番外編

□出すぎた欲望
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暇だ。それにバイトももうあと5分ほどで終わる。早く、翔太と朋恵の顔が見たいものだ。そう思っていた矢先、店内をうろつくカップルの会話が聞こえてきた。もうすぐクリスマスだね。どこ行こっか。……ふん、気楽なものだ。ますます翔太と朋恵の顔が見たくなる。当たり前のように、俺の興味はガラス越しに外へ向いた。
そこで、目が開かれた。見えたのは、制服姿の東野。部活が終わったのはだいぶ前なのに、こんな時間まで誰かといたのだろうか。そんなことまで想像して、不快な気持ちにはなった、が、それはいとも容易く吹き飛ぶこととなる。彼女の頬がてらてらと光っていたからだ。すぐに、東野のところに行きたい、そんな欲求に襲われた。

5分経って、俺はすぐに着替えた。エナメルを持って、コンビニを出る。東野が歩いていた方向は、あっち。きっと、家に帰ろうとしているのだろう。立ち業で悲鳴を上げているはずの足はすぐに動き出し、夜闇に消えそうな髪に追いつくことは、そう難しいことではなかった。

「東野!」

荒々しく、彼女の肩をつかむ。ぴくりと跳ねた小さな身体に、驚かせてしまったかと思ったが、それどころではなかった。振り返った彼女の泣き顔が、以前見たそれより、ずっと苦しそうだったから。

「とも、ざわくん……」

涙で潤んだ彼女は、その溜め込んだものを頬に流した。我慢していたものが、一気に吐き出されるように。

「どうしたんだ」

「……なんでも、ない」

「そんなわけないだろう」

なおも去ろうとする東野の腕を掴んで引き止める。彼女は俺に背を向けて、掴まれていない手で涙を拭っているようだった。こんな姿の彼女に、何ができるのか。

「泣くな」

ぶっきらぼうな物言いしかできない俺は、強引に彼女をこちらに向けて、自分のセーターの袖を押し付けた。されるがままになる東野の涙をそれに染み込ませると、彼女は一度驚いたような顔をして。

「……んっ、ふふ、面白いね、友沢くん」

くすくすと笑い始めた。……これは、これでよかったのか。女の気持ちなど、到底知る由もない。眉をひそめて怪訝の意を見せる。しかし、それとは対照的に。

「ありがとう。笑ったら、ちょっと楽になったよ」

東野が、いつもの優しい笑顔に戻ったから、よしとしようか。そんな彼女を見ていると、先ほどのカップルの会話が浮かぶ。クリスマス、彼女に用事はあるのだろうか。
東野は文化祭の影響もあって、隠れたファンも多いだろう。……もしかすると、誰かと出かけるのかもしれない。そう思うと、頭から熱が吸い取られていく。
考えごとのせいか、ろくな話もできずに彼女を家まで送ることとなって。そんなに遠い距離ではないが、体感は、とても短い時間。もう、目の前には彼女が住んでいるアパートが構えていた。

「ありがとう。ごめんね、バイトした後で、疲れてるのに」

「いや、俺が勝手にしたことだ。気にするな」

「前もそんなこと言ってたような気がする」

あの時と、同じだね。にこりと笑う東野に、俺はこそばゆさを覚える。同じじゃ、ないんだ。俺は、あの時よりずっと、東野に惹かれていて。誰にも、渡したくないと思っていて。

クリスマスも、一緒にいたい。

熱情がこみ上げてきて、気づけば、彼女の両手をとっていた。もちろん、東野は目をぱちくりとしているわけで。

「あの……?」

「25日、空けておいてもらえないか」

俺より幾分小さくて、白い手を優しく、思いを込めてギュッと握る。彼女の目が見開かれて、驚きを示す。頬が赤いのは、寒さのせいではないと思っていいのだろうか。
しかし、東野は困ったように瞳を逸らした。

「……み、ずきと、行かなくて、いいの……?」

控えめな口から紡がれたものは、俺が思っていたものとは違って。なにを、と反論しようと、した。

「百合香になにやってんのよ友沢!」

もう、何度と聞いてきた金切り声が、俺の耳に届いた。そこには、東野のアパートから出てきた橘がいて。なんで、お前がいるんだ。顔をぐっとしかめた。
それを見るや否や、東野が俺の手を振りほどき、踵を返して、アパートに走っていく。

「東野!」

翻った髪が彼女の香りを残していき、ひどく、虚しく感じた。橘もどこか、普段らしかぬ雰囲気を感じたのか、俺を見ずにアパートに戻っていく。
ひとり、立ち尽くすこととなった。耳には、彼女が呟いた最後の言葉が反響していて。俺は、手の感触を滲ませながら、もと来た道を引き返す。その道のりは、さっきよりもずっと長く、寒く、感じた。

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