番外編

□ハレンチな世界 3
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「友沢くん、見てみて。海だよ!」
「ああ、海だな」
「わあ、初めて……。広いねえ!」
「そうだな、広いな」
 キャッキャと子どものように喜ぶ東野と並び、海を見ていた。とは言いたいが、俺の視界は大半を占める青よりも、隅に追いやられた肌色にピントが当てられてしまっていた。その格好は、いつもよりも肌の露出が激しい。ついでに眩しい。つまるところ、水着というやつだ。今日は絶好の海日和だと言い出したナナとララに連れてこられたのだ。クラスメートも何人か来ている。
 俺も東野も水着なんて持っていないと最初は断っていたが、俺には結城のものを、東野にはモモのものをと貸してもらうことになったというわけだ。ちなみに、もとは西連寺の水着を貸りようとしたが、東野の胸が入らなかったらしい。「友沢さん。私のカップ、Cなんですよ」「興味ないな」「百合香さんと同じなんです。耳寄り情報でしょう?」「……別に」モモに耳元で囁かれたいらぬ情報を捨てずに取ってあることに他意はない。
 彼女が青い海に片足を突っ込んだ。穏やかであったその波が、白い足に止められ、見ていた彼女の瞳に波の色が映った。輝いた目だ。おそらく、彼女の生まれ育った町にはないのだろう。このような都会に慣れていない一面が、わけもなく好きであった。なぜかって、さあ、なぜだろうか。強いていうなら嬉しそうに髪を耳にかける東野百合香であるからだろう。
「友沢くんも、ねっ」
 手を振られ、誘われるように俺もおとなしく海に入る。水面は弁慶も泣かずにはいられない膝下あたりを揺れている。なるほど、冷やりとしたその心地は夏にもってこいだ。
 気を取られていれば、横から小さな雫たちが控えめに飛んできた。東野が俺に水をかけて喜んでいるのだ。小さな手に溜め込んだ海水のせいかなんだか、彼女の白い手が濡れてふやけている。それを見て不思議と生唾が喉の奥へ消えて行った。極めつけは無邪気な笑顔である。わかるか、このイタズラ気な表情が。いわばギャップにやられた俺は、素直に彼女に見惚れた。かわいいとは、こういう時のためにある言葉なのだ。身体を容赦なく襲う冷たさなど全く気にならない。
 しかし、そんな何より尊い空間も破られてしまう。
「百合香ーっ」
「里紗ちゃんと未央ちゃん!」駆けてきたのはお節介なクラスメイトふたりだ。
「やっほ、百合香っち。相変わらず友沢とラブラブなんだねえ」
「そ、そんなんじゃないよ!」
「照れんな照れんなって、ね、友沢。こんなかわいい水着でいられたら、目が離せないよねえ?」
「ひゃ、り、里紗ちゃん……胸さわらないでっ」
「んふふー、今日もサイズ、柔らかさ共に満点ですなあ」
 ニヤニヤと東野の胸をいじりながら俺を見る籾岡。沢田も同じ顔だ。たしかに、東野がクラスの女子と戯れているのは、いいものがあるのかもしれない。葉羽と矢部の気持ちがすこしだけわかった気がする。……じゃなかった、とにかく東野を助けねば。水着の下まで手が伸びそうな籾岡に、目を尖らせた。
「それくらいにしておけ」
「ちぇっ、友沢は反応がつまんないの」
「百合香っち、本当に友沢と付き合ってるのー?」
「つ、付き合ってないって!」
「ええ、ふたりして同時期に転校してきて、知り合いで、しかも結城の家に居候とか……愛の逃避行だと思われてるよー?」
 なんだと、東野と俺は付き合っていると思われているのか。彼女との逃避行だとか……なんだろうか。どんな困難にも手を差し伸べる俺と東野がいるのだろうか。うむ、悪くない。
 そんなことを夏の日差しにやられた頭で考えていると、俺の名を呼んだ男がいた。結城だ。「こっちに行こうぜ!」と強引に手を引かれ、東野から離れていく。せっかく彼女が俺に遊ぼうと声をかけてくれたことはあるが、俺も結城という同性の友人の方が気楽だ。特に拒みもせずに着いていった。
 結城とは砂浜に座り込んで、話しこんでいた。彼が興味を持つのは、俺がもといた世界の話。俺が口にできることなど、野球のことしかないが、それでも結城は関心がありそうにうなずきながら聞いてくれた。だからか、俺は自然とチームメイトのことまで話していた。
「へえ、その葉羽と矢部って、なんか猿山に似ているな!」
「ああ、そうかもしれないな。女の前じゃいつも鼻の下を伸ばしている」
「それに、友沢は友達想いなんだなー。違う世界にいても、そんなに考えていて」
「……そんなことはない」
 結城には、どこか人を惹きつける魅力があるような気がする。パワフル高校で実力よりももっと、深く、強いものを持った男、葉羽小波のように。葉羽は、野球に対する熱意を人に与えられる。アイツの周りには、自然に人が集まってくる。にっと歯を見せる結城に、人望の強い外野手を重ねて、似ているなと思った。しかし、その空気は音を立てて破られることとなる。
「友沢さーん! 百合香さんがー!」
 モモの緊急を彷彿とさせる声が飛んできたから。この世界に来た彼女の名前も一緒に紡がれて、額に汗がにじむ。結城のとなりからすぐに立ち上がった。そして、駆けつけてみれば。東野がぐったりとしているじゃないか。どういうことだこれは。
 しかし、セリーヌを抱いたモモは、俺に東野を任せてその場を去ってしまった。
「大丈夫か!? 東野!」
