青春プレイボール!

□06
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 流れる汗を拭いながらでごめんない、夏の日差しも私たちに負けじと本格的になってきましたね。この夏の象徴とも言える高校生のイベントが、もう目と鼻の先に迫っています。そのせいか、教室はどこか暑さに関わらず活発で。一員である私も微笑ましいことこの上ありません。その前に、大きな試練が待ち構えていることを除いて。
「よっしゃー! ついに夏休みがきたぜー!」
「今年こそはビーチで彼女をゲットしてやる!」
 ……失礼しました、こっちじゃありませんね。
「明日か……まあ、どうにかなるだろ!」
「もう、どうにもならないからこうしているんでしょ」
「セッちゃん、手厳しい……」 
 そうです、明日は定期試験の日。みんなが嘆くのは一ヶ月ほど前。勉強しなきゃなあなんて気の抜けた声で言っているのも一ヶ月ほど前。ここまで直前になると、定期試験をステルス化して亡きものにする人、黙ってノートや教科書と全面対決する人、友達同士で問題を出し合う人。十人十色です。
 私は、席の近い女の子たちと集まって勉強をしていました。まだ希望を捨てていない部類に入るのでは、と自負しています。
「セッちゃん、えっと……どう、かな」
「うん、全部合ってるわ。さすがチカちゃんね!」
「チカちゃんすごーい! ねえねえ百合香ちゃん、私のはー?」
「回答欄、ずれているよ」
「マークシートじゃねえのに、おっちょこちょいだな!」
「ハッチ、あなたは手を動かしてね」
 一ヶ月前から一歩一歩と勉強をしてきた私たち。セッちゃんは言わずもがな上位でしょうね。私やチカちゃんは平均は採れるだろうけれど、問題はリョウちんとハッチ。リョウちんは、問題の解き方を理解しているのに、ケアレスミスがとにかく多い。本当に、もったいないほど多いのです。ハッチは……うん、とにかく今日この日にベストを尽くして、明日に備えよう。
 最後の仕上げに入っている私たちは、先生がやった方がいいと言っていた確認テストとやらに手をつける。これを基にテストを作るらしい。五人集まって、主にセッちゃんからペンの音だけ鳴っている光景はなんとも言葉にし難いもの。ひと通ししたところで、わあ、私は見事に合格ラインのど真ん中です。どこまで平凡なのでしょう。もちろん、秀才の欠片もないので問題の解説を読んでは解き直し。なるほど、ここはこうやって考えるのか。こういうこと、みずきとか猪狩くんなら、サッサとできてしまうのだろうな。うらやましい。

 そんなことを思っていた昨日。今は期末試験の真っ最中です。体調良好、睡眠時間もばっちり。けれど、どこまでも私は私です。基礎問題をすべて倒し、応用問題に差しかかったところで、私の手はピタリと止まった。ここまで点数で言えば六十点強。寸分の狂いなく綺麗に平均点あたりに立っている。ま、負けないぞ。今まで頑張ってきたじゃあないか。
 ああだこうだと考えていると、私の腕へ紙をクシャクシャに丸めたボールが飛んできた。なんだろう。拾いあげて、ボールの発射方向だと思われる方向を見ると。ああ、みずきか。彼女は、紙ボールを指差していて。開けってことね、はいはい。シワがたくさんついた紙には、彼女の字で「試験が終わったら、対猪狩用エース勝ち取り作戦を立てるからね」と書かれていた。こんな時にまで野球かあ。頑張り屋さんなみずきに口元が上がり、頭が下がる。親指を立てて答えると、彼女はさもガッツポーズでもしそうな快活笑顔を残して試験へと戻っていったのだから、彼女の頼みを聞くことは清新ですがすがしい。
