青春プレイボール!

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葉羽くんと私。ふたりだけになってしまった、一触即発な現場の観衆。友沢くんをきつく睨んでいた久遠くんは、ようやく私に気づく。すると、うつむいてしまった。

「……東野さん、ごめんなさい」

小さなつぶやきの意味がわからなくて。私は、どうしたらいいの。瞳で心配することしかできない。友沢くんを見ても、交わることはなくて。彼は、まっすぐに久遠くんを見ていた。

「久遠、この際だからはっきり言う。俺はショートだ。もうピッチャーではないし、過去に縋る気もない」

いつもどおり、いつもと、なにひとつ変わらない顔で、声で、友沢くんは言ってのけた。その瞬間だった。久遠くんの右手が、後ろに引かれたのは。

「……あなたは、僕の気持ちをまた踏みにじった!」

下を向いていた顔があがって。この人は、本当に久遠くんなの。瞳孔をこれでもかと開いて、その手を握りしめた。まさか。そんなの、ダメ。目を閉じた。怖くなった、彼が。

しかし、それを止めた人が、いた。
おそるおそる瞼を上げると、彼だ、葉羽くん。友沢くんと久遠くんの間に入った彼は、掲げられた右手を掴んだ。私にしたように、また止めてくれたんだ。けれど、その目はさっき見たものよりずっと、ずっと尖っていた。怒っていた。

「その手は、人を殴るためにあるのか?」

低く、身を震わせる声。誰もが動けなくなるような、そんな声。久遠くんは、怒りに染まった目のまま、葉羽くんを見つめる。どちらも、逸らすことはなかった。寸分たりとも。

「ダイヤの中心に立ってボールを握るその手で、友沢を殴れば、満足か?」

ナイフのように刺さる言葉に、彼は唇を、噛みしめた。目が、悔しそうに歪む。百合香ちゃん。顔を向けずして呼ばれ、久遠くんに歩み寄る。私より大きいはずなのに、小さくて、弱くて、もろい。そんな顔、しないで。試合でも伝えた言葉。もういちど。背中に手を添えて、葉羽くんとは違う、振り払おうと思えば振り払える。そんな力でにぎったのは、右腕。

とにかく、部室で落ち着かせよう。来て、とできるだけ柔らかく囁いた。返事はないけれど、抵抗もない。足を動かした。

久遠くんは、自分の気持ちを踏みにじったって言っていた。またって、友沢くんに。一度、友沢くんに悲しい思いをさせられたってことなのかな。試合の時、そして今、あんな顔をするくらいに。

文化祭で聞いてきたことを、浮かべる。

もし、尊敬する人や親友と呼べる人に裏切られたり、土壇場で逃げられたりしたらどうするか。あれが友沢くんに対することだっていうのは、前に考えた。……それ以上は、部外者だと思ってやめたけど、それどころじゃないよね。

部室のドアを開けて、彼を座らせた。みずきといた時に、私が使っていた木造のいす。机を離し、目の前に膝をついた。久遠くん、少しは頭が冷えたみたい。ゆるく微笑んで、見上げた。

「ふたりのこと、聞いてもいいかな」

聞かれることがすでにわかっていたように、ゆっくり口が開かれる。

「……昨年、文化祭で僕の話を聞いてくれましたよね」

「そうね……」

「あれ、友沢さんのことなんです」

やっぱり。今まで、友沢くんに向けていた尊敬の裏には、少なからず、逆さまの感情があったんだ。

「中学のころ、ずっとずっと友沢さんのことを追いかけてて……あの人は、投手として、いろんなことを教えてくれました。このスライダーも、野球の楽しさも。……本当に、僕の憧れでした。いつか、この人のように、いや、それ以上になりたいって」

懐かしそうに語る久遠くんの顔に、笑み。楽しくて、嬉しかったんだろうな。久遠くんの手を握る。
けれど、それは陰をおとした。

「越えるためには、追いかけてばかりじゃダメだと思って……勝負してくださいと、言いました。友沢さんは受けてくれるって約束していたのに……。それなのに、いきなり遊撃手になっていて。僕から、逃げたんです」

「…………」

「友沢さんを許すことなんて出来なかった……」

久遠くん、と小さく呼びかける。ようやく下を向いていた無気力な目と重なった、私の目。ちゃんと、聞いているよ。じっと、見つめた。久遠くんの頬がほんのすこしだけ、上を向いた気が、した。

「……でも、それを変えてくれたのは、東野さんだったんです。あの時、言ったことを覚えていますか」

「もし、親友に裏切られたら、話してくれるまで待つ……だよね」

「はい、それを信じて、僕はパワフル高校に入ってきました」

文化祭、料理を食べてくれてる時、友沢くんとデートする前、爽やかに笑っていた久遠くん。そんな彼が、一瞬だけ見えた。本当に、一瞬だけ。消えないで。触れた手に、願う。かないそうにない、願いだった。

「……でも、ピッチャーじゃなくて、ショートとして練習していたり、試合に出ている友沢さんを見ていたら、やっぱり、なっとく、でき、ない」

まげていた膝を伸ばして、久遠くんを見下ろす。前のめりになって、手を背中に回した。そっと、さすった。やさしく、たたいた。

「しょうぶ、して、くれなかった……! どうして、ど、して、ですかっ、ともざわ、さん、なんで、ぼくから」

「……うん」

「ぼ、く、しょうりが、ほし、かったわけ、じゃ、ない、です……! むきあ、いた、くて……っく、ぜん、りょ、くで、ぶつかり、た、くて……うぁ、ぁ」

久遠くんは、まるであの時の私。たくさん、たくさん悩んで、考えこんで、わるい方へ向かって、苦しくなって。
着ていたシャツの色が、深くなった。
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