームメイトとしてもクラスメイトとしても、も、も、もちろん。
「……す、き、です」
 言った瞬間、熱くなりかけていた体温が一気に上がるのを感じた。恥ずかしながら友沢くんを盗み見れば、そっぽを向いていて表情はわからない。ああ、これまで以上に鼓動がなっている。頬が熱い。頬だけじゃない、手も足も、どこもかしこもだ。
 どうしてそんなに熱いの、と囁かれた気がした。誰にでもないけれど、だ。そして、考えてしまった。答えは寸分も待たずに出た。気付いてしまった。憧れの人だと思っていたのに。湖に一滴の雫が落ちるように、水面に描かれた波紋は広がって、広がって、留まることをしらない。すき、好きなんだ、私。友沢くんのことが。
「わーい! ともえといっしょ!」
「ねえねえ、おにいちゃんは? ゆりかおねえちゃんのこと、すき?」
 自覚した後でもう一度固まった。もう、聞いていられないよ。子供まんまの満面笑みを絶やさない翔太くんに、私は羞恥で強く目を閉じた。
「す、好きじゃなきゃ、お前たちに話していない」
 耳を震わせたのは、好きな人の低い声、好き、という言葉。身体の芯がビリリとしびれて、全身がピクンと跳ねたて、ドクン、心臓がひときわ大きく鳴った。目は涙の膜が張られて、口はカラカラで、いたたまれない。私は膝に乗っていた朋恵ちゃんを抱きかかえると立ち上がって椅子に座らせた。
「し、失礼します! いきなり来て、すみませんでした! お大事にしてください!」
 赤い顔のまま、お母さんの目も見ずに病室を出る。後ろから友沢くんの私の名前を呼ぶ声や、朋恵ちゃんのまだ遊びたいと嘆く声が聞こえたけれど、足は止まらない。病院で走ってはいけません。そんな当たり前の常識を思い出しながら、スピードを緩めることなどできなかった、できるはずもなかった。
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