 猪狩くんに勝つ。大変なことを、本気でやろうとしているんだなあ、みずきは。振り返って猪狩くんの席を見れば、あら、目が合う。どうせ、テストはすぐに終わってしまったのでしょう。灰汁ひとつない涼しい顔をしている。最近、宣戦布告とか言われたばかりだけれど手を振るくらい、してもいい、よね。試験中で頬元から控えめではあれども揺らしてみると、彼はそれに気づいてくれた。
 しかし、余裕そうな猪狩くんを見ていると、自分の立場をまざまざと見せつけられることになって。あっちは終わっているからいいけれど、私はまだ全部解いていないのだった。雨降って地固まるといいますか、もう少しこの体制でいたいのを圧し殺し、後ろ髪を引かれる思いでペンを握ると、戦争再開です。
 結局、ずっと頭の中であれこれ飛び交ったものの解けそうな様子はなかった。きっとまた平均点なのでしょう。頑張ったつもりがまだ足りなかったのかと落ち込む一方、やっぱりかと恒例の私自身に笑えてすらくる。
 いいえ、笑ってなんていられるものですか。試験に気を取られてる場合ではない。高校生としての一大行事を終えた私たちは夏の大会の続きを始めなければならないのだから。
「ああ、解放されたぞー!」
「オイラもバシバシやるでやんすよ!」
「葉羽、矢部! お前たちは二軍だ!」
 私はいつも通りベンチにいて、練習時間前だというのに、バッターボックスに立たせてもらえなかった矢部くんと葉羽くんを慰めている。彼らは監督に怒られて小さくなっている最中だ。この努力家たちがいつか活躍できますように。せめてもの願いを団扇で乗せて送ると、大袈裟なことに矢部くんのメガネから溢れんばかりの感謝が降ってくる。
「百合香ちゃん……! オイラのオアシスは百合香ちゃんだけでやんす!」
「矢部くん、猪狩に殺されちゃうよ」
「あはは、ありがと……。あと葉羽くん、私と猪狩くんの間に関係はないからね」
 葉羽くんに釘を刺しつつグラウンドを眺めると、そこには猪狩くんや進くんも混ざった先輩方のハイレベルな練習。大会を勝ち抜くために、これからここは全てレギュラー陣のもの。それを見ていると、二人にこれくらいはしてあげなくてはと思えてくる。この人たちならいつかはレギュラーとしてチームを引っ張る日が来ると信じて。なんだか私、良いことを言ったのではないでしょうか。ひとりその日を想像して嬉しくなるのです。
 その時、私と目が合ったのは猪狩くん。彼は相棒の左腕で投球練習を一通りしたのち、こちらへ歩み寄ってきた。葉羽くんは「来たよハイエナ……」と眉をひそめ、嫌そうな顔をする。ハイエナってなんですかハイエナって。葉羽くんの小さな攻撃はエースの彼によって流されてしまったけれど。猪狩くんは、葉羽くんと矢部くんなど最初からいなかったと思わせる真っ直ぐな足運びで私の前に立った。
「東野、僕のタオルを洗ってもらえるかい」
「うん、わかった」  
「……葉羽や矢部の相手をする暇があるなら、僕のタオルを洗ってもらえるかと聞いたんだよ」
 猪狩くんの代名詞とも呼べる勝ち誇ったような笑み。レギュラーの中でも先発ローテーション入りの猪狩くん、そんな彼も、陰で頑張る葉羽くん、矢部くんも無下に扱えないから、苦笑を餌にタオルを受け取った。
「ひどいでやんすよ!」
「本当のことじゃないか。ま、キミは僕の練習している姿でも見ながらエースを夢見るがいいさ」
「オイラは投手じゃなくて、外野手でやんす!」
「そうなのかい? 打撃が目も当てられないからピッチャーなのかと思っていたよ」
「相変わらずイヤミなやつだな……」
 よしよし。再び泣き出してしまった矢部くんを慰める。こんなことを言っているけれど、猪狩くんは時々遠回しにふたりへ打撃や守備のコツを教えているのです。素直じゃないですよね。喧嘩するほどなんとやら、まさしくこの人たちが体現しているから、ついつい微笑ましく思えてしまう。
「そういえば、友沢はいないんだね」
