青春プレイボール!

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人の肌に、攻撃が加えられる。嫌な音に、おそるおそる瞼が開かれた。しかし、そこは思っていた様子とは少し違っている。男の足元に倒れていたのは、雅じゃない。さっきまで、数歩後ろにいた矢部くんなのだから。

「矢部くん!」

雅が駆け寄ろうとした。が、それと同時に、矢部くんは来るなと叫んだ。

「離れて……ここは、オイラが」

「でも……」

「雅ちゃん、下がるでやんす!」

彼が怒ったところなんて、見たことない。あまりの気迫に、雅が一歩後ずさって。男は、彼女にまたひとつ近づこうとする。しかし、気づいた矢部くんは、うつ伏せに倒れ込んだまま両手を伸ばして、男の片足を掴んだ。まさか。彼がやろうとしていることがわかったのは、私だけじゃない。

「メガネが。ヒーロー気取りかよ?」

「ふたりに、手を出すなで、やんす」

床から顔を上げた矢部くん。メガネにはヒビがはいって、鼻血もでている。それでも、男の足を離そうとしない。

「ジャマすんじゃねーよ!」

もう片方の足で、踏みつけた。ものが壊れる音がした。それでも、何も言わない。腕も、解かない。また、彼の顔の上に男の足。やめて、やめてよ。駆け寄ろうとするけれど、矢部くんは、なおも来るなと叫ぶ。顔のところどころが内出血を起こして、あざになるほど、それほどの怪我をしているというのに。
私も、雅も、彼のいたたまれない姿に、目頭が熱くなる。やめて、と涙声。弱々しくて、耳にすら届かない抵抗。矢部くんは、目を閉じていた。傍から見たら、気絶しているようにも見えるのに、腕だけは足に絡みついたまま。留めきれなくなった雫が一筋、頬を流れた。
瞬間、教室に駆け込んできた金色。男を見たとたん、床に叩きつけた。本当に、一瞬のことだ。男の上で腕をひねりながら、怒りのこもった目と声で男を制する。

「……よくも、俺のチームメイトを」

後から入ってきた葉羽くんが、矢部くんの名前を呼びながら仰向けに直したのを見て、弾かれたように足を動かした。矢部くん、こんなにボロボロになってまで、私たちのことを助けてくれたんだ。

「……矢部くん」

「百合香ちゃ……無事、で、やんすか」

「うん、あなたの、おかげだよ……」

ぽとり、ひとつぶ、腫れ上がった赤黒い頬に涙が落ちた。雅だ。彼女は、それを見て、口火を切ったように泣き始めた。

「矢部くん、どうしてっ、僕のことなんて放っておいてよかったのに!」

「みや、び、ちゃん……」

にごった色を透かした雫に、雅の手が重なる。本当に、雅の言う通りだ。私も同じことをして。こんな時にでも、ちょっぴり嬉しそうな顔をするんだから。こんなに、傷ついているくせに。私の手に、透明なものが落ちてきた。

「さっき、雅ちゃんと、百合香ちゃんは……オイラのことを、心配してくれた……でやんす」にへら、と緩んだ唇から、ちいさな紅点。「だから……オイラも、ふたりを」

「……ばか、だよ」

ポケットからハンカチを取り出した雅が、切れた口元に押し当てて、眉を寄せた。

友沢くんに恐れをなした男も逃げていき、事は収束した。ウェイター姿のままの彼は、ネクタイを軽く緩めると矢部くんの前で膝をついて、向けたのは背中。葉羽くんがそこに矢部くんを乗せる。「保健室に連れていく。とはいえ、こんな怪我じゃ病院行きだろうな」そう言いながら、教室を出ようとした。まって、私も行く。雅と立ち上がったけれど、葉羽くんから送られた、いつもどおりの笑顔。

「雅ちゃんと百合香ちゃんは、文化祭の続きを楽しんできてよ。雅ちゃんは特に、ここの生徒じゃないんだから、なおさら」

葉羽くんの名前が友沢くんから呼ばれて、それじゃあ、と私たちの前から姿を消した3人の男の子たち。雅をちらりと見れば、彼女の涙腺はまだ留まることを知らなくて、ぐず、ぐずと音を立てていた。頬に手を当てる。なんだ、私も変わらないじゃないか。
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