 しかし、まずは東野だ。急いで彼女を抱き起こすと、ゆっくり目を覚ます。よかった、大した様子はなさそうだ。ひとまずの状態にほっとしていると、東野の頭に一輪の花が咲く。綺麗とは言い難い、不思議な花だ。彼女は、大きな黒目をぱちぱちと動かす。
「…………」
「東野……?」
 彼女は、じっと初めて見たかのように、俺を観察している。何か異変でもあるのか。そう思ったとたん、東野が俺に密着した。慌てて受け止めるものの、居場所のない手が宙を彷徨う。
「どどどどどうしたんだ東野!」
「亮、くん……」
「おま、な、名前……!」
「りょ、う、くんっ……!」
「お、おい!」
 なにがなんだか。彼女は、俺を名前で呼ぶ。ふっと力の抜けてしまった俺は、前からの力で、後ろに倒れた。東野は、俺を押し倒したままで俺の胸に身を寄せる。
「亮くん、すき、すきっ」
「東野!? ま、まて……」
「……私のこと、愛してっ」
 身体をつきぬけた、彼女の言葉。好きな女に、好きだとか愛してだとか言われて平気でいられるだろうか。今すぐこの場で愛してやりたい。そんな暴れだす欲求を気合いで抑えて、目を逸らす。彼女はなおも俺に跨がって、艶やかにしっぽを揺らしていた。
「亮くん、ねえっ」
「まてまてまてまてやめろ東野落ち着け!」
「私じゃ、だめなの……?」
 俺の上で体を起こし、肩にかかっている水着の紐を下ろした東野。彼女のやわらかそうな胸が、見えそうになる。見たらダメだと顔を背けるが、口は素直で。
「だ、だめというより! 段取りをだな!」
 素直、そっくりそのまま言葉をつむいでしまう。段取りってなんだ。この場でなにを言おうとしているんだ俺の口。もう黙れ。東野は、そんな俺の葛藤をわからずして、しっぽを頬の横に動かす。煽ってるのか、このわからずやめ……しっぽなめるぞ、くそっ。
「私のこと」
 俺の上にうつぶせて、首に腕を回した東野。自然に近くなる、俺と彼女の顔。近くで見ると一層愛しさを増すそれは、俺の中でドクリと脈をうった。
「好き……?」
「――っ、好きに決まってるだろう!」
「……えへへっ」
 ギュッと抱きついてきた東野。かわいい、だきしめかえしたい。いや、だめだ流されるな……! ふー、と大きく息をはいて、一度東野を身体から引き離す。よくやった、俺。
 頭の花が原因だ、きっとそうだ。これ以上はまずい。そう判断した俺は、彼女を固めて、花を取ろうと決心。半身で構える。大丈夫、俺は合気道の段を持っている上に、相手は女。
 ただ、ひとつ問題があるとするならば。
「やっぱり、きらい……なの……?」
 泣いている好きな女だというだけ! 無理だ、無理に決まってる! 彼女を固めるなんてできるか! その前に俺が固まるだろう! 座り込んだ東野を放っておくこともできるはずがなく、近づこうとした時だった。
「百合香ちゃん、泣いてるの!?」
 あらぬ先から西連寺の悲鳴が聞こえた。その声に肩がビクリと揺れて辺りを見渡せば、古手川やヤミ、ナナもこちらへ駆け寄ってきていた。まずい。直感的にそう思いながらも、何もできないが現状。東野に駆け寄った西連寺に続いて、心配そうに彼女を呼ぶのは古手川。東野の前に腰を下ろすと、きっと俺を見上げた。
「ちょっと! 百合香さんの水着が乱れてるじゃない!」
「百合香に何をしたのですか、友沢亮」
 ヤミが髪で拳を握る。ナナも俺を睨みつけている。まてまて、これは誤解されてやいないか。俺はなにも悪いことはしていない、はず。
「いや、東野が俺に自分から……」
「はあ!? 百合香がそんなことするはずないだろ!」
「友沢くん、ひどい……」
「友沢くんが、そんなハレンチな人だとは思わなかったわ」
 何と言っても信じてもらえないらしい。くそっ、どうすればいいんだ。そんなことを考えていると、東野の頭の花が落ちた。俺は、一筋の希望を見出す。彼女が俺の身の潔白を証明してくれるはず。自信を持て、友沢亮。
「あ、あれ……みんな?」
「百合香、大丈夫ですか。待っててください。今、友沢亮を……」
「百合香さん! 友沢くんになにをされたの!?」
 ヤミと古手川が東野に詰め寄る。まだナナはこっちを睨みつけていた。東野は乱れた水着を見て、カッと頬を赤らめる。そして、その慌てた表情のまま、その乱れを直した。
「ど、どうしてこんなことになってるの!?」
「百合香ちゃん、覚えていないの?」
「え、う、うん……なにも……」
 終わった。ヤミの髪が拳から刃に変わる。ナナも古手川も目を釣り上げて俺に向かって走り出す。それを黙って見ているほど、危機管理能力がないわけではない。逃げ切れるか?いや、逃げるんだ。彼女たちから背を向けて、全力疾走。ベースラン以上の、全力疾走。
「亮! お前、百合香の記憶まで失くさせてなにしたんだこのケダモノ!」
「なにもしていないと言ってるだろう!」
「嘘よ! 百合香さん、泣いていたじゃないの! ハレンチだわ!」
「えっちぃことは、キライです。友沢亮、あなたを始末します」
 どうしてこうなるんだ、俺は何もしていない。結城が俺を呼んでいる。……そこにいるのなら、助けてほしいのが本音だが、ヤミの刃を見たら助けにいけないのもうなずける。転んだ後の結城の気持ちがわかった気がした。なるほど、これは理不尽だ。
 

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