 しかし、猪狩くんが矢部くんに向けていた目を私に向けたことで、そう微笑んでいるのもおしまい。見渡せば確かに友沢くんがグラウンドにいないから、そうだねと頷くと、猪狩くんはきつく眉を寄せて小さく息をつく。あら、今度は不機嫌になってしまったのかな。彼の感情の起伏は読めない。結局、彼は背を向けて去っていってしまった。おそらく行き先は、このふたりが行きたくて止まない場所。
「友沢くん、大変なんでやんすね」
 その後ろ姿を見ながら復活したらしい矢部くんが零す。その横顔がメガネで半分以上隠れているはずなのに、いやに哀愁が漂っていて。他人事らしくない矢部くんは、友沢くんがいない理由を知っているに違いない。
 隣にいる葉羽くんと目が合う。彼の顔と彼の目に映る私の顔とは同じだ。互いにコクリと首を振ったところで、教えてくれと言わんばかりの視線砲台を二台設置した。
「友沢くん、どうかしたの?」
「オイラ見てしまったでやんす! 友沢くんが学校の近くの総合病院に入っていくのを!」
「病院? 友沢がなんでまた」
「だから、友沢くんはきっと怪我をしているでやんすよ!」
 その言葉に砲台二台は一瞬で壊滅した。ついでに顔を顰めるおまけつきだ。友沢くんが怪我って……でも、彼は試験期間ギリギリまで部活に出ていたし、大会でもスタメンだ。これが本当の話なら大変なことだろう。
「病院で友沢くんと話したの?」
「いや、オイラが見かけただけでやんす」
 なるほど。ひょっとすると、彼のことだから大会に出るために怪我していることを隠しているのかも。そうであれば、監督に話すことはその彼の意思を踏みにじることになってしまう。知ってはいけないことを知ったようなむず痒い心地に包まれ、考えることも躊躇ってしまいそう。そんな頭で考えたこと、そうだ、まず自分で確認してみよう、そんなことだった。
 レギュラーの友沢くんのことだ、きっと部に関わるはず。重要なこと、だよね。都合がいいともとれる呟きを正当化しながら、急遽これからのスケジュールを組み立てる。小筆ちゃんに頼みこんで少し早めに抜けてみよう。全てはそこからだ。
 こんな情報を得られたのはひとえにこの人のおかげ。話題の立役者となってどこか得意気なメガネの彼、矢部くんに向き直った。もちろん、これ以上ない笑顔で。
「それと、矢部くん」
「なんでやんす?」
「あなたはどうして病院に行っていたのかな」
「ギクッ、いや、お、オイラ、病院が好きだからで……」
「……矢部くん、もう少し上手く嘘をつきなよ。それは俺でも嘘だってわかるよ」
 そう、矢部くんが病院に行っていた理由だ。この野球部は一軍だけでできているわけじゃない。このふたりも立派な選手。苦く矢部くんに合いの手を差し伸べる葉羽くんに怯みそうになるけれど、でも、だめだ。ここは心を鬼にせねば。表情を崩さずに、崩さずに、だ。
「怪我しているの?」
「……違和感程度でやんす!」
「いつから?」
「小筆ちゃんと、葉羽くんと練習してから……でやんす」
 威圧をかける笑顔を落として、ため息を漏らしてしまう。無理をしないとレギュラーにはなれない。ふたりはそう言っていたけれど、怪我したら元も子もない。それでも、元も子も身も蓋もひっくり返す努力を続ける彼らの姿はもうなんと言うか……私じゃどうにもできません。
「無理をしないでって言っても聞けないだろうから言わないけど……せめて、ケアとかストレッチとかはしっかりやるようにしてね。葉羽くんもだよ」
 しょげた顔で了承ともとれるかわからない声をあげたのは矢部くん。わかっているよと微笑んだのは葉羽くん。団扇を握りしめ、もう一度彼らに風を送ったあと、私は猪狩くんのタオルを持ってベンチを立った。
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