青春プレイボール!

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結局、私は蛇島さんに甘えてしまった。あの電話の後、彼に時間を作ってもらったのだ。

あまり栄えているとは言えないたんぽぽカイザースの本拠地、私の地元。中学までは野球にからっきしだったけれど、今は違う。田舎球団とか弱小球団って呼ばれるけれど、私としては砂漠に咲いた一輪の花のように誇らしい。

そんな舗装もされてないあぜ道でプロ野球選手を待つ私は、喜怒哀楽を誰彼構わず迎え入れていた。

蛇島さんに会えるのは素直に嬉しい。彼の先輩だもの、高校時代の話とかができるかもしれない。友沢くんじゃ、忙しい人だからこうはいかなかったのかもしれないと、心の底から湧いてきた泡をあわてて両手でたたく。
必ずあそこに戻ろうって約束した。友沢くんだけじゃない、みずきのことだってある。なにがなんでも、だ。いらぬ不安、杞憂は忘れよう。今日は、ほんの少し、ほんの少しだけ傾いた背中を蛇島さんに押してもらうだけ。

やがて、百面相をしていた私に蛇島さんが気づいてくれて、ニコニコ微笑む顔に出会えた。胸に適温の安堵が広がる。

「久しぶりだね」

「本当。こんなところでまたお会いできるなんて、思ってもいませんでした」

ああ、大人の風格をおしげなく醸し出す蛇島さんを見ていると、やっぱり年上の人なんだなあ。ふわりと微笑む優しげな目を見ていると、こちらまで身体が軽くなって。

「以前より綺麗になりましたねえ」

「な、なに言ってるんですかっ。そんなことないですよ」

「いえ、僕がそう思っただけですよ」

「もう、紳士なんですから……」

彼の口車は乗り心地がいい。自惚れないように、ぐっと地に足をつける。なおも女性本位の蛇島さんに、どこに行きましょうかと強引な話題のすり替えで応戦。すると、変わらず穏やかな笑みを携えたまま歩き始めた。


考えてありますと自信ありげな彼のとなりは、人が通るたびに緊張感もまた襲ってきた。だって、この人はプロ野球選手、決して普通の存在じゃない。私なんかが一緒にいてもいいのかしら。楽しみだった気持ちはだんだんと陰りを広くしていって、やがて肩身を狭く縮こむ。
それでも、蛇島さんは持ち前の優しさで「どうかした?」と年上らしく気遣ってくれて。だめだめ、心配かけちゃうじゃないの。私は猫になった背を伸ばした。

「……大丈夫なのかな、東野さん」

しかし、その言葉に足が止まる。そこには至って真剣な目をする蛇島さん。いつもは温かいスープのような味わいを感じられるのに、なぜだか今は冷凍庫から取り出したみたいだ。ぞくり、と背中の毛が逆立つ。

「友沢くんとのことは」

おかしい、何かが。そう思った。あの夜とまったく同じことを言われているはずなのに、右か、左か、いや上?それとも下?誰かから照準を合わせられている。身体は頭のてっぺんからつま先まで冷気が包んでいるというのに、彼の微笑みだけが自己を保つ要因だった。

「え、と……また、あっちで会おうって……」

絞り出すような笑顔。頬を汗が流れた。

「そうか……君たちの関係、破綻はしていないんだね」

「そう、です……」

「フフ、友沢くんの彼女、か……」

神高くんや久遠くんにも言われたことのあるものいい。ようやく足を再開した蛇島さんに私も小走り。
隣を歩くお兄さんは、私を見ることはしなかった。でも、どこか楽しそうに顔を歪めていて。

「染め甲斐がありますねえ」

口先だけで囁かれた、小さな小さなつぶやきを拾うことはできなかった。なんて言ったのか、聞こえなかったから。

なんだか探っているようだ、以前友沢くんと彼に会った時のように。蛇島さんに失礼じゃないか。気持ちを切り替えよう。あわてて目を彷徨わせると、家の近くよりも道がキレイになっていることに気づいた。周りにも、畑や住宅でなく人や店が並ぶようになってきた。もうこんな方まで来たのか、そんなに時間が過ぎた気はしないのだけれど。

半分惚けた頭でそんなことを回していると、蛇島さんの手が何かを狙い始める。自然とそこに目を向けると、彼が取り出したのは携帯電話。ブルブルと震えている。
申し訳なさそうに私を見るものだから、どうぞと両手でジェスチャーを示すと、謝罪の意が憑依しているかのように背中を丸めて控えめに電話に出る。

その内容は、今すぐに球場に来るようにとのことらしい。いわゆる招集だ。さらに小さくなった蛇島さんを「気にしないでください」と元のサイズに戻す。この人はプロ野球選手なんだから、忙しくて当然だよね。
それでも、紳士的な彼のこと。埋め合わせをいづれしたいと申し出てきて。悪いですよ。いいえ、そんなことはありません。でも。そんな席の譲り合いを繰り返して、そこに座ることとなったのは私の方でした。

「では、またお時間のある時に……」

「今日は申し訳なかったね」

少なくとも送らせて欲しいとまで言ってのけるような人。きっと断ってしまえば、彼のプライドにヒビをいれることになるのかも。おとなしく頷いた私は、すでに身体が春の陽気にあてられていて、喉元を過ぎた寒さを忘れていた